2015/08/04

寸鉄は人を刺すか?

何かを批判したい、物申したい、意義申し立てをしたいとする。
そのときに、どの程度の「文の長さ」なら効果的に伝わるのか。
ここで問題にしたいのは「内容」ではなく、あくまで「文量」だ。
話し言葉なら、大声で叫ぶ、目を怒らせるなどの身体的な表徴でそれを伝えることはできる。しかし文字言葉ではそれはできない。デジタルの場合、字の大きさも均一だ。
長く書けば書くほど思いが伝わると思いきや、どうもそうではないと感じているのが私の予感。
相手に読む気をなくさせるような文量では意味がない。
かといって、短いスローガンや練りに練ったキャッチコピーでは、受け手が噛み砕く必要があるものはスルーされる可能性もある。
寸鉄は必ずしも人を刺さない。
反対に、内容なんてほとんどないような(シャれじゃないよ)いちゃもんも、たくさんの文量がならんでいると「こりゃ、相当な批判だなあ」とか「批判が盛り上がっている」と印象付けさせることがある。
読み手にじっくり考えさせるより、読み飛ばされても、雰囲気を感じさせたい場合、長々と言葉を羅列する「言葉のデモ行進」という手法もあるかもしれない。
要は、内容よりも量なんじゃない?
量って重要だよね、書いたもん勝ちだよね、という時代になっているような予感がするのだ。
紙時代の書き言葉は「原稿用紙何枚」ってあらかじめ文量が決められてから書くものだった。しかしデジタル時代に突入し、文量はほとんど無限大にまで膨れ上がった。だれでも、どんな内容でも、書きたいだけかけるようになった。
だからこそ、読みとばされるわけだし、書きなぐらせてしまう時代になった。
そんな時代の「寸鉄」とは、一体何文字くらいが適切なのだろうか。