2014/01/24

ちょっとの違いが大違い~『少年の日の思い出』をどう味わうか?~

今年も1年生の定番教材「少年の日の思い出」の学習がスタートした。
定番教材は、定番として定着しているだけあって、何度読んでも新しい発見が得られる。

今回あらためて「少年の日の思い出」を読み返してみて、この作品は同意語の言い換えが多く、しかもその言い換えが解釈に深く関わるということにあらためて気づかされた。

そこで、「同意語の言い換え」を切り口に「描写の効果を考えながら読む」ということを指導事項として、文学鑑賞の授業の中で、次のような学習活動を構想した。

1、同意語の言い換え表現をグループで探す。
2、そのような言い換えの表現からどんなことがわかるか、考える。
3、ミニ批評文を書く。

たとえば次のような言い換えが出てくる。

客―ぼく―熱情的な収集家―宝を探す人―悪漢
エーミール―批評家―鑑定家ーあいつ―模範少年
チョウチョ―宝物―獲物―宝石

これらを見つけていくのが第一段階。

その後、どんな文脈で使われているか、その言い換え表現からどんなことがわかるか、どう印象が変化するかをグループで話し合う。
(さらにいえば、これは翻訳小説でもあるので、他の翻訳ではどうなっているか比べてみるのもおもしろいだろう)

「文脈・描写・表現の効果・作者の意図」などの学習用語を駆使しながら、これらの言い回しについて検討していくことになるだろう

最後に、グループで話し合ったことを参考に、個人で、200字くらいでミニ批評文を書いていく。

オプション課題として、ある話(ももたろうとか?)を、特定の単語を、タイミング良く言い換えながら表現させてみたり、言い換えがされている他の作品を探して、その効果を紹介しあうなんていう活動に広げていくのもいいかもしれない。

ちなみに私が最も衝撃を受けた言い換え表現は、太宰治の『駆け込み訴え』←全文はクリック

イスカリオテのユダ(私)が、イエス(あの人)を裏切る瞬間の、この豹変ぶりだ。
私も、もうすでに度胸がついていたのだ。恥じるよりは憎んだ。あの人の今更ながらの意地悪さを憎んだ。このように弟子たち皆の前で公然と私を辱かしめるのが、あの人のこれまでの仕来りなのだ。火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在るのだ。犬か猫に与えるように、一つまみのパン屑を私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせだったのか。ははん。ばかな奴だ。旦那さま、あいつは私に、おまえの為なすことを速かに為せと言いました。

こんな感じに、微細な言葉遣いの変化に着目するような鑑賞法をこの教材で学んでいきたいと思っている。