2014/02/03

「便利さ」は子どもや教師の成長を助けるか?

大学院の授業「学級経営研究」
今日は最終回。小グループで今まで学んできた内容を本に、フリーディスカッションをした。
小学校、幼稚園の現職の先生、スクールカウンセラー、そしてストレートマスター2名とさまざまな立場の人が集まってとても有意義だった。
そこで話題に出たことは三つ。

一つ目。遊べない子どもが増えてきたということ。
放課後などに近所の子どもたちが集まっても、一人一台ゲーム機をもって、黙ってゲームをしている。外で走り回って遊ぶ機会が少なくなっていて、声をかけたり、体を使って関わり合うことがなくなっている。
学校の休み時間になっても、ゲーム以外の遊び方を知らないので、じっとつまらなそうに座っている。
そしてそんな子ども時代を送った人が教師になりつつある。

二つ目、マニュアルが通用しないと気づくことから、教師の成長がはじまるということ。
ある学生は、研究室で若手教師向けのマニュアル本についてプロジェクト研究をしている。調べてみると、本屋には教科教育だけでなく、学級経営や親との接し方など、ありとあらゆるマニュアルがあることに驚かされたという。
で、、学生さんが、現職の先生方に「マニュアルって読んだんですか??」という素朴な質問。
もちろん、みな、若手時代はいろんな本を読んで勉強をした。
が、マニュアルでは通用しないことにいやというほど直面をし、失敗を繰り返す。
そこから、マニュアルを脱し、自分の足で立ち、覚悟を決め、勇気を出して、試行錯誤の実践を繰り返していくことになる。
若手のうちは、マニュアルなりハウツー本をいっぱい読んで、得意技や持ちネタを増やしていくことは必要だろう。しかし、それが金科玉条となり、教育に対する考え方や、子どもを見る視野が狭くなってしまうのなら本末転倒だ。
マニュアルの限界を知り、それを脱することから教師の成長が始まる。
試行錯誤をしながら、そばにいる先生方のやり方をまねてみたり、悩んでいることを質問し、アドバイスを得ることで、より、目の前の子どもの実態に即したリアルな学びが得られる。自分の身の丈に合った成長ができるのだと思う。そうやって自分の教師としてのスタイルを磨いていくのだ。

三つめ、若い先生は職場で弱音を吐けないということ。
ある学生の同級生は、新採一年目で教員を辞めてしまったという。そのような事例は本当に多いという。
若手の先生が行き詰まってしまう原因はさまざまだが、ある先生曰く、最近の若い先生は「相談をしない」「弱音を吐けない」という傾向があるのだという。先輩の先生が心配して「大丈夫?」と話しかけても「大丈夫です!」といって自分の弱みを見せようとしない。そして、にっちもさっちもいかなくなって、問題が大きくなってしまうってから泣きつくことがよくあるのだと言うことだ。
これは、若者の気質だけの責任ではないだろう。
先輩の態度だって問題があるかも知れない。
そもそも、多忙でじっくり話せない職場の問題とかもあるだろう。そうなってしまうお互いのコミュニケーションが不足しているのだ。

しかし、先ほどの「遊べない子ども」や「マニュアルに頼る教師」の例とも、実は根は同じかもしれない。
子どもたちが遊ぶゲームも、教師が参考にするハウツー本も、やりたいことを手助けする「ツール」であることは間違いない。ゲームがあったり、マニュアル本があることで、世の中はどんどん便利になっていく。しかし、その「ツール」が介在することで、人が育つ最も基本的な要素である、コミュニケーションとか、伸びあう環境が痩せてきてしまっているということは言えないだろうか?
教師が(あるいは子どもが)伸びあう環境を、学校でどのように作っていけばいいのか。
便利な「環境」が整えば整うほど、痩せていく「環境」
このことの難しさに直面させられる話だった。