2014/02/11

『魔女狩り』森島恒夫著(岩波新書)を読んだ

中世ヨーロッパで猛威をふるった「魔女狩り」。
なぜ行われたのか? それがどのように行われたのか?
以前より興味があったが詳しく知るきっかけがなかなかなかった。
今回この一冊を読んで「魔女狩り」についてイメージしていたこととえらく違っていることが多く驚かされた。

一番驚いたのは、魔女狩りが、「合理主義とヒューマニズムの旗色鮮やかなルネサンスの最盛期」に起こり、しかも宗教改革の機運とほとんど時を同じくして流行したということだ。
さらには、当時の一流の知識人や、ルネサンスの科学者たちも率先して魔女狩りに賛成している。魔女狩りを行ったのはカトリックだけでなく、プロテスタントも率先して行っている。
このように、最も「不合理」な蛮行が、滑稽なほどに「理性的」に進められたという事実には驚きしかない。(ナチスによるホロコーストもこれと似た構造なのだろう) 魔女が「合理的」に、神学的に定義され、そして裁判にかけられる。もちろんそれには現在の裁判と同じく弁護士もいる。(当時の拷問や裁判の記録が詳細に残っているのは、そういう「理性」のおかげでもある)
この本では、魔女狩りの拷問の様子や、凄惨な処刑の描写などを、冷静な筆致でこれでもかというほどに表現されている。(そういう「魔女狩り」についての好奇心を満足させる意味では、期待以上の一冊だった) 一次資料や貴重な文献からの引用も多く、資料性に優れている。日本において「魔女狩り」をしるためには最重要な文献の一つであるだろう。

筆者はこう述べている。

魔女裁判の後を振り返ってみて、しみじみ感ずることは、魔女裁判(いや、それを含めて宗教裁判一般)を一貫している「モラルの倒錯」である。そこでは、残虐、違法、偽善、欺瞞、貪欲、不倫、軽信、迷信、歪曲、衒学、……およそ思い浮かべられる限りのあらゆる不義、悪徳が、むしろ正義、美徳として、何のためらいもなく、確信に満ちて堂々と行われているのである。この確信が、あらゆる不義と悪徳を正当化している。
科学は宗教の敵ではなくむしろ宗教を高めるものであり、科学の敵は宗教ではなく神学的ドグマである。
「人間は宗教的信念をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に悪を行うことはない。」(『パンセ』)
そして、この一言で本を閉じている。
しかし、「新しい魔女」はこれからも創作され、新しい『魔女の槌』の神学が書かれるかもしれない。

以下メモ

  • 魔女裁判は異端審問の一つとして発展した。異端審問が過激化する以前は、魔女は民衆の中で存在していると考えられていた。(日本の妖怪のようなもの?)そして、それはそれほど問題とはされなかった。しかし、「異端」に対する風当たりが厳しくなり、カトリック教会が絶対的な権力を握るようになってからは、魔女も異端の一つとして裁かれるようになった。
  • 魔女が悪さをしたから法律で罰せられる、というレベルから、そもそも魔女だから死刑、というように過激化していった。
  • 魔女の立証は困難。魔女は体に悪魔の噛み傷がつけられているということから、それを針で刺してチェックする職業の人もいた。(悪魔の刻印は無痛らしい)
  • 魔女の逮捕は密告による。そして魔女かどうかの決め手は本人の自白。その自白はほとんど過酷な拷問によって「白状」させられた。そして自白のあげく、関係者の密告も推奨したため芋づる式に魔女がしょっ引かれていった。(拷問を慣習的に行っていなかったイングランドでは、諸外国と比べて魔女狩りの被害が極端に少なかった)
  • 魔女狩りというが、処刑されたのは男性も多い。
  • 魔女狩りで処刑された人の遺産は、教会や異端審問官などの役人が没収した。金持ちを魔女として処刑すると遺産を総取りできるので、魔女狩りを「新しい錬金術」とうそぶく僧侶もいた。じじつ、魔女の処刑による財産没収を禁じたら魔女狩りが激減している。
  • 魔女狩りが最も盛んだったのは、実はルネサンスの時代である。ケプラーの母も魔女狩りの被害者であり、ガリレオも異端審問(宗教裁判)にかけられている。
  • 魔女狩りはカトリック(旧教)が率先して行ったようなイメージがあるが、プロテスタント(新教)も猛烈な魔女狩りを行っている。
  • 近代的なルネサンス運動と、宗教改革運動とは、その開始から消滅に至るまで中性的な魔女裁判とその時期を同じくした。
  • 魔女狩りの背景にはペストの流行や教会の堕落など社会的な不安があった。
  • 「世界国家」としてのキリスト教的ヨーロッパの聖俗両界の権力的支配者が力を失い、異端審問などを必要としなくなった結果、魔女狩りも終息していった。