2013/02/01

坂口安吾だったらなんて言うのだろう?

中学、高校時代は小説を書くまねごとをしてみたりして、文学少年くずれだったわけです。
高校時代になると、当然のごとく、芥川や太宰の洗礼を受け、そのなかで坂口安吾の『堕落論』とか『日本文化私感』に出会い、それで安吾に一気に傾倒するようになりました。

大学時代に卒論で選んだ作家も、坂口安吾。
卒論は坂口安吾の仏教的ニヒリズムと、ニーチェのニヒリズムを比較したものです。
いま読み返せば、きっと読書感想文のようなお恥ずかしい論文だったことでしょう。
しかし、大学時代に卒論で坂口安吾を選んだことは私の原点の一つになっています。

坂口安吾は小説もそれなりに面白いが、なんと言っても評論が断トツに面白いです。
実存まで降りていって発言する安吾の立ち位置は、若造の僕でも腹の底から納得できるものでした。
坂口安吾の文体はざっぱりとしていて、あんな竹を割ったような物の言い方をしてみたいと強くあこがれたものです。
いや、もちろん、いまでも安吾は大好きです。

偏愛するものほど「ベスト」を選ぶのはナンセンスなんですけど、あえてご紹介するとしたら……
『堕落論』 『続堕落論』
『日本文化私感』
『淪落について』
『恋愛論』
『青春論』
『私は誰?』
『文学のふるさと』『FARCE に就て』
『風と光と二十の私と』
『私は海を抱きしめていたい』
『白痴』
『桜の森の満開の下』
あー、書ききれない。
どれも短い作品なので、ぜひ青空文庫(←クリック!)でお読みください。

世間では「安吾ブーム」というのは周期的に訪れるようで、忘れられた頃にまた復活し、というものらしいです。
時代を超越したまなざしがあるからこそ、いつの時代に読んでも古びない、刺激的な魅力を持っているのだと思います。
今の時代は安吾から見て、どうなんだろうか?
安吾だったらなんて言うのだろう?
そんなことを、たまに想像しています。