2015/03/10

本の中身よりも装丁が好き〜人の話を聞くこと〜

とは言ったけれども、本のことはあまり関係がない。
人の話を聞くときのことだ。

私は自分でべらべらと話すよりも、人の話を聞く方がよっぽど好きだ。
お酒を飲む会とかで、酒に誘われて誰かが話し出すと、私は一心にその人の話に耳を傾ける。黙って集中して耳を澄ます……ように見えるが、実際には話の内容にはあまり意識が向いていない。半分以上は、気持ちよさそうに話す「その人」がどんな人なのかを勝手に妄想しているのだ。
家に帰るとどんな人なのかな? 家族構成は……、どんな生い立ちで……、どういう価値観で……などなど、話の内容の半分くらいは上の空で聞いて、後はその人のバックグラウンドのようなものをぼんやりと妄想している。
本で言えば、本の中身よりも、表紙とか、ページの組み方とかの「装丁」をためつすがめつ見ている,あの感覚だ。
だから、目の前の人が気持ちよさそうに話しているのを聞くのは、どんな話でも(特に自分にとって未知の分野だとなおさら)とても興味深い。

もっと好きなのは寡黙な方だ。自分からはあまり話さないような人。
自分からはあまり話さないような人でも、こちらで話を引き出したりして、最初の印象とえらく違ったりするのを目の当たりにするのは、とても興味深く、新鮮な経験となる。
本で言えば、地味目の「装丁」がいい意味で裏切られて、結構面白かった、ということになる、あの展開に似ている。

というわけで、話そのものの「中身」にはあまり関心が向かないので、自分と意見が合う合わないというのは、この際あまり関係がなくなる。むしろ、自分にはない考え方とかものの見方をしている人だったらなおさら,その人の背景に関心が向く。この人は、どうしてこういうものの見方をするんだろう。この人は、なぜこっちの角度から世の中を見ているんだろう。なぜこの話題を出すのだろうと。
だからかもしれないが、自分に実害がない限り、関わった人を嫌いになったりすることは不思議なくらいない。変わっているな,ユニークだなと思えば思うほど、もっと聞きたい,知りたいと思って、一心に傾聴してしまう。

とはいえ、我ながら、あまり人にほめられることではないなあとは思う。