2014/06/15

「何がわからないか」がわかれば一人前

「子どもの論理に気付く」という「省察」はありか?

「省察」≒「自らを振り返ること」、はとても広い概念なので、いかようにも解釈できてしまう危うさがあると思う。
やはり具体的な観点(見方、視点)をもっと打ち出していかないと、効果的ではないのではないかと思う。
その観点として欠かすことのできないものの一つが、「子供の論理に気付く」ということ。「子どもがどのように考えているか、何がわからないかに気付く、考え続ける」ということではないか。

ある小学校での実習生指導での話。
小2の算数の授業を実習生がすることになった。
事前に指導教官は、子どもたちは筆算をしたときに、たとえば「5」と書くべき答えを「05」のように、あたまにゼロをつけてしまうからそこを気をつけてね、と実習生に伝えていた。
しかし実習生は「まさか、そんなことしないですよ、はは」と聞く耳を持たない。
で、授業。
案の定、子どもたちは「05」を連発。
実習生もそこを丁寧に教えなかったので見過ごしてしまった。
事後の反省会でも「なんでゼロをつけちゃうんでしょうねえ」と実習生はあきれていた様子だった。

この事例から、未熟な教師は、以下のような思考をしがちだということが推察できる。

・子どもがどこが間違うのかがわからない
(まさか「05」と書く児童がこんなにいるなんて!)

・子どもがなぜそうするのかがわからない
(子どもなりの論理や筋道で「05」という解を導き出しているのだけれども、子どもの論理にまで思いが至らずに「間違ってる」と思考停止している)

・そもそもなぜ「05」と書いてはいけないのかがわからない。
(算数の表記のルール、原理や法則性を理解していないので、「05」と書かないことが普通で当たり前だと思いこんでしまっている)

だから、効果的な教え方うんぬんを論じることはもちろん重要だけれども、子どもがどのように思考するのか、どんな論理を持っているのかをとことん考え続ける「省察」こそ必要なのではないかと思う。