2015/03/10

説得に不可欠な「感情」と「論理」の関係を飲み物にたとえてみた

人に自分のメッセージ(意味)を伝えたいときに、どうやって伝えるだろうか。
メッセージ(意味)は、伝える人の「感情」と、伝え方の「論理」との二つとがミックスして伝えられる。

「今日はおやつはなしです。」というメッセージを
「昨日食べすぎたから」+「今日はおやつはなしです」と伝えると、理由という「論理」がプラスされる。
「昨日食べすぎたから」+「残念ながら」+「今日はおやつはなしです」と伝えると、「理由」にさらに「残念」というその人の「感情」までもが一緒に乗っかっていく。(もちろん、感情を伝えるのは言葉よりも表情やイントネーションなどに、より鮮明に表れるだろうが、文章で伝えるとこういうことだ)

繰り返すと、人に自分の考えを伝えるためには、
・感情
・論理
の二つが必要である。

一つ目の「感情」は、飲み物でたとえてみると「温度」のようなものだ。
どんなにおいしい飲み物でも、適度な温度がないと飲みたくなくなる。
寒い日に、冷え切った飲み物なんて誰も飲みたくない。
熱すぎるとやけどしてしまう。
適度な温かさがあれば、飲んだときに、身体に優しく染み渡っていく。

二つ目の「論理」は、同じく飲み物でたとえると「味付け」のようなものだ。
濃すぎるとしつこくなる。薄すぎると味が分からない。
すまし汁のように、あえて味付けを薄味にして「素材本来の味」をひきたたせるという方法もある。
ごてごてと味付けしすぎると、元の味がなんだったのか、よく分からなくなってしまう。
適度に味付けされることで、おいしくいただくことができる。

感情だけのメッセージは、味気のない飲み物と一緒で、勢いだけはあっても後に何も残らない。
論理だけのメッセージは、冷たすぎる飲み物と一緒で、飲み込むまでに十分に適温にしないと身体に入っていかない。
しかし、この好みも人によって結構違うらしい。
猫舌の人もいれば、濃い味が好きな人もいる。
感覚だけで生きている人もいれば、論理性がないと相手にしない人もいる。
感情も,論理も、相手に応じて適度なさじ加減を考えて伝えていかなければいけないのが難しいところだ。
特にFacebookのようなSNSでは、感情を伝えるのは難しい。((笑)とか、絵文字のようなものはあるけど)、むき出しの言葉、論理の目立つコミュニケーションになりがちだ。
話せばほんの一分の内容も、一分間分の文字で書かれると、それだけで、かなり威圧感のある「論理」のように相手に迫ってくる。
だから、あまり論理が際立たないような発信がかえって必要なのかもしれない。