2015/09/04

万葉集は偏愛の古典。


色々な意味で、日本人にとって奇跡の詩集だと思う。世界遺産にしたっていい。誇るべき遺産だ。
なにがいいって、古典のなかでも群を抜いて親しみやすさがあるからなのだ。
万葉仮名とか、古代日本語とか、内容理解までのハードルは高いのは仕方がない。けれども、一度意味が取れれば、思わずはっとさせられたり、ほっこりとしてしまう作品がとても多い。
それは万葉集が庶民の歌がたくさん、しかも天皇、貴族と同等に並べられているという点にある。その庶民の作品が抜群に愛らしい。
例えば、教科書にはこんな和歌が掲載されている。「東歌」という東国の庶民が歌った作品だ。

「信濃道は今の墾り道
刈りばねに足踏ましなむ
沓履けわが背」
(信濃道は新しく作られた道。切り株に足をくじかないでね。靴履いていってね。わが夫。)
こんな感じで、遠くへ旅立つ夫をもつ妻のつぶやきが歌われている。まるで、単身赴任するだんなに口うるさく??指図している妻の姿が目に浮かんでくる。 きっと夫のことが大好きで、そして心配なんだろう。ああ、愛らしい、そして可愛らしい。こんな作品を偶然見つけてしまうと、思わずほっこりしてしまうの だ。
万葉集は、私たちのような庶民の目線で、人生の哀感、喜怒哀楽を素朴に歌っている。千年もの時を隔てた古典のなかで、今も昔も変わらない人間の情感、あわれさを感じると、それがたまらない味わいとなる。
定年退職したら、毎日、万葉集をちびちび読む余生を送るのが夢だ。歌枕巡りもいいかな。