2013/06/06

「車輪の再発明」を通して教師は熟達する

今日知った言葉「車輪の再発明」
【車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)】
車輪を題材にした慣用句であり、世界中で使われている。「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を知らずに(または意図的に無視して)、同様のものを再び一から作ること」を意味する。

「教師あるある」で、自分が見いだした新たな方法とか開発したと思い込んでいた方法を、よくよく調べてみると、以前自分が読んだ本だったり先行実践ですでにやられていることがわかってがっかりすることがよくある。
しかし、見方を変えれば、教師は「車輪の再発明」を繰り返していくことで、熟達していくともいえなくはないのでは?とも思うのだ。
すでに開発されている方法を、我がものとするために組み替えていくことで、一歩ずつ成長していくものなのではないか。
教育方法にも「個体発生は系統発生を繰り返す」プロセスが、ある程度は当てはまるのではないかという思いを最近感じている。
教育方法は、ノウハウやスキルの上澄みだけ取り入れても、あまりうまくいかないことがある、
やはり、目の前の現場で、実態に応じ、自分の体を通して組み替えていく、「車輪を再発明」していくような迂遠なプロセスが求められるのだろう。
多くの先人が言っている「同じことは二度実践しない」とか「人のまねはしない」、「技術だけを学んでも無意味」などという実感は、すべてこれにつながっているのではないか。
昔、なぜ「定石発問」があるのに「見開きで百の発問」を勧めるのが、矛盾していると思っていた。
しかし、今にして思うと、それは「車輪の再発明」をする行為なのだと思い至った。
教師にとっての「車輪の再発明」の意義を考えてみたい。