2013/02/02

「不親切な文章」の傾向


相手の理解はお構いなしに、とうとうと説明する「不親切な文章」
自分の経験をよーくふりかえって、この「不親切な文章」の傾向を考えてみた。
国語教師として、それらの文章を矯正していくための学習活動を展開していかなければならないのだが、そのうち、傾向に応じた対策を考えていきたい。

「不親切な文章」の定義
相手が何がわからないか、何を知りたいと思っているかを無視した、独りよがりの文章のこと。

その原因
A、高踏的・独善的・閉鎖的な、性格や態度
・そもそも自分のことのみに関心があり、他者のことを考えていない。
・相手の理解よりも自己表現欲求が勝る
・難しい言葉や表現を使うほうが文章として優れているという発想がある。
・難しい言葉を使って自分の存在を誇示したい
・井の中の蛙で、内部の人だけが理解できる用語を使うことで、「内輪意識」を確認しあいたい。

B、他者に対する想像力の欠如
・読み手が特定できない
・読み手がどんな人間かについての情報が不足している
・読み手の理解度や興味・関心が分からない
・読み手の反応が読めない
・他者が自分と違う理解度やバックグラウンド、認知の傾向を持っているということを理解できない
・他者に対して分かってもらうまで手間をかけて説明しようと思っていない
・理解してもらうことは簡単だという思い込みがある

C、説明する事柄に対する無知
・知ったかぶり
・よく理解していないので、かみ砕いて説明できない。
・複雑なことを分節化して説明できない。
・やさしい語彙や表現に言い換えられない
・思考や発想の柔軟性がなく、さまざまな角度から説明をできない
・わかりやすく説明するための言語赤いている文章は技術が不足している

このような「不親切な文章」を書く書き手は、いわゆる高偏差値の人であろうと、そうでなかろうとあまり関係はない。
ある面では語彙力があり、教養もあり、書くことを苦にもせず、「学力」が高そうな人であっても、「不親切な文章」を書いてしまう人は現実には、いる。
それでは、「不親切な文章」を生みにくい学習活動とはどのようなものだろうか?

「不親切な文章」を生みにくい学習活動の視点
自分に、伝えたいものが明確にあり、それをわかりやすく伝える方法を持っていて、なおかつ、相手に伝わったかどうかの反応をフィードバックできる。こういう学習活動であれば、「不親切な文章」は生まれにくい。
反対に、伝えたいものがあいまいで、わかりやすく伝える方法がなく、相手の反応も分からないときには、不親切な文章を書いても検証できない。

だから、「不親切な文章」を減らすための学習内容としては、
1、伝えたい目的や事柄を明確にする、
2、わかりやすく伝えるための言語技術を獲得する、
3,読み手からのフィードバックを受ける。そしてそれに対応する、ということになるのか。
(根底には、人間はそう簡単には分かりあえないから、相手に対し、意を尽くして分かってもらう姿勢を持つことが大切、というモラル面の指導が必要かもしれない)

自戒を込めて発言するが、学校教育ではコミュニケーションを意識した作文教育はなかなか難しい。
自分が書いている文章は誰に向け、どんなメッセージを与えているか
読み手にどんな印象を与えているか
読んだ結果相手がどうなるか
そういう視点での書く学習は、学校のような「閉じた社会」の中では制度的に難しいのだ。
文章の読み手と言っても、とっても物わかりのいい国語教師か、ほとんど価値観や理解のバックグランドが共通しているクラスメイトか、どちらかというのがほとんどだろう。
教室を飛び出して、それ以外の相手に何かを伝えるという学習は現実的には難しい。
そういう限界がある。
だから、独りよがりの不親切な文章が生まれやすい土壌にもなっていると思う。