2015/04/11

ICTは学習を不自由にする??

経験的な教授・学習観は、教師の教え込みを排す。そして学習者の自由度を上げることで主体的な学習を促して、知をボトムアッブ的に構成させ、獲得されるという立場に立つ。
しかし、その時に与える環境やツールが作り込まれすぎ、ブラックボックスと化した便利すぎるモノ(ICT)だったら、かえって選択の幅が狭まり、ICTに使われている状態にならないか?
たとえば、「レゴブロック」は創造力を育てるとなんとなくは理解できるけど、精巧な「プラモデル」は創造力をより育てるとは思いづらい。
このように、作り込まれすぎ、精巧過ぎるICTの発展によって、かえって活動が不自由になることにはならないか?
そこには、ボトムアッブ的に獲得されるはずの知が、トップダウンに与えらているという矛盾が存在するのではないか?

私が「ICT活用教育」の楽観的過ぎる万能感には賛同できないのも、凝り過ぎたゲーミフィケーションによる教育にいまいちついていけないのも、そのへんのモヤモヤがあるかららしい、