2014/06/11

学習指導案には「目標」や「目的」を書いてはいけない?

学習指導案をなぜ書くか?
学習指導案は必要か?
毎時間の授業には必要ない、しかし書く経験は無駄ではないと思う。
学習指導案を書くことで見えてくるものは確かにある。
教材研究のプロセスを掴むという意味では、あの決まり切った形に書く意義というのもあると思う。(フォーマットの善し悪しはあるけれど)

最近、あるところで、学習指導案などに「目標」とか「目的」はあえて明示しない(書かない)方がいいという意見を聞いて衝撃を受けた。
学習の目的よりも学習の「価値」を書くべきだというのだ。
目的を設定すると焦点は絞られるが、その目的にしか教師の評価の視点が向かない恐れがあるからだ。「価値」なら豊かに広がる可能性がある気がする。

「目的」には従属する「手段」が付随する。「価値」には、「手段」は付随しない。
学習することは何かを得るための手段ではなく、学習することそのもののなかに豊かな価値が内包されるものなのだ、という主張だ。
たとえば、「読み聞かせ」を教室で取り上げるとして、「目的」は? 「目標」は?という発想はあまりなじまないと思う。
しかし、「読み聞かせ」を授業で取り上げることには確かな「価値」がある気がする。
何かのためというあざとい「手段」ではなく、「読み聞かせ」そのものにはかけがえのない価値があるのではないか、その直観的につかんだ「価値」をこそ、教師が具体的に言語化し、明示する方が、ずっと子どもたちの学習を豊かにとらえることができるのではないかということなのだ。

なぜこれを学ぶのか、そこにどんな意味や意義があるのか、という「価値」。これを意識していないと省察のサイクルが回らない。
目的ー手段だったら、その目的に対して、うまくいったかいかなかったかということしか授業者には関心が向かない。
授業(学習)の「価値」ととらえれば、それぞれの学習者にとってどんな価値(意味)が生まれたかという視点に授業者の思考が向く。