2015/08/22

ギャンブルには夢があるか?

空襲から命からがら生き延びた、まんじゅう屋の祖父は、若い頃よく千葉けいりんに入り浸っていたそうだ。
我が子(つまり私の父)が盲腸になって、のたうち回っていたとき、その手術代を稼ぎ出したのも千葉けいりんだった。そんな祖父の博才に由来する武勇伝を、89歳で亡くなるまで私は何度となく聞かされた。
博打もまんじゅう屋もいまいちで、結局店を潰した子(つまり父)は、やはり若い頃パチンコにはまっていた。私もよく京成千葉駅のパチンコ屋に連れられていったことを思い出す。
しかしある時期から父は、ぱたっとギャンブルから足を洗う。それは、パチンコにはまる自分のそばで、幼い我が子(つまり私)が、床にはいはいしながら、落ちている銀玉を拾って打ち出そうとしたのを見たからだったという。
そんな父は、現在では宝くじを買うのをささやかな慰みとしている。
会うたびに「東京のマンション買ってやろうか?」が口癖だ。「こんど、サマージャンボ当ててやるからな!」というおまけつきで。
きっと、パチンコも、宝くじも、競輪も競馬も、一切やらない人生だったら、ずっと色々ものにお金使えただろうなあ、勿体無い!と思うんだけど、もちろんそんなことは口が裂けても言えない。
私はギャンブルには手を出していないけど、それにはまる理由は遺伝的に理解している。
きっと、欲してるのはお金ではない。いわんや未来ではない。結果が明らかになるまでのつかぬまのひととき、今、わくわくしていたいという気持ちなのだ。
だから父は「宝くじを買ったよ」ということは言うけど「当たったよ」「外れたよ」という結果を話すことほとんどない。本人も、買ったという今、期待しているというひととき以上に、当たり外れの結果にはそれほど関心がないのかもしれない。
でもいつか東京のマンションを買ってほしいと、子供はひそかに期待している。