2015/01/20

読書メモ『民主主義と教育』(随時更新中)

デューイ『民主主義と教育』をちびちびと読んでいる。
読みながら、この一冊は教育のあらゆる問題を根底から問い直している名著であるという予感を感じた。そこで、ちびちびと読みながら、主要なポイントと思われるところをこちらに書き出して備忘としておきたいと思う。
ちなみに所有しているのはこの三冊。
1冊目、岩波文庫版これが一番入手も容易。ただ、訳がかなり生硬で読みずらい。


そこで、次に入手したのが、人間の科学社・河村望訳版 。しかし期待していたほど読みやすくはなかった。


 結局、玉川大学出版部の金丸弘幸版に落ち着いた。これが現在邦訳で入手しうる最も読みやすい一冊だと思う。(が、それでも読みにくい文体であることは確かなので、英語に自信のある人は原文で読まれるといいと思う)

 
以下、原文よりチェックした個所をメモ。

序より
・この本は、民主的社会に込められている諸理念を見いだし、明示し、それらを教育という事業に応用しようとした一冊。
・公教育の建設的な目標や方法の指摘を含む。
・民主主義の発展を、科学における実験的方法の発達や、生物学における進化論の諸観念や、産業機構の再編成と結びつけ、これらの発達が指示する教育の教材や方法の変化を示そうとする。(進化論的、弁証法的な教育観)

第一章 生命(ライフ)に必要なものとしての教育
「生命(ライフ)」とは、環境への働きかけを通して、自己を更新していく過程。
「生命」の連続とは、生物体の必要に環境を絶えず再適合させていく過程。
「生命(ライフ)」とは慣習、制度、信仰、勝敗、休養、職業を含む。
「経験」に対しても、更新による連続という原理が当てはまる。
人間の場合には、肉体的存在の更新に、信念や理想や希望や幸福や不幸や慣行の再生が伴う。そんな経験でも社会集団の更新を通じて連続する。
社会集団を構成する各成員が生まれ、そして死ぬという根本的な不可避の原理が教育の必要性を決定する。
社会は、生物学的な生命と全く同じ程度に、伝達の過程を通じて存続する。この伝達は年長者から年少者へ行為や思考や感情の習慣を伝えることによって行われる。
社会は伝達(transmission)によって、通信(communication)によって存在し続けるばかりでなく、伝達の中に通信の中に存在するといって良いだろう。
共通(common)、共同体(community)、通信(communication)という語の間には単なる言語上の関連以上のものがある。
人々は、自分たちが共通に持っているもののおかげで、共同体の中で生活する。また通信(communication)とは、人々がものを共通に所有するに至る方法なのである。
共通の目的を知っており、それに関心を持っており、そのためにそれらがその共通の目的を考慮しながら自分たちの特定の活動を調整するならば、それらは共同体を形成することになる。
目的の共有と関心の共有
あらゆる通信(communication)は教育的である。
共に生活するという過程そのものが教育を行う。その過程によって、経験が拡大され、啓発される。想像力が刺激され、豊かにされる。言明や思想を正確にし、生き生きとしたものにする。
他の人々と共に生活することから受ける教育(非制度的教育)と、計画的に子どもを教育すること(制度的教育)との間には著しい差異がある。
教育哲学が取り組まなければならない最も重要な問題の一つは、教育のあり方の非制度的なものと制度的なものとの間の、付随的なものと意図的なものとの間の、正しい近郊を保持する方法である。
communicationとは経験を分かち合っていく過程。
人間の共同生活のあらゆる様式の奥深い意義は、それが経験の質を改良するために貢献すること。

第二章 社会の機能としての教育
社会集団に広く行き渡っている関心や目的や観念を共有するに至るまで、経験の質を変えていくこと。

一定の反応を呼び起こす際の環境からの作用。
生活環境は、その人の中に一定の行動体系や行動傾向を作り出す。
環境は、ある生物に特有の活動を助長したり、妨害したり、刺激したり、抑制したりする諸条件から成り立っている。
生活は、単なる受動的生存に過ぎぬものではなく、行動の仕方を意味するものであるからこそ、環境または生活環境とは、この活動の中に、それを維持したり、挫折させたりする条件として入り込むことを意味する。
訓練と教育とを分けるのは、それに「参加」しているかどうか。
社会的生活環境は、一定の見たり触れたりすることの出来る具体的な行動様式を刺激するような状況を設定することが最初の段階である。そして、個人をその共同活動の参加者すなわち仲間にして、彼がその成功を自分の成功と感じ、その失敗を自分の失敗と観ずるようにすることが、その完成段階なのである。

言語は観念を伝え、獲得するために用いるが、事物は共有された経験すなわち共同の活動において用いられることによって、意味を獲得するという原理の拡張である。
言語が共有された状況の中へ要素として入り込まないときには、意味すなわち知的価値を持つものとしては作用しない。

社会的環境とは、一定の衝動を呼び覚まし、強化し、また一定の目的を持ち、一定の結果を伴う活動に、人々を従事させることによって、彼らの中に知的および情動的な行動の所特性を形成する。

環境からの無意識な影響の例……言語の習慣、行儀作法、良い趣味と美的鑑賞眼

特殊な環境としての学校
未成熟者がその中で行動し、それゆえ、そこで考えたり、感じたりするところの環境を統制すること。環境によって間接的に教育すること。
社会の伝統が非常に複雑になって、その社会的な蓄積の相当な部分が文書に書き留められ、文字記号によって伝達されるようになるとき、学校が出現する。
文書には日常の生活には比較的に縁の無い事柄を選んで記述する傾向がある。
学校の特徴
1、部分に解体され、漸進的な段階的なやり方で少しずつ同化させるため、単純化された環境を提供する。
2、価値のない諸特徴を出来るだけ取り除く。
3、いっそう広い環境に活発に接触するようになる機会を設定する。