2015/10/07

授業の「かたさ」を考える

ここ最近、授業の様子を形容する言葉「かたい」「やわらかい」が気になっている。
実習生の、あまり上手くいっていない授業を見ると例外なく「かたい」という印象をえる。
そう考えると、一面においては、教師の熟達とは「かたい」授業から「やわらかさ」を獲得していくプロセスと言えなくも無い。
「かたい授業」とは、一体何がどう「かたい」のか。

・表情がかたい
→能面のように感情を表に出さない。生徒の反応を受け止め、それに対して教師が反応できない。

・授業の展開がかたい
→決まり切ったことしかせずに、授業の流れに変化が乏しい。臨機応変な脱線などが無い。

・表現がかたい
→言葉遣いや所作に、子ども相手にはふさわしくないようなフォーマルさがあり、他人行儀に感じられる。

・扱う内容がかたい
→取り上げる内容やエピソードなどが、生徒の実感などとかけ離れた「教科書的」なものとなっている。(いわゆるサブカル的なものへの目配せが皆無である)

など。もっとあるかな。
こう考えると、「かたさ」にもさまざまな要素があり、そのなかでも「やわらかく」していく方がいい場合と「かたい」からこそいいものがあるのかもしれない。クラスによる雰囲気の違い、教師の身体性やキャラクターの差違などとも密接に関わるものであるはずだ。