2014/02/09

助け合わなくていいと助けない

 千葉でも週末30年ぶりとかの大雪が降った。
大雪が降った次の日、新鮮な驚きがあった。
ご近所さんが総出で道の雪かきをしているのだ。
私が外に出た11時くらいにはもうすっかり地面の舗装が見えるくらいまでキレイに雪が無くなっていた。もちろん、私の家の前以外は。
そして我が家以外はみんな外に出て、ワイワイとスコップで雪かきの作業をして居るではないか。
私が夫婦で住むようになったのは五年前。普段は共働きで、夫婦とも帰ってくるのは夜だから、ご近所さんとのつきあいは皆無だ。恥ずかしながら、5年たって初めてご近所さんの顔を見た人も居るくらいだ。

しかし、ご近所さんがこんなに徹底的に雪かきをしているので、私も重い腰を上げて雪かきをすることにした。初めは玄関と車の前くらいでいいかなと思ったけど、結局ご近所さんと同じクオリティーまで雪かきをせざるを得なくなってしまった。
私にとっては、ほとんど生まれて初めての雪かき。(30年ぶりの雪だから当然だ)想像以上に重労働だなと思った。すぐにへこたれてしまって、投げ出したくなったけどご近所の手前、結局最後までやりきってしまった。

普段は、地域のコミュニティーというものの意識をほとんど持っていない。しかし、こういう非常時になると、コミュニティーというものを意識せざるを得なくなる。
しかし、もし、ご近所が雪かきを全くしない人たちだったら、自分もこれほどまではやらなかっただろう。ご近所に助けてもらい、自分でも他の人に悪いから、ある意味仕方なく体を動かしたのだ。
コミュニティーのつながりというのは、「してくれたからしてあげる」「してあげるから、あなたもして」というような互助の関係が基本だということにあらためて気づかされた。
普段は助け合わなくても日常生活には全く支障が無い。そうなると、コミュニティーなんて煩わしいだけで必要なくなる。しかし、それが必要となった時に、生まれてくるものなのだ。
こういうコミュニティーは、県や市の自治体が推進する「公共サービス」だけでは決して生まれては来ないだろう。公共サービスの充実は、一方では自治体以外からは「頼らなくても生きていける」状態を生んでしまう。(今の私のように)お客様意識ではコミュニティーは生まれてこないのだ。かといって、自治体が何もしないというのも困る。

公共サービスが不足している地方や過疎地のようなところの方が、コミュニティーのつながりという点では強いのかも知れない。皮肉なことだが。