2013/02/15

エルサレムという街


以前書いたイスラエル旅行の記録から転載

イスラエルは実際に行ってみたら新たに知ったことがとても多く衝撃を受けました。
以下、私フィルターから見たエルサレムメモ。

・聖地エルサレム(旧市街)は城壁に囲まれた狭い地域の中にイスラム・ユダヤ・キリストの聖地が存在する。旧市街の中にユダヤ人地区、キリスト教地区、イスラム教地区、アルメニア人地区が仕切られている。
※写真をクリックすると大きくなります。
エルサレムの城門 ダマスカス門 ここから旧市街に入る

神殿の丘にはイスラムの聖地、岩のドームが輝く。
左やや奥にあるドームが聖墳墓教会

神殿の丘からゲッセマネの園を望む
・旧市街の最深部には神殿の丘がある。この神殿の丘にあるのが、イスラム教の聖地、岩のドームである。(かつてイエスが破壊したユダヤ教の神殿があったのもこの場所)
さらに、神殿の丘の側壁が「嘆きの壁」である。これはいうまでもなくユダヤ教の聖地だ。





・神殿の丘を下り、3分ほど歩くとキリスト教最大の聖地「聖墳墓教会」に行き着く。
「聖墳墓教会」までの道のりは「ヴィア・ドロローサ(嘆きの道)」という巡礼コースになっている。
イエスが捕縛され、むち打たれ、十字架にかけれて、死ぬまでの道のりである。(ゴールは聖墳墓教会)

聖墳墓教会内になる、イエスが十字架にかけられた場所


この教会内にはカトリック、プロテスタント、ギリシャ正教などさまざまなキリスト教の諸派の聖堂が建てられている。が、対立を避けるために正門の鍵の管理はアラブ人の一家族が先祖代々行っているという。

・聖地エルサレムはイスラエルの中でも「東エルサレム」と呼ばれる地域で、イスラエルにとっては「パレスチナ人地区」の一部、パレスチナ人にとってはイスラエルではなくパレスチナの一部。イスラエル。パレスチナ双方が領有権を主張、結論が出ていない。国際上もエルサレムはイスラエルの首都と認められていない。

 ・エルサレムは聖地というイメージとは違い、思いっきり「俗」な世界。アメ横みたいな商店街が狭い路地にひしめいている。その商店街はほとんどがパレスチナ人(イスラム教徒)のお店。(土産とか日用品とかとにかく何でも手に入る)


・狭い路地の間を、黒ずくめのユダヤ人、クリスチャン、イスラム教徒がそれぞれの聖地へと歩を進める。が、お互い全くの無関心で行き交っている。まさにカオス。

・エルサレムから車で10分も行けばパレスチナ自治区に入る。
現在イスラエルはパレスチナ自治区に「分離壁」と呼ばれるベルリンの壁のような分厚いコンクリートの壁を何層も囲い込んで、パレスチナ人を身動きできないようにして封じ込めている。
パレスチナ内にある「分離壁」


・一方、エルサレム内にもユダヤ人居住区である「西エルサレム」とイスラエル内のパレスチナ人地区である「東エルサレム」が存在する。(同じイスラエル国内なので壁はない)政府は西エルサレムを優遇し、東エルサレムとの格差はとてつもなく開いている。
イスラエル国内にいるパレスチナ人は納税などの義務はあるが兵役は免除されている。教育はパレスチナの教育を受ける。イスラエルの選挙権はあるが、誰も投票しない。(イスラエルの存在を認めたことになるので、抵抗として)
・イスラエル内には大量のユダヤ人が現在でも移住してきている。その中にはエチオピアなどのアフリカ系のユダヤ人も存在する。(ユダヤ人の中でも階級差が存在するようになってきた)

ユダヤ人は真夏でも真っ黒なフォーマルスーツを着用
・出生率はとても高い。子どもが6人くらいいるのが平均(パレスチナ人のガイド談)たしかに

・ユダヤ教は戒律がとても厳しい。土曜の安息日になると商店は休業し、バスやトラムも止まる。

・イスラム圏では現在ラマダン中。日中は断食をしているが、レストランなどは午後8時くらいから開け出す。
夜になるとイスラム教徒はエルサレムの聖地に集まり祭りのようなどんちゃん騒ぎを深夜まで行う。