2015/10/17

誰にでも通用する「幸せ」はないと気づくということ〜コミュニケーション・デザイン科のキモとは何か?〜

昨日の授業で印象的なことをがあったので忘れないうちに書いておく。
それは今、うちのコミュニケーション・デザイン科(総合みたいな学習活動)で取り組んでいる「QOL向上大作戦」の中のひとこまだった。
この授業では各グループが、自分たちのQOL(Quality of  Life・生活の質)を向上するための様々な取り組みをすすめている。活動の最終的なゴールは「学年内でQOLを向上させるためのミニワークショップをグループで運営する」というものだ。
各グループがどんなワークショップを開催するか、活動内容についての限定はしなかったため、テーマには中学生のさまざなな願望が投影されていて面白い。

・勉強で集中するためには?
・エナジードリンクを作る
・短くても効率的に睡眠する方法
・食べてもやせる方法
・1000円を幸せに使う方法?
など。

昨日の授業では、それぞれのテーマについて、各グループで調べてきたことを更に深めるために、ゲストティーチャーをお呼びし、その人たちに自分たちの探求内容について相談をするという学習を行った。お呼びしたのは、ベンチャー企業を応援する会社を起業した経営者の方、医師(栄養学の研究も)、心理学の研究者の三人だ。
ゲストティーチャーへの相談を通して何を一番学んだのか、それは、自分たちの活動内容についての意味や価値についての気づきだ。この活動が「どんなQOLを向上しているのか、ということについての思考の深まりだ。
たとえば「1000円を幸せに使う方法」をワークショップで参加者に伝えたいという活動をするグループがある。中学生の彼らが考えた当初のアイディアは、「1000円で効率的に、安くてお得に買い物をする方法」のようなものだった。しかし、それを経営者をしているゲストティーチャーはこう突っ込みを入れる。「1000円をどう使えばその人にとってのQOLが上がるのかというのを考えないとね、」と。
たとえば、「お金が増えるのが幸せだ」と考える人にとっては、その1000円を利殖に回すだろう。「1000円は人のために使いたい」と考える人は、1000円を募金に使うとその人のQOLは向上する。「効率的に使いたい」という人は、安くていい品物を手に入れることで生活が豊かになると感じる。つまり、お金の使い道ひとつとっても、その人の価値観や生活が反映されていく。

他のグループ「食べてもやせるための方法」についてワークショップをしようとしているグループでは、医師のゲストティー-チャートのやりとりでこんな場面があった。医師が「やせることがどうして必要なの?」と突っ込むと、ある生徒は、「いやあ、私みたいな人は、やっぱりちょっとやせないといけないなと思っているんですけど……○○ちゃんだったら必要ないとは思うけど……(と、同じグループのスリムな子を見ながら笑って)」と。そこでゲストティーチャーが、「やせるということよりは、その人にとって必要な最低限の栄養素はとるということを考えないといけないよね。」と。
この例は、「QOL向上ワークショップ」の一番の本質に迫る場面であったと思う。つまり、「QOLを向上させる」と考える前提には、「人それぞれの幸せがある」ということを想像しなければいけないということだ。こうして言葉に出してみると実に当たり前のことなんだけど、「幸せが人それぞれである」ことを理解してはいても、それを行動として、実践に移すことができるかは、大きな隔たりがあるようだ。

概して、中学生の発想は「自分が幸せになると感じることは、他の人も幸せになるはず」という単純なものが多い。いや、ひょっとしたら「他の人も」という発想さえなく「自分がやりたいこと」をやろうとしているのが素朴なモチベーションになっているのかもれない。しかし、そのような独りよがりではなく、その「自分にとっての幸せ」を、他の人と共有できるようにするためには、他の人の多様な考えや生活や生き方のようなものへの想像力を持つことが必要となる。その多様な生き方への省察が「QOL向上」のキモでもあり、いま、学校で取り組もうとしている「コミュニケーション・デザイン」のキモであるということは間違いないだろう。
「自分にとっていいこと」が「他のひとにとってもいいこと」とは限らない。他の人にとっての「いいこと」を想像すること、想像しようとすること。または、「自分にとってよいこと」を他の人とも共有し、分かち合っていくこと。そのプロセスこそ「分かち合い」としての「コミュニケ―ション」なのだ。