2013/12/09

メディアリテラシーとは、誰しもがアンバランスなものの見方をしているということに気づくことだ。

テレビやラジオから垂れ流しで情報を受け取るのとは違って、本を読んだりネットを見たりするのは、好きなときに、望む情報を得られるから、より自由自在に情報が得られる。メディアからのコントロールを受けなくてすむ。
と言えそうな気がするが、好きなときに好きな情報に「しか」アクセスできない(できにくい)というリスクやデメリットもある。
自分にとって心地よい言葉、都合のいい情報「だけ」を検索、収集して悦に入り、ますます閉じていくなんて危険性も大いにあり得る、
自分にとって心地よくない情報や、理解できにくい情報を避けているばかりでは、新たな発見を引き出すものとの出会いは期待できない。
偶発性がある程度保障されなければ、自己を更新する「未知との遭遇」は、なかなか得られない。

誰しも、バランスを持った、ものの見方や考え方なんかをしてはいない。
好み、主義主張、価値観、感覚に、極端さやゆがみや偏りがみられるのが普通だ。
だから、「あいつ偏ってるなあ」という目で他を見たり、情報を受け取る前に、そう感じる自分自身の、ものの見方の極端さやゆがみや偏りに自覚的であることの方が、より有益だと思う。
自分が好むものは何なのか? 自分が選ぶものは何なのか? そして嫌悪するものは何なのか?

メディアリテラシーとは、誰しもがアンバランスなものの見方をしているということに気づくことだ。
だれもが、自分の関心に基づき、その関心という色眼鏡で世界をとらえている。
その自分の中の「アンバランス眼鏡」がどんな性能やゆがみを持っているか、自覚するということがそもそも何よりも重要なのだ。