2014/01/29

学習活動の成否を決定する最大のボトルネックは「時間」である。

どんな教師も、45分という1単位時間の枠からは逃れることができない。
45分から、教材を発想し、単元の計画を発想し、学習活動を発想する。
時間のマネジメントは、他のどの職業にも比して、教師の専門性に深く関わる能力の一つだ。
たとえば、医師がもしかりに、手術が定められた時間以内に終わらなかったとする。しかし時間以内に終わらないからといって、手術を切り上げるということはないだろう。
反対に、1時間で終わる手術が10分で終わったとしても、決められた1時間を守るために、残りの50分はなんとなく時間をつぶすなんていうことも絶対にないだろう。
他のどんなことよりも、固定された時間が優先されるという職業は、おそらく教師と交通機関?くらいではないか?
どんなにすばらしい学習でも、それが60分かかったらいけない。その単元が何十時間もかかるような実践は望ましくない。そしてなにより、3年経ったら、どんなに教育がうまくいかなくても、その生徒も卒業し、教師は手放さなければいけないのだ。

1単位時間が45分であるということだけで、探求的な活動を取り上げた大規模な単元を扱うことに躊躇してしまうし、長編を取り上げてじっくり読み合うこともなかなかかなわない。
反対に、どんな魅力的な授業実践でも、それが何時間もかけて取り組まれたものであれば、一般性を持ち得る、提案性のある実践とは見なされにくい。3時間かければ読めてしまう教材を、10時間以上もかけて取り上げたり、放課後生徒を残してやらせていたりするならば、それはあまり褒められることではない。

45分の授業で話し合いは難しい。
45分授業の中で、小グループの話し合いをすることはなかなかむずかしい。
1時間ワンテーマだとしても、
導入&課題についての説明(5~10分くらい)
自分の意見をまとめる(5分くらい)
話し合い(10~20分)
全体で共有・ふりかえり(10~15分)
ぐらいの時間配分になる。
意見を出しあう程度で押さえ、深めることを狙わないのであればこれでもいいかもしれないけれども、どうしても物足りなさは否めない。
かといって2コマ使うのも、思考が途切れるのがあまり好きではない。
授業時間が90分だといいのに!
やはり反転授業かなあ、という結論になってしまう。

活動型の授業、とくにいろいろな教具が活躍する授業は、生徒がとても意欲的に取り組むのでどんどん取り入れていきたいと思う。
しかし、いかんせん「時間コスト」が発生してしまうのだ。
チョーク&トークの授業に比べて、活動や教材教具を活用した授業はそれだけで、学習とは直接関係のない時間が生まれてしまう。
新聞を配れば、それをぱらぱらと見てしまう→10分経過
ホワイトボードに話し合いの内容を書かせれば、それだけで時間が発生する→5分超過
タブレットを持たせれば、その操作やトラブルなどの処理で膨大な時間がかかる……
それらの「時間コスト」のことを考えたうえで、それに見あった効果がないとよろしくない。そうでないと、やはりチョーク&トークのシンプルな授業が一番だよなということになってしまう。それだけではいけないというのはわかっているんだけど。

モジュラー方式の学校が(特に小学校では)増えてきたが、授業時間を学習の規模に応じて柔軟に扱うことができれば、もっといろいろな実践が生まれてくる可能性があるのになあと思ってしまう。その辺の規制はどうなっているのだろうか?