2014/05/03

「iPadと使った探求的な学習の実践」という研究主題にしてはいけない当たり前だけど見落としがちな理由

5年後、10年後残る研究とは?

大学院で先生から真っ先にいわれたのは、ICTのような最新の機器を使った授業を開発するのはいいけど、それを研究のテーマとして全面に出すのは、かっこわるい、ということ。
たとえば「電子黒板を活用した効果的な課題提示の工夫」とか「iPadと使った探求的な学習」というテーマは、今だったら、まあ、聞こえはいいかもしれない。しかし、このテーマが5年後、10年後、どう聞こえるだろうか?

たとえば、以下のような研究テーマが5、10年前にはあったかもしれない。けれども、それを、いまの人はどう感じるだろうか?

「OHPを使った効果的な課題提示の工夫」!

「8ミリビデオを活用した視聴覚資料の作成」!

「ガリ版による文集作成の効果的な方法」!


「石版と蝋石を用いた探求的な学習」!
石版は元祖タブレット!!

etc.(20代の人はほとんど知らないだろうなあ……)
でも、これって、今だったら「電子黒板を活用した効果的な課題提示の工夫」!とか「iPadと使った探求的な学習」!と同じことを言っているわけでしょ??

「最新の機器」を中心的なテーマにした研究は、あっという間に賞味期限が切れてしまう。よく言えばノスタルジックになる。悪くいえばださくなってしまう。そして忘れ去られる。
たとえ「最新の機器」を使った実践研究をしたとしても、研究テーマとしてそれを前面に出すのは戦略としては得策ではない。むしろ、その根底にある普遍的な学習観や授業観をこそ提案しなければいけないということなのだ。
言われてみれば当たり前なんだけど、結構見落としがちなことでもあるようだ。

……とかいいながら、「タブレット端末を使った授業、現場の声~便利すぎるのも考えものだ~」なんていうブログ記事を節操もなく書いていたりもする。