2013/03/09

「知識基盤社会」において「知識」はどのように教えればよいか

よくこんな議論を耳にする。

高度情報化社会では、知識は簡単に手にはいるから、知識は必要ない。
知識の詰め込みよりも、学び方を学ぶことの方が重要だ。

これは「うさんくさい議論」のうちの「二項対立法」である。
実際は、知識も,学び方も、なのに。

高度情報化社会である現在の世界は、同時に「知識基盤社会」であるともいわれている。
さまざまな情報を「知識」として身につけ、使いこなしていくことが、これからの社会を生き抜く重要なカギとなるというのだ。

知識は必要ないなんて言って、子どもをだましてはいけない。
現実には、知識が簡単に手に入るのだから、それなりの知識を持ってないと太刀打ちできないよ、というのが本当なのだ。
ウィキペディアでも、Yahoo!知恵袋でも、SNSでも何でもいいから、ちょっと調べればたいていの(高校で学ぶくらいの)知識は得られるではないか。
ただ、問題なのは、その情報が、価値ある知識に、そして生きる知恵につながるかどうかなのだ。
それこそが教養(自己形成=ビルドゥングとしての)というものなのだろう。

だから、これからの学校では、教師は「知識」を次のような配慮で教えることが必要だと思う。

1、「知識」の優先順位を考えて与える。
いうまでもなく、情報には価値ある情報もあるし、そうでない些末な情報というのもある。
そのような価値付け、重みづけを知ることは、情報におぼれないためにも不可欠である。
情報の客観的な価値や意義を考慮し、取捨選択して子どもに提供することは必要なことだろう。
情報を与えすぎても消化不良になる。情報が少ないと物足りない。
必要なのは、情報を価値付けし、構造化して与えることだ。そしてその情報の価値まで伝えることだ。
例)「こういう人にとっては、この情報は価値がある。」「この知識をこう深めて、こんなを研究をしている人もいる。」「この情報は、受験では役に立つけど、……で、実はあまり価値はない。」など

2、「知識」の使い道を教える。
得ようとしている知識には、どんな使い道や広がりがあるのかを、たとえそのときは子どもに理解させることはできなくても、教師が伝えておくことは重要だろう。
大人になってその知識の大切さに気づくこともあり得るからだ。

3、「知識」の得方を手引きする。
「知識」は連鎖的に広がり、深まっていくものである。
興味を持った子供が、さらに深く知りたくなったときには、どのようにアクセスすればいいか、参考文献や調べ方などをさりげなく提示しておき、種まきをしておく配慮を忘れないようにしたい。

4、「知識」のインデックスを与える
どんな知識があるか、その全体像をインデックスやリストとして与え、参照させるといいだろう。
知識の内容までは教えられなくても、そのラベルだけは与えておくのである。
たとえば、私は高校時代、卒業する前に、国語の先生からおすすめのブックリストをいただいた。
このブックリストはなぜか捨てられずにいつまでも取っておいた。そしてリストにある本が本屋さんにあったら必ずページを開き、買って読むということがしばらく続いたのだ。
この高校時代の国語の先生は「知識」を与えたのではないだろう。
「知識」のインデックスを提示しただけだ。
しかし、そのインデックスに導かれて、さらに深い知識を得ようという気を起こさせという意味では、十分に「知識」を与えたことになるのだ。