2013/11/11

現職教員が大学院で学び直すことの難しさ

現在、現職教員として大学院(M2 修士課程)で学んでいる。
基本的には夜間の授業。仕事を終えた後に大学院に向かう。
どんなに仕事が疲れたときも大学院の授業に出席すると仕事を忘れてリフレッシュできる。
普段の生活では考えもしないようなことが大学院の授業に出ることで学ぶことができるのでとても良い刺激になっている。
ちなみに現在とっている授業の内容は次の通りだ。

・教育社会学(主として社会科)
・言語環境について(国語教育)
・調理文化(家庭科)
・学級経営
・教育心理学
・教科教育についてのオムニバス授業(美術・理科・数学・社会など)
・情報メディア教育
これに、研究室で行われる研究指導が加わる。

大学院の授業に参加して、現職教員が、大学院で自分の専門について学ぶことの難しさを感じている。
現職教員が、ストレートマスターと混じって学ぶことの意義とか価値はもちろんあるだろう。
だけれども、こと、自分がいままでさんざん勉強してきた分野のものであると、大学院での学びがどうしても「物足りなさ」を感じてしまうのは否めない。
大学院の授業は講義というよりもどちらかというとディスカッション形式ものもがほとんどだ。
少人数で話し合う形態の授業は眠くならないし、盛り上がれば楽しい。
しかし、学生と話していて「物足りなさ」をどうしても感じてしまう。
その原因は何なのだろうか?どうすればよいのだろうか。

1、ストレートマスターにとっては、現職教員の実体験やスキルを聞くことに関心があるため、そもそもディスカッションにならない(Q&A形式になってしまう)

2、授業内容や、ディスカッションが、現職教員の実体験やスキルを上回ったり、クリティカルに捕らえなおすような視点までにはなかなかいかない。(お互い遠慮している?)

3、大学教員も、現職教員の知見をひっくり返すようなことよりは、むしろそれを顕彰していて、ストレートマスターに学ぶように仕向けている。

4、現職教員にとっては、自分の「成功談」をドヤ顔で話すカタルシスは得られるかも知れないけど、それ以上の学びがなかなか得られない。

現職教員である私の立場にしてみれば、そういう状況であっても、謙虚に、かつ貪欲にダイアローグして学び取るくらいの構えが必要なんだろう。
しかし、だからといって、どうやってこの現状を打破していければいいか、いまのところよくわかっていない。
ストレートマスターも、現職教員も、大学という学問の府であれば平等だ。(私はそういう感覚で参加している)こちらがドヤ顔で話すものいやだし、学生に「ごもっとも」と感心されるのも本意ではない。
もっともっと自分の現状を否定し、更新していきたいだけなのだ。