2013/11/05

「理科離れ」対策のための取り組み試案

問題の所在
そもそも「理科離れ」ってどんな現象?
・大学の理系(理工学部)志望者の割合が減少している。
(大学全入時代だからなあ……中途半端な文系大学は山ほどありそう)

・「理科が好き」「理系の職業に就きたい」という意識が国際的に見て低い。
とくに、小学校段階では理科は楽しいといっている子どもたちも、中学、特に高校入試を控え、暗記中心の勉強になったとたんに嫌いになる生徒が増えるそうだ。(そのへんは何となく私にも実感あり)
各種調査から、この二つの減少は客観的に明らかになっている。

「理科離れ」の根底には、日本の産業構造の変化もある。
日本の高度成長を支えたものづくり、工業化社会から、サービス業や情報産業などのポスト工業化社会へ。(東南アジアなどに移行している)
理系の就職そのものが減ってきている。かつてほど、理系へのインセンティブがはたらかないという点を指摘している人もいる。
国際競争力をつけるために、高度経済成長時代のように、ものづくりで国づくり! 一位じゃなきゃダメなんです! という人たちが言い出したのが「理科離れ」の言説の正体なのだろう。

それでは、理科教育を改善するためにはどのような視点と取り組みが有効なのだろうか?

Ⅱ そのための対策のポイント
「理科離れ」が果たして本当にあるかどうかはおいといて、理科教育のターゲットを次の3つのフェーズでとらえたらどうだろう。
「理系のプロ選手」育成のための理科教育。
「理系のアマチュアプレイヤー」育成のための理科教育。
「理系のファン」育成のための理科教育。

野球で言えば
プロ野球選手と、草野球をしているおじさん、そして球場に行ったりテレビを見たりして野球を応援しいるファンと、この3つの層だ。
ファンやアマチュアの層がプロ選手を支える構造だ。
これは理科に限らず芸術などあらゆる分野で使える視点かもしれない。


理系に対するファン層を拡大しつつ、理系のエキスパート(エンジニア、研究者)を増やしていく取り組みが求められる。
そこで、学校教育段階ではどんな取り組みが可能だろうか?

取り組みⅠ 「科学者」に焦点を当てた「人物科学史」の授業
・科学を進展させた「人」のライフヒストリーと業績をドラマチックに描く。
・科学者の生き方に対するあこがれを喚起する。
・「科学者が目指したものを理解し、それに興味を持った上で、基礎的な科学知識を深めていく。
(「夢の扉」「情熱大陸」のようなドキュメンタリー仕立てで)
「科学者になってみたい!」「科学者ってカッコイイ!」と思ってもらう!

取り組みⅡ 「自然科学入門」
・理科の基礎、基本的な法則を楽しく学ぶことが目的
・科学的なものの見方や思考法を学ぶ。
・そのために、身近で手軽に取り組める実験が中心。
・煩雑な計算や用語の暗記などを極力使わない。
(「すいえんさー」のようなバラエティー仕立てで)

実験例    
  文房具を科学しよう……はさみ、万年筆やボールペンなどの仕組みを学ぶ。
  調理器具で学ぶScience……鍋ややかん、冷蔵庫などを使って楽しく物理実験!
  身近な機械を壊してみよう……時計やテレビ、自動車などを壊して戻す。
    
取り組みⅢ サイエンスSNS「生き字引くん」
・プロとアマチュアをつなぐ、理系「クックパッド」のようなSNS
・私はこれが研究テーマです。
 こんな文献を読んで調べています
 こんな実験結果がでました。などをネットアップし、シェアし合う。
・自分の研究テーマに近い人や、同じ文献を読んでいる研究者を知ることができる。
・たとえば、このSNSがあることで、
 「クワガタなら隣のクラスのあいつに聞け」とか、
 「その研究テーマだったらこんないい資料あるよ」とか、
 「それだったら、こういう実験手法をとるといいよ」というようなコミュニケーションが活性化されていく。(校内、校外に順次拡大していく)
・その研究ネットワークに、プロの研究者や、アマチュア研究家などが関わっていく。
(「Mendeley」のような研究プラットフォームのイメージ)
学校内、学校外で、興味のある人が、興味のあることをとことん追求できるSNSを作成するのだ。


追伸、
科学=自然科学とは限らないはずだ。自然科学、社会科学、人文科学などなど。
科学とは、問いを持って合理的に現象を理解する、という謂だと思う。
そう考えると、学校教育を通して養うべきことの一つは、さまざまな教科の学習を通して「科学的な精神」を身につけることであることは間違いない。(それが学校教育のすべてとまでは言わないが)

科学的な知識を身につけることをもちろん軽視してはいけないけれども、「科学」そのものを体感させるような学習こそ、科学教育の根幹に置くべきものなのだろう。