2013/03/28

自己評価や相互評価を成績に加えるのはよいことか



自己評価や相互評価などを授業の一環としてさせることがある。
とくにグループ活動や、生徒が主体的に動き回る活動などの場合、それを教師がすべて見て回ることは難しいので、相互評価や自己評価を活用することになるケースが多いのではないか。
○○グランプリや○○コンクールも、広い意味での相互評価であるといえる。
わたしは、これらの相互評価は授業を活性化させるためには有効な方法の一つであると思うが、その結果を成績として加味するのは適切ではないと思っている。

相互評価の本質は「他者の視点を通して、自分の良さを引き出すためのコミュニケーション」であろう。
それ以上でもそれ以下でもない。
相互評価といっても、基本はコミュニケーションだ。
そしてそのコミュニケーションは、自分に向けられる価値付けを伴ったメッセージだ。
相互評価が「できたかどうかのチェック作業」であったり、「ケチのつけあい」であるなら、そんなコミュニケーションはまっぴらごめんだ。だれだって、人に否定的な評価なんてしたくない、されたくないはずだし、それを教師が無理に強いる必要もない。
ならば、どうすれば、そういう「良さを引き出し合う」相互評価ができるか、そういう理想的な相互評価の方法を設定することこそ教師の課題ではないのか。
(「評価」という方法ではなく、自分の課題を解決するためのアドバイスをしてもらう、というコミュニケーションならありうる。たとえば、プレゼンをしたときに、わかりやすかったかどうかを他の人に判断してもらうなどの場合だ。これは「評価」の要素が含まれるが、趣旨としては「アドバイス」という目的があり、その目的を、自分も、相手も納得しているからこそ成立するコミュニケーションである)

一方、自己評価のメリットは「学んだことの手応えを実感することと、自分の課題を発見するための内省」にある。
自分のことは、ある意味、自分が一番厳しく見ることができる。
その「自分と向き合った感」を、いかに自己評価という形で表出させることができるかが、自己評価の成否を分けるのだと思う。

相互評価は「他者に良さをひきだしてもらう」目的
自己評価は「自分の学びを実感し、課題を明確にする」目的
そう考えるとと、自己評価や相互評価を、成績をつけるという目的で教師が参考にするやり方には反対である。

成績は、評価基準という枠組みの中で、「できたか/できないか」を峻別する評価だ。
しかし、自己評価では「何ができたか/できないか」を問題にするのではなく、むしろ「何を、どう感じているか」が問題となる。客観的に見て「できて」いても、自己評価では「できていない」と感じることはありうる。
相互評価は「できないこと」をはっきりさせるために用いるべきではない。そのような評価が多用される教室では、学級の人間関係に深刻な影響を与えることになるだろう。相互評価によって「できていない」ことを浮き彫りにするのは「良さを引き出す」という相互評価本来の趣旨にはそぐわない。