2013/11/08

「古典」の価値を見いだし、継承していく「人」を育てる視点としての古典教育のあり方

 中学校三年間の古典学習は、古典に触れ、それを楽しみ、そして親しむステップをたどる。
義務教育の古典学習のゴールは、学習者が、与えられた「古典」を、教師によって決められた解釈に沿って理解するのではなく、自らテキストの価値を見いだし、自分にとっての「古典」(価値あるテキスト)としていくような古典学習のプロセスをたどらせることができれば理想である。
 現在日本に残る「古典」は、何らかのきっかけで、そのテキストを価値あるものとして認めた「人」の存在があったからこそ、時代を超えて継承されてきたものなのである。「古典」の価値を見いだし、継承していく「人」を育てるという観点からも、自らの手でテキストを解釈し、自分なりの観点でその価値を引き出し、その価値を多くの人とともに分かち合うような力を養いたい。

 中学、義務教育で学ぶ古典学習のゴールをどこにおくか、やはり、生涯学習の視点は欠かすことができないできないだろう。 
 古典こそ長い人生で熟成させ、ちびちびと味わえるウィスキーのような存在なのだ。子どもにその味がわからなくても、大人になれば、きっとその味が理解できる時が来る。 だから、最低限、どんなお酒があって、どのような楽しみ方がある。どうすればそれにアクセスできるか、という理解をさせることは必要だろう。 さらには人生で長く味わっていける銘酒をおのおのに持たせることができれば理想的だ。 
 古典の種類、作品名、時代背景と時代の主潮、大まかな内容、古文の読み方(辞書、脚注、ネットなどを駆使し、何とか自力で読める方法を知る)、 心にとめておきたい名文を持ち、ときおりそれを愛でる……。

古典文法をちまちま学ぶことが古典嫌いを量産しているのなら、いっそのこと古典文法には一切触れないで現代語訳などを併用して古典に親しむほうがよっぽど日本人の教養教育としては意義があることだと思う。
ちなみに、これは古典ファンを育てて増やすための方策です。古典のプロを育てるための方策はまた別。