2015/10/18

「答えは人を分け隔てるが、問いは人を結びつける」

「答えは人を分け隔てるが、問いは人を結びつける」
何度でも引用したい言葉だ。(引用元は何だっけ??忘れちゃった。)

どうも話がかみ合わないなあと感じるとき、だいだい、この「問いのレベル」が違いすぎる、つまり共有できていないところに問題があるようだ。
こちらは大きな問題を考えようとしているのに、実に卑近な例で突っかかってくる、また、自分は具体を取り上げているんだけど、世の中を動かすような大きすぎる問いで構えてくる。そうすると、話がかみ合わなくなってしまう。
また、こちらは「問い」を問題にしようとているのに、相手は「答え」で応戦してくる場合もある。「私はこうしています」「ここではこうなっています」と。この場合も話がかみ合わない。「それで?」「だから?」といいたくなる。「自分のフィールド」を引っ張ってきて、「自分」を開陳する。それが「各自の勝手な都合」にすぎない場合、「問い」を深めることはできない。

合意形成とは、実は「答え」を他の人と一致させることではなく、「問い」のレベルをそろえることなのだ。「問い」のレベルさえ共有できれば、その時点でたいていの「答え」についても許容できるようになってくる。
合意形成とは「誰もが同じ考え(答え)を持つこと」ではなく、「誰もが同じレベルの問いに向かうこと」である。
とすれば、「市民の日本語」として重要なのは、他者の問いのレベルをつかまえようとすること、共有しようとする身振りにあるのではないか。解決策は、問いが共有できてから、それぞれが考えればよい。