2015/08/25

国語の話し合いと社会の話し合いでは何が違うのか?

「言語活動の充実」が言われ出してから、それぞれの教科で話し合い活動が取り入れられるようになってきた。
国語以外の教科の授業で話し合いの活動を参観する機会が増えた。他教科の授業で話し合いが行われていると、私はつい国語科的な視点で見てしまう。
国語科と、他の教科での授業での話し合い活動は何が違うのだろうか。
私が最も感銘を受けたのは、ある社会科の授業だった。
その授業では、原発問題について、グループで解決策を話し合う活動をしていた。でも、やはり問題があまりにも難しく、話し合いは一向に進まない。ついに黙りあってしまうグループもあるほどだった。
授業後、国語科の私と、社会科の先生の授業に対する評価は正反対なものだった。
「あれだけ沈黙して考えることができたから、この課題はよかったんだ」と。
国語科的な視点で話し合いを考えると、どうしても、教師はあの手この手で話をさせようとする。発言が止まってしまったり、盛り上がらなかったりしたらひやひやしてしまう。しかし、社会科の授業ではそうではなかった。
話している言葉の量、会話の盛り上がりではなく、どれだけ真剣に考えていたか、課題と向き合おうとしていたかを問題にしていたのだ。だから黙っていても思考は働いていればいいし、表面的な発言量は問題にはならないのだ。あの社会の授業は、話し合い活動について目を開かされた出来事だった。