2013/01/01

ニンゲンは犬に食われるほど自由か? ~インド文化私観~

12月31日までインドに旅行してきた。
学生時代に1ヶ月一人旅をしたときから、じつに14年ぶりの再訪となる。(今度は妻も同伴)
忘れないうちに、起きたこと、感じたことを書き留めておこうと思う。
インドに行ってみたいと思っている人にとって、多少は参考になる?かもしれない。
観光地などのことは「地球の歩き方」などのサイトでも十分情報が得られるだろうから、それ以外の、インドのいくつかを。
インドの硬貨、いいねボタンみたい。文盲対策?

◆旅行のスタイル
今回の旅行は夫婦二人+インド人のガイドさん(それにドライバーや現地のガイドが時々付く)スタイルでのツアーだった。(旅行会社はパラダイス・ツアーズというインド旅行専門の旅行業者)
学生時代に行ったときは、貧乏旅行のバックパッカーでうろつき回っていたんだけれども、今回は短い時間で色々なところを回るために、ガイドが同行するスタイルを選択することにした。
インド人のガイドが同行することの最大のメリットは、インド人の生活や文化について、あれこれ質問ができること。今回の旅行でも、いろいろなお国事情を知ることができて大変興味深かった。
(ちなみに、私たち夫婦についてもらったガイドさんは、インド人らしからぬ??とーってもきめ細やかに対応してくれる超優秀なガイドさんだったので、もしインド旅行を検討している人がいたらこのガイドさんを紹介します。連絡ください)

◆いやな目に遭う→やりとりを楽しむ、へ。
最初に言っておく。
基本的に、インドに行くとお金関係でいやな目に遭う。
たとえば、
おつりを100ルピー(200円)ちょろまかす。
チケット売り場でおつりがないと言われ、怒ると渋々ポケットから出す。
一方的にガイドをし始め、終わったら寄付を要求する。
はい握手~と手を握ってきて、いきなりそのままマッサージを始めるおやじ。
見るからに怪しげな乞食修行僧(サドゥー)
などなど。
とにかくしたたかで、がめついのがインド商人だ。
インドは物価はとても安いが、それにつけ込んで、観光客には金額を大胆にふっかけてくる。
だが、適正金額は、インド人の目線に近づいてくると、なんとなくわかるようになってくる。
ときには日本の100円が、インドでは500円にも、1000円の価値にも感じられることがある。

工事現場の傍らで大道芸。道行く人が10ルピー(20円)投げていく
ヴァラナシではとても日本語を上手に操って話しかけてくる若者がいる。
ガイドよりもずっとうまくて話題が豊富だったりする。よく話を聞いていると、そのうちお土産屋やシルク屋の話題に変わって……と、つまりは客寄せだったわけで、最初のうちは、そういう、なれなれしく話しかける若者をうっとおしいと思って無視していた。
しかし、話しかけてくるインド人と積極的に会話するように心がけることにしたら、とても旅行が楽しくなることに気がついた。
インド人にとっても、日本人から無視されたり冷たくされるのは(たとえ商売でも)うれしくはないだろう。たとえ売り上げが上がらなくても、楽しい会話をひとときできれば、インド人の若者もいやな顔をせずに引きさがってくれる。おまけに最近のギャグを教えてあげれば彼らも大喜びだ。
インド旅行では、たしかにインド人商人とのやりとりに辟易することはあるが、そのインド人商人のしたたかさを学ぶというつもりで、彼らとのやりとりを楽しめるだけの心の余裕が必要だ。
何日かインドに滞在してインド人商人から鍛えてもらえば、誰でもインド人と対等にやり合えるだけのコミュニケーション能力を身につけることができるかも!?しれない。

◆インドの乗り物は楽しいが……
インドの道路はじつに賑やかだ。
14年前と比べて大きく変わったのが自動車の多さ。TATAの30万自動車も走っているが、結構スズキとトヨタ車が多い。
それにサイクルリキシャー(自転車)、トゥクトゥク(バイクタクシー)、馬車や牛車、トラックの荷台に満載の人を載せている姿も見られる。
その道路に、放し飼いにしている牛が悠然と歩いている。
「譲り合い」の精神は全くなし。反対車線だろうと車1台分のスペースがあれば猛然と突っ込んでいく。あちこちからクラクションが絶叫する。まさに、インドのカオスを象徴する光景だ。
ムンバイではついに私たちが乗っている車も追突事故にあい、警察のお世話になるはめになってしまった……。
トゥクトゥクの車内。涼しい風が入ってくる。

インドは鉄道大国でもある。たいていのところへは夜行列車で行くことができる。
ダージリンの高原列車や、ムンバイの駅舎は世界遺産にもなっている。

しかし、時間通りにはまず運行しない。
これは私も覚悟していた。以前行ったときも、電車が遅れたことがあったからだ。
今回は特にそれがひどかった。冬の北インドは濃霧に包まれる。そのため電車も遅れることが多いのだという。
3段寝台の車内。一番上から撮っています。腰を伸ばせない。
それで、2回電車に乗ったが、どちらも14時間くらい出発が遅れるという、とんでもないことになってしまった。4時間ではない。14時間。半日以上。(アグラ~ヴァラナシ、ヴァラナシ~ブサハル)
幸いにしてヴァラナシとブサハルでは、はじめから1日ずつフリータイムの延泊を追加していたのでツアー内容に変更はなかったが、もし旅行会社の提示した日程のままだったら2日間とも観光はできなくなってしまっていた。待ち時間は車の中やホテルでひたすら待機をすることになった。
そして2回目に乗った電車の中では(あとで話すけど)お腹を壊して、ひたすらうなされて横になっているという地獄のような一日を送ることになってしまった……。

冬のインドはとくに電車が遅れる。これは盲点だった。
短期間でインドを効率よく回ろうなんて発想は捨てた方がよい。
もし遅れた場合は……すべてを受け入れる。これがインド旅行の鉄則だ。


◆シバ神の怒りに触れる。
インドと言えばカレー。
もう少し正確に言うと、インドではカレーしかない。
豆カレー
チキンカレー
マトンカレー
チーズカレー
ほうれん草カレー
カレー味の焼き鳥
カレー味の紅茶(あ、チャイのことです)、などなど。
(本当はそれぞれに色々な名前が付いているのだけれども覚えていない)

日本料理のほとんどが醤油と味噌でできているように、インド料理の味付けはほとんどスパイスで作られている。……もちろん日本で食べるカレーは似て非なるものだ。
マトンカレーに、野菜カレーに、チーズカレーに……
体調がよろしいときには、これらのカレーもとてもおいしく食べられた。
が、旅行も後半に入り、ついに、シバ神の怒りに触れたか、お腹が激しく痛み出し……その後、一切カレー味のものに拒絶反応を示してしまった。
そうなるときつい。
仕方なく西洋料理のレストランを探してもらうことになった。さすがにないわけではないが、インドでは基本的にインド料理以外はほとんど食べることはないそうだ。中華料理さえほとんどない。(あるのはチョーメンというやきそばくらい)
和食、中華、イタリアンなどなど、さまざまな国の料理を日常的に食べている日本という国はやはり特別なのだなと実感をする。
インドに旅行する際には、丈夫な胃袋がないと、必ず旅行先で苦しむことになる。
これは心しておいた方がよい。
(ちなみにインド人ガイドさんもお腹壊してたけどね……)


◆インドに差別問題はあるのか?
インドでやはり気になるのがカースト制度である。実際はどうなのだろう。
インド人ガイドさんとの話の中でもっとも興味深かったのは、このカースト制度の問題である。
インド人は他の人のカーストがわかるか?
すぐにわかるそうだ。
なぜなら、名前の中にカースト情報が示されているから。
名前は3つのパーツで示されている。名前+カースト名+地域名
カーストは、ざっくりというと「士農工商」のように職業の分類を示している。
宗教家のカースト、
肉屋のカースト、
大道芸人のカースト、
洗濯屋のカーストなどなど、それが数千にも渡って細分化されているという。
ちなみに、ガイドさんのカーストはもともとラジャスターン州の王族のものらしい。
このカーストの人は旅行ガイドをすることができる。(旅行ガイドができるカーストも一つではなく、いくつかの名前の人がなることができる)
このように、カーストによって職業選択の自由が著しく制限されるという問題がある。
もちろん、インドの憲法では差別は禁じられているので、公務員や外資系、ITなどの新興産業ではカーストは関係ないという。その辺にIT産業の隆盛や海外でのインド人の活躍の要因があるのだろうか。

カースト制度を、日本の「商店街」に見たててみるとなんとなくわかってくる。
日本の昔の商店街には、八百屋があり、魚屋があり、米屋があり、乾物屋があり、洋服屋があり……といろいろな職業の店が軒を連ねていた。
で、そのなかに、つぶれそうな金物屋があっても、なくなったらみんなが困るので、なんとか細々と店を続かせようとする。住人たちもも、お互いの店を利用し、助け合って生活を送っていた。
インドのカーストの起源も、そもそもはこれと似たようなものだったのではないだろうか。
カーストで指定されている職業は、農業以外の商工業が中心である。(農業はどのカーストに属しても従事できる)
村の生活を存続させるために、農業以外の職業を分担して。家ごとに続けさせようとしたのだろう。
日本でも、古い部落に行くと、名字の他に「屋号」というものが付けられていることがある。
私がかつて勤めていた地区でも、「油屋」「鍵屋」などの屋号をもっている家がたくさんあった。
インドで名前に職業名が付け加えらるのも、ひょっとしたら「屋号」のようなものに近いのかもしれない。
ただし、日本と違ってヒンズーのカーストでは、この縛りが細分化され、かつ厳しく制限されているところだ。
そしてカーストの区別が、「穢れ」の意識が加わり差別につながっているところが大きく問題となるところだろう。

このようなカースト制度は、ヒンズー教の根幹をなすシステムである。
ヒンズー教の大きな特徴は、職業や日常生活までに細かな慣習を規定しているところにある。
そのため、インドでカースト制度を否定した仏教が起こっても、仏教が日常生活の慣習まで規定しようとはしなかったために十分に民衆に浸透していかず、結局ヒンズーに押し切られて現代に至っている。
それでは、仏教やイスラム教などに改宗したらカーストはなくなるのか?
イスラム教や仏教に改宗しても、ヒンズー教の定める、「イスラム教徒カースト」に自動的に移動するだけなので、改宗してカーストを否定しようがインドでの差別は続くことになる。

カーストの主なルールとして、ほかには結婚問題もある。
基本的にほかのカーストの人とは結婚をしない。
女の人が、高いカーストの男性の家に嫁入りして「レベルアップ」することは可能だけれども、その逆はあり得ないという。
だから、インド人はほとんどがお見合い結婚。
その相手も、現代ではインターネットを駆使して、親が必死になって、自分のカーストに見合った相手を探すのだという。
ガイドさんの長女が結婚したときは、結婚資金が700万もかかったという。相手の男性の家に一生食わせてもらえるように盛大に寄進をするのだという。
かつては夫が死ぬと妻もその火葬の炎で焼かれて自殺させられるという「寡婦焚死」というおぞましい風習まであったという。
カースト制度は男性中心の家制度でもある。
おりしも、私がデリーを訪れていたとき、インド人女性が強姦殺人をされた事件が発生していた。
その抗議のために、デリーはもとよりインド全土で学生らのデモが行われていた。
強姦殺人への抗議でもあり、その根底には女性の地位向上への若者達の要求の声でもある。
デリーでのはげしいデモでは、警官の侮辱に耐えられなくなった女性が抗議の自殺をするという、さらに痛ましいできごとを引き起こしていた。

で、カースト制度のメリットってなんですか?
単刀直入にガイドに聞いてみた。
ガイドさんは虚を突かれたという顔をして、
「え、いやあ、うーん、いいこともあるよ」
(ちょっと考えて)「同じカースト同士でトモダチもできるし……」
と、それ以上のことは出てこない。お互い言葉の壁もあり、十分には聞き出せなかった。
けれども、彼は、カースト制度が、それほど問題とは感じていないと言うことだけは、理解することができた。
日本の自分からしてみれば異常な人権侵害としか見えないこれらの慣習であるが、インド人にとってはヒンズー教の論理のもと、社会的な慣習として、常識ともなっている様子が伺うことができた。
もっとも、彼が比較的高いカーストだから、カースト制度に疑問を感じないだけなのだろうか?
それとも、低いカーストの人でさえ……

◆人生観は変わるか?
藤原新也『印度放浪』のなかの「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という写真は衝撃的だ。
この写真は、ガンジス川の中州に遺棄されている死体にかじりついている犬の写真である。
学生時代の私は、この写真を見て、「もう、インドに行ってしっかり見届けてくるしかない」と決意を固くしたのだった。
『印度放浪』とか『深夜特急』なんかに思いっきり影響を受け、自己啓発セミナーに行ってくるかのようなノリでインドに上陸したのだ。
今にして思えば、当時はインドに対する過度の「期待」があり、その色眼鏡でインドを見ようとしていたというところがあったのかもしれない。一人旅だったので、そういう妄想とか幻想はますます加速することになる。
今回はインド人のガイドさんもいるので、疑問に思ったことはすぐに聞け、文化や慣習などの事情を知ることができたから、ある程度、覚めた目でインドを観察することができた。
ガンジス川が流れる聖地ヴァラナシ。火葬の煙も見える。
で、死体を食らう犬はいたか?見たか? いやあ、そりゃいないでしょ。
いくらインドでもそんなにご遺体を粗末にすることはない。
犬がかじってたら追っ払うし、火葬の際には遺族も見守っている。あの写真は、よっぽどのイレギュラーなことがあっただろう。
ちなみに10歳以下の子供は火葬されずにそのままガンジス川に沈められる。(「流される」ではない。きれいな布にくるまれ、重たい石に縛り付けられて、船に乗せて川の中程にて沈められることになる)私の目の前でもお二人がそのように直接ガンジス川に埋葬されていった姿を見た。
多くのインド人(ヒンズー教徒)は、このように、皆、火葬して近くの川に流すので、どれだけ人口が増えても「墓」問題に悩まされることはない。

火葬場の光景はそれだけで衝撃的なのだが、さらに驚かされたことがある。
火葬に対する、なんというのだろう、あっけなさというか、日常的すぎる感じが尋常でないのだ。
「火葬場」といっても仕切りがあったり、屋根があったりするわけではない。
ただっ広いスペースに、適宜、薪を組んでその上でご遺体を荼毘に付す。
しかし、その様子をどうみても、まるでキャンプファイヤーか、たき火のように見えてしまうのだ。
火葬をしているすぐ隣で、服をごしごし洗っているおじさんがいる。
おもむろに、そのおじさんは濡れた服を「キャンプファイヤー」の炎に広げて乾かし始める。
また、煙の立ちこめる広場で凧揚げをしている子供達がいる。
「キャンプファイヤー」の周りをぐるぐる回って追いかけっこをしている子供達はさすがに怒られていたけれども。

ここでは何が起きているのだろうか。
そんな脇で、やはり、愛する家族を失った遺族達が悲しみに暮れ、泣き叫んでいる。
喪主であるらしい男性が、親が荼毘に付されていく様子を呆然と見守っている。
この遺族の様子は、確かに日本と違うところがない。

「終活」とか「エンディングノート」をせっせと書いているような日本人には信じられないくらいのカジュアルさ、シンプルさだ。
しかし、そこで行われているのは確かに葬儀である。
うーん、日本とインド、どっちが「普通」なのだろう? どっちがいいの?
何度インドに行ってもこの光景はうまく頭の中で整理できない。

インドに行くと人生観が変わるか?
よく言われることだが、そもそも自分の人生観がどんなものかわからないし、変わった言えるだけの軽薄さも今のところ持ち合わせていない。
が、自分が目で見て、知った限りでの「インド」という世界は、自分の身の回りや日本という国を相対化する、価値観の座標軸の一つになっていることは間違いはない。
何度行っても妖しく、奥深く、そして面白い国である。
インド、行くべし。