2013/01/28

「子どもも教師も前向きになる評価のあり方」の課題


評価なきところ印象はびこる~評価についての一考察~

評価について最近考えたことをまとめる。

1、評価について考えたくない??心理について
評価の研究は、何となく「後ろ向き」のイメージがある。
評価の研究をするくらいなら、もっと面白い教材を開発している方がよい。
評価をすればするほど実践がやせ細る。
実際に耳にしたことがある評価についての批判である。
これほど重要だと皆が認めておきながら無関心な領域もない。

そのほか、評価について考えたくなくなるような、次のようなつぶやきもある。
評価の資料を集めるのが煩雑だ。
どのように、何を評価したらいいのかわからない。
果たして自分に評価ができるのか?
公正公平な、客観的な評価はできるのか?
5年後、10年後力が付いたかどうかを、現在評価できるのか?
評価するということは、子どもの可能性を限定してしまわないか?

2、評価についての考えたいこと
評価について、現場レベルで取り組むべき喫緊の課題は、
「子どもも教師も前向きになる評価のあり方」だろう。
どんな評価法が子供を伸ばすか、
どんな評価法だったら負担感なく、なおかつ妥当な評価ができるか?
どんな評価法だったら教師の授業改善のモチベーションがあがるか?
評価の負のイメージをポジティブな営みとしてとらえ直すとしたらどのような発想が必要か?

3、研究者の視点
という発言をあるところでしたら、大学の研究者として活躍しておられる、無藤先生、黒上先生から以下のようなコメントをいただいた。

無藤先生(白梅学園大)
「教師は、相手が,5分先か、1年先かはともかく、なってほしい状態をかなり具体的に思い描き、それに向けての働きかけをする。
それは通常の人間関係とやや異なるもので、そこに評価と指導という二つの教師の専門的働きがセットになるゆえんがあるのでしょうね。」

黒上先生(関西大)
「根源的な話をすると…人と接するとき,必ず相手を評価しています。
評価を否定する人も,必ず自動的に子どもを評価しています。
でなければ指導なんてできません。
そういう評価の良いところを活かして,主観的に過ぎて歪んでいる部分を剪定するような評価の仕方が大事なのだと思っています。
そして,それが,指導という目的的な活動に沿うようにするための工夫も必要なのだと思っています。
評価を否定する気持もわかりますが,その人(あるいはかなり多くの普通の人々)の評価のイメージが問題なのでしょうね。
あまりに負のイメージがつきまとうなら,言葉を変えるという手もあるかも知れませんね(私は嫌ですが)。」

4、評価をどうとらえ、どう実践していけばよいか、その3つの視点
視点1 質的評価と量的評価の特質を理解し、使いこなすことが重要。
教育評価の本質は「質的」なものであること。
「量的」な評価が客観的で正しいという思い込みを捨てる。
すべての評価は、「相対的」に、正しかったり客観性があるに過ぎない。
重要なのは、「信憑性」があるかどうかである。
評価は、他ならぬ人間が、人間を評価するわけだから、もやもやしていいんだ。
もやもやしているものなんだ。
質的研究の考え方による評価はそういう、もやもやを自覚する営みでもある。
そのもやもやを、どう束ね、相手に了解できる形で表現するか。信憑性をもたせるか。
そこに評価の大きな課題がある。

視点2 教師が見ようと思うものしか見えない。
何かを見ると言うことは、何かを見ないと言うことでもあること。
ルビンの壺
ルビンの壺のように、何かを見るということは、何かを見ないということでもある。
何かを見ない(評価しない)という断念がないと、何かを見よう(評価しよう)ということはできない。
教師のしている行為(教育活動)は何を意図しているのか?
教師のしている行為(教育活動)によって子どもがどんな姿になって欲しいのか?
それをどのような観点や方法で見取るのか?質的か?量的か?
その結果、何が見えて、何はわからないのか、何を断念したか。評価の範囲や限界を自覚することが必要だ。









これは何に見える? 何に見えない?
















視点3 子どもの理想像をイメージできることが必要であること。
それは評価者(教師)の力量に大きく依拠するということ。
教師の意図や、理想像というフィルターがあって、はじめて評価という行為が成立する。
教師の意図がないぼんやりとした活動であれば、子どもの何を見たらよいかはわからない。
教師が理想を描き、それを目の前の生徒に当てはめたり、イメージすることなければ、それは評価ではなく感想であり、印象批評にすぎない。
その意図や理想をどこにおくか、理想像をどのような姿にイメージするかが教師の評価の力量の一つだろう。
結局は、自分(教師)の身の丈にあった評価しかできない。生徒を評価することは自分自身のちっぽけな教育観をふりかえることでもある。だからこそ、教育(授業)の大きな可能性を信じ、イメージし続けること、試行錯誤を繰り返すことで、自分のちっぽけな教育観(評価観)を更新していかなければいけない。

5、「子どもも教師も前向きになる評価のあり方」の課題
課題1 評価のさまざまな方法とその特徴を理解する。
質的・量的評価のさまざまな方法を、現場の先生が理解し、それを使いこなせるようにする。
とくに、質的研究のさまざまな手法を知ることで、現場レベルでの評価法は大きく前進することができるだろう。

課題2 子どもの見方を学ぶ
子どもの学ぶ姿や成長をどうやって見ればよいか、その見方、マインドを体得する。
熟達した教師がどのように子どもを見ているかを学び、知見を活用できるようにする。

課題3 子どもへのフィードバックの方法を学ぶ
どのように子どもへ評価結果を返していく(フィードバック)のが効果的か、その方法を開発していく。
教師の声かけや通知表の所見などの方法も含め、コーチングやファシリテーションなどのさまざまな技術や知見を活用することができるだろう。

課題4 手間のかからない、効率的な評価方法を開発する
簡便で、誰でも手軽に取り組める評価方法を開発する。
ノートチェックの方法、ポートフォリオの活かし方、自己評価と連動させた評価、パフォーマンス評価などのさまざまな評価法の日常的な実践例の掘り起こし。そのノウハウを共有する。

「授業時間内」に評価をする工夫を開発したい。
「指導と評価の一体化」というのなら、授業時間内に評価をするのは当たり前のことだ。
(もちろん、ほめたりなどの声かけは日常的に行っている。
それらの評価をいかに意識的、意図的に行うか)
評価は授業後にやったり、家に持ち帰ったりしなければできないようなものではないはずだ。
ある程度は仕方がないにせよ。
観点を絞り、評価手法を吟味し、授業時間内でフィードバックを返す。
全員なくても、一部の観点でも、授業時間内でできる範囲の評価を積み上げていく。
「授業時間内で」っていうのがポイント。
なんとか突破口はあるはずだと思う。