2013/03/07

「学校教育チキンラーメン論」


チキンラーメンを食べながら、変なたとえを思いついた。
「学校教育はチキンラーメンに似ている」

チキンラーメンはインスタント食品である。
ラーメン屋さんで提供されているラーメンを家庭でも簡単に再現し、味わえるように考案された食品である。
しかし、その味は本物のラーメンとは似て非なるものである。
その証拠に、日本全国、いや、世界のどこのラーメン屋に行っても「チキンラーメン」みたいなラーメンは食べられない。
本物のラーメンからみれば「まがい物」の「インチキ(ン)ラーメン」に他ならない。
しかし、今ではすっかり「チキンラーメンのあの味」は定着してしまった。
多くの人が「ラーメン屋さんのラーメン」ではなく、「ラーメン屋さんでは決して売っていないチキンラーメン」を追い求めている。私もその一人だが。

さて、これがどう学校教育と結びつくのか。

学校教育とは、社会で生きていくために必要とされる力を養成するために作られた制度である。
社会で必要とされる力を、学校という場で、コンパクトに、インスタントに注入するために、「チキンラーメン」のように加工して子ども達に提供しているのである。
しかし、現在、学校教育で提供している学力が、必ずしも社会で必要とされる力ではななくなってきている。
学校教育で教えている学力が、社会からかけ離れたものになってしまっているのだ。
……それはだれでもうすうす感づいていることなのだが。
でも、学校で教える「まがい物のラーメンの味」のおいしさはすっかりと定着し、その味を多くの人が追い求めるようになってしまった。

先日、ネット上のある人から、こんな不思議な質問をいただいた。
「説明文を読み,段落ごとに番号をつけ,要約すること。
それに対して,説明文を読み,そこから根拠となるものを探して,自分の意見を述べる。
後者の場合,写真や図,グラフが説明文の中に含まれると,国語の授業ではないと批判されるかもしれない。」(原文ママ)

んん?
一瞬何を聞いているのだろうかと戸惑った。
それが「国語の授業」であろうとなかろうと、図表が含まれた説明文を読むことが「社会で必要とされている力」であれば、子どもに教えるのは当然のことじゃないの?
第一、社会に出たら、文字だけのテキストよりも、図や表、写真が含まれる文章を読む機会だってたくさんあるわけでしょ? 文字だけのテキストだけを読む方がずっと不自然なんだって! それに、段落ごとに番号をつけて要約するなんて……、社会に出てから誰がそんな方法で読んでいるの?

いや、この発言をした彼を責めるわけにはいかない。
彼が述べている「説明文の読解」は、学校教育で教える典型的な説明文の学習法なのだから。

学校教育で教える「国語学力」は、所詮「チキンラーメン」なのだ。
目指すべきは「本物のラーメンの味」だ。それを忘れてはいけない。
「本物のラーメンの味」を忘れてしまい、「チキンラーメンの味」にはまってしまう人を、よく見かける。

念のために……
学習指導要領では言語活動例の中に「文章と図表などとの関連を考えながら文章を読むこと」という記述がある。だから、公的にも立派な「国語の授業」なのだ。
言語生活の質を高める、実生活に生きて働く言語運用能力を高めるという国語科本来の目標に照らせば、子ども達が社会に出たときに、「文字だけの文書を読む力」だけではなく、「図や表などとの関連を考えて文章を読む力」を鍛えることの必要性は、自明のことだ。
国語を「教科書の読解」という狭い了見で考えるからそういうことになってしまうのだろう。
学習指導要領を踏まえるまでもなく、「説明的文章」の学習でつけたい力は、さまざま本や新聞、雑誌、ビジネスで交わされる文章を的確に読み取る力だ。教科書の文章だけを読ませていていいわけがない。

念のために、私は無類のチキンラーメン好きです。