2014/08/22

大学で「特別活動論」をお話しする〜部屋と猫とルンバと私〜

特別活動論って何じゃらほい?
池田先生のご紹介で、京都橘大学の学生さんを前にお話しする機会をいただいた。
お題は「特別活動論」
池田先生「自分の得意なところで、どーんとやってください!」
というご依頼だったけど、正直不安もあった。
「特別活動? 何それ一体??」という世界なのだ。
いままで、そんな内容を専門的に実践したり、研究してきたわけではない。
一体何を、この私にできるのか……

私に与えられた時間は3コマ。270分。
その時間を、少しでも期待に応えられるだけの内容を用意しなければいけない。
また、たった3コマだけども、学生さんに少しでも「力」をつけて欲しい。「力」まではいかなくても「力を付ける」きっかけぐらいにはなって欲しい。
そう考えて、依頼をいただいてからずっと「私にとっての「特別活動』」をあらためて問い返していた。

今までの記憶を編集する
まず、今までの生徒たちの写真を引っ張り出してきて、どんなことがあったのかを思い出していった。
そして、物置をひっくり返して、初任の頃から作っていた文集や学級通信などをすべて見返していった。
さらには、〈これは最近のことだけど)ブログやフェイスブックなどで折々に書いていた「つぶやき」などで使えそうなものを拾い集めていった。 
これらを読み返しながら、子どもたちとともに生活してきた中で、教えられたこと、気づかされたこと、あらためて考えていったことを思い出し、書き出していった。
公立中で10年、その後の5年……やはり、しんどかったときの日々を自然に思い出す。
時間を忘れるほど読みふけった。(おかげで久しぶりに完徹してしまった……)
そして、あのときの、あの瞬間がありありとよみがえった。「あのときこうすればよかったのになあ」という、少しの(たっぷりの??)後悔と一緒に。

読み返しながら、「特別活動としてやったこと」を付箋に書き出した。
・学級通信
・つぶやきノート
・文化祭
・運動会
………

ルーツにぶち当たる
書きだしたものを、いくつかの柱を立ててまとめることにした。
分けてみては、しっくりいかないなあと直し、また別の柱で検討し……
いままでの経験をすべて出し切った。
逆立ちをしても鼻血が出ないくらいに出し切った。

そんなことを何度も繰り返していって、ようやく、一つの大きな柱が見えてきた。
「伝え合うクラス」
そうか、これだったんだ。私がやりたかったことは!!

妻に興奮しながら、自分の構想を語った。
「『伝え合うクラス』っていうテーマでお話ししようと思うんだけど、どうかなあ?」
「やっぱり、あなたの学級作りって国語っぽいよね……」
そうだよね。学級作りも、国語の授業も、その根っこはおんなじだったのだ。
何とか道を探そうと穴を掘り進めていったら、地下にもう一つの大きな穴が掘られているのにぶち当たった。「国語」という穴に。なんだかうれしかった。

特別活動だろうと、国語だろうと、私が子どもたちへアプローチしているのはおんなじだ。
その根っこのようなものの存在を、あらためて気づくことができたのはうれしかった。

お掃除ロボット「ルンバ」のシンプルさ
ちょっと脱線する。
教師にとっての試行錯誤は、お掃除ロボット「ルンバ」のようなものかもしれない。
〜こっからは、最近はまっているロボット研究の受け売りです〜
「ルンバ」のロボットとしてのプログラムは、実はとてもシンプルだ。
そしてそのシンプルが、あらゆるロボットのプログラムでも革命的なイノベーションを生み出しているらしい。

この辺の本。面白いよ。

『ロボット化する子どもたち 学びの認知科学』

ロボットのプログラムは、通常「こうきたらこうする」という「プロトコル」と呼ばれる行動パターンを入れ込んでいくというのがある。
お掃除ロボットの場合でいうと、掃除をしたい部屋の奥行きは、縦は何メートルで、横は何メートル。段差は……、などなど、こういったプロトコルを入れ込めば入れ込むほど、より複雑な、精緻な動きをさせることができる。
そういうタテマエで、ロボットの研究が進んでいる。
しかし、ここで思わぬ限界にぶち当たる。
どんなに「こうきたらこうする」というプログラムを入れ込んでも、現実はそれ以上に、とてつもなく複雑にできているのだ。(これを「フレーム問題」というらしい)
計算機や、将棋を指すプログラムよりも、掃除をするプログラムの方がずっと難しい。将棋のように、世の中は単純にはできていないのだ。
たとえば、いくら完璧に部屋の間取りをプログラムに入れ込んだとしても、その機械の前に、たまたま猫が寝ていたらもうお手上げだ。
「何時何分、何メートル先に、高さ40センチの猫が寝ている」ということまで、いちいちプログラムすることは不可能だからだ。だから、いくら完璧にプロトコルを入れようと、そのロボットは、「プログラムに書かれていないことはできないというプログラム」に忠実に従い、フリーズしてしまう。

一方、ルンバの場合はどうか。
ルンバのプログラムは、あきれるくらいに単純だ。
「壁に突き当たったら、引き返す。それを繰り返す」というプログラムだけだ。
しかしシンプルであるが故に、どんな間取りでも、猫の襲撃に遭おうとも、切り返すことができる。

私のシンプルなプログラム
わたしも、この十何年の教師生活をあらためて振り返ると、ぐるぐると回ってきたものだなあと思い返す。
その時々の状況と、子どもたちとに、右往左往したり、立ち往生したり、出直したり引き返したりしながら、必死にぐるぐると回ってきた。あたかも、猫にぶつかっては引き返すルンバのように。
でも、その構造は、突き詰めると笑っちゃうくらい、とってもシンプルなものだったのだ。
「伝え合うクラス」
そして、それは、いくつかのキーワードにまとめられる。
「沿いつつずらす」
「あこがれにあこがれる」
「子どもとともに学ぶ。子どもから学ぶ」
「うまい文章よりも、味のある文章を」
「『個』を際立たせる」
「自分にしか書けないことを、誰が読んでも分かる文章で」
「実の場を整える」
などなど。
国語も特活もごっちゃまぜ、関係ない。
むしろ、それらは、私にとっては「タイガーバーム」のような万能薬なのだ。
そんな、私の中の核となっているものを、あらためて、そのときの子どもたちの顔とともに、会話とともに、いま、振り返っている、とても幸せな体験をすることができた。

授業の構成
さて、大学の授業は次のような構成で進められた。
1時間目 「伝え合うクラス」
自分の特別活動に関する体験談をお話しする。

2時間目 ワークショップ「特別活動アイディア甲子園」
グループで特活のアイディアを考え、それをお互いにプレゼンし合う。

3時間目 2時間目の続きと、今日の授業を踏まえて、池田先生との対談

学生さんたちには、話を聞いただけで終わりにして欲しくはなかった。
特別活動を作ることがいかに難しく、いかに楽しいものなのかを実感して欲しかった。アイディアを生み出す勘所のようなものを知って欲しかったので、「特別活動アイディア甲子園」のワークショップは是非入れて欲しいと池田先生にお願いした。
(人数が130人というとても大規模な授業だったにもかかわらず、二つ返事で「面白そうですね、やりましょう!」と応えてくれた池田先生の度量の広さに感謝している)

授業の詳細については、またどこかの機会で書きたいとは思うけど、学生さんたちが真剣に「伝え合って」アイディアを練り上げている姿を見られたのは、とてもほほえましかった。
普段は中学生を相手にしているんだけれども、大学生だって、私にとっては、授業の中では生徒のような存在だ。学生さんたちの素直な反応に触れているうちに、私も肩の力を抜いて、いつもの中学校の教室と同じように語りかけ、また学生さんもそれに応えてくれたと思う。

さて、私なんかよりも、ずっと中学生たちと年齢が近い大学生なんだけれども、どれくらい教師の立場で特別活動をイメージすることができたのだろうか? どれくらい中学生の目線に立って、中学生のつぶやきを拾い上げることができたのだろうか?
たった一日では、知るすべはないのが少し残念だ。
いや、残念だと思えるだけの、素敵な学生さんたちと出会えることができてよかったと思うことにする。