2013/02/07

言語活動、良い課題・悪い課題

言語活動中心の授業を進めていく際に、最も重要なのはどのように課題を設定するかだ。
課題の提示の仕方に教師の力量があらわれる。

たとえば、
悪い課題
「本の紹介文を書こう」
……どんな目当てで書いたらいいのかがわからない。
なんでもありの活動になってしまう。
活動合って学びなし、一直線。

まあまあ良い課題
「本の内容が詳しくわかるような紹介文を書こう」
……「詳しくわかる」というめあてを示してはいる。
しかし、この目当てがどちらかというと子どもにとっての目当てではない。
教師の指導事項にすぎない。
もうちょっとセンスの良い課題は作れないか。

わりと良い課題
相手が読んでみたくなる本の紹介文を書こう」
……読んでみたくなるにはどう表現を工夫すればいいのか、という思考が働く。
評価する際には、どんな工夫をしたかを生徒に指摘させればよい。

自分だけが知っている、とっておきの本の紹介文を書こう」
……このように課題を設定すれば、他の人にはない、自分なりの視点から本を分析し、推薦するためにはどうすればいいのか考えるようになるだろう。

課題の言葉を少しいじるだけで、活動の質がぐんと違ったものになる。
目的意識……どんな目的で?  (子どもたちの目的意識と、教師が教えたい目的とは異なることが多い)
方法意識……それをどのような方法で?
相手意識……誰に向けて?

※これに、「場面・状況意識」と「評価意識」をあわせて5つの言語意識という。(小森茂)

そういった観点に意識が向くような課題を設定するように私は心がけている。

さらに高度な課題
課題を設定せずに、「ビブリオバトル」のような言語活動のパッケージを作ってしまう
(「ビブリオバトル」についてはこちら
「ビブリオバトル」の活動には、本の紹介が含まれるし、プレゼン能力も鍛えられるし、相手意識も必要だし。などなど、さまざまな価値が内包されている。
※「ビブリオバトル」の善し悪しは置いておいて。
凝縮されたパッケージの中にさまざまな思考や判断、表現が盛り込まれている。
このようにパッケージとしてセッティングしてしまえば、学習の流れを一気に作り出すことができる。
「実の場」とか「単元を貫く言語活動」というものは、本来こういう目的や方法が内包された学習のパッケージのことをいうのだろう。

「プロジェクト学習」の課題設定の方法や「パフォーマンス評価」の「パフォーマンス課題」からは多くのヒントが得られるかもしれない。