2014/01/01

梅棹忠夫『文明の生態史観』を読む~「革命」と「脱皮」~

「文明」とは何だろうか。今さらながらに思う。
この『文明の生態史観』は「文明」を真っ正面から取り上げた一冊だ。

梅棹さんは民族学者としてアジアをはじめさまざまな国を探検した。
その体験から「文明」を「生態史観」という立場で観るというユニークな視点を獲得した。
「生態史観」とは、砂漠や熱帯雨林のように、地域の自然環境によって独自の発達をしていく植物の植生と同じようなとらえ方で、人間の文明も地域・環境によって似通った発達をしていくという見方をすることだ。
文明を「東洋」対「西洋」、「イスラム」対「仏教」のように、単線的な時間の流れとしてとらえるのではなく、異なった地域で、似たような文明が同時進行、同時発達に平行進化していることを示唆した点がとてもユニークなところだ。
梅棹は、イギリス、フランス、ドイツなどの西ヨーロッパ諸国と日本を「第一地域」と名付けた。
そして「第二地域」として、ロシア、中国、インド、トルコの4大帝国と、その周辺にある多数の小国とを位置づけた。


その詳細な分析については本書を読んでもらうなり、さまざまなブログで説明されているので割愛するとしよう。(梅棹さんの文章は中学生でも読めるような易しい文体だから原典に当たるのが一番だ)
第2地域が砂漠の灌漑からうまれた四大文明に端を発していること、その文明が、常に砂漠の遊牧民族(匈奴やスキタイ、元のような)の脅威に頭を悩ませていたこと、また、4大文明の影響を直接は受けなかった「辺境」である日本やヨーロッパが、結果的には現在の文明の発達を得たことなど、興味深い関連性が次々と取り上げられている。
梅棹がこの「生態史観」を発表したのが戦後まもなくのころというのも驚くべきことだ。平成の現代、インドや中国、イスラムなどの、かつての巨大帝国が力をもたげてきているのも「生態史観」の新たな展開を予想させる。
やや強引なところもなきにしもあらずだが、見方としてとても面白いし、それによっていろいろな現象を捉えることもできるのだ。

この本を読んで一番考えさせられたのは、日本の位置づけだ。
第二地域(中国やロシア)は、王様のような強大な権力があり、その下に圧倒的な数の、無力な庶民の存在があった。そのため「革命」が一気に進み、新たな圧政的国家(社会主義国家など)が生まれた。
一方、日本を含めた第一地域は、王様のような権力と、無力の庶民の間に、中間層として力を持っている「ブルジョア」の存在があったために、「革命」のような急速な改革はおきなかった。「革命」ではなく「脱皮」としての近代化を成し遂げることができたのだ。
日本やヨーロッパなどの地域は、本質として「革命」は起きえない。ぐだぐだと(表現は悪いが)なし崩し的に変容していくかか、急速に変わっていくとしても、その本質は「脱皮」であるということだ。
中間層であるブルジョア(という表現が適切かどうかは??だが、)がどう変化していくかが、日本やヨーロッパが変わっていく鍵であるということなのだろう。
しかし、この現在、日本などの第二地域における「中間層」の存在は、「大衆」の誕生とともに、その位置づけは大きく揺らいでいることと思う。

また、工業社会から情報社会に移行するに伴い、「生態」そのものの様態も変わってきているのではないかと思う。
いまは砂漠のなかでさえ、世界の情報にアクセスできるようになっている。
モロッコの砂漠のなかをを車で通過しながら、屋根にはパラボラアンテナ、遊牧民は携帯電話を持っている姿をいくつも見た。また、世界のたいていの地方都市には、カルフールのような巨大なスーパーマーケットがあり、そこで人々はマックやケンタッキー、スターバックスに行くことをステータスとしている。「百均」のような店もいろいろな国で見かけることができる。
グローバル化はあらゆる地域の「文明」で進んでいる。この世界が「ジャスコ化」「ファスト風土化」(三浦展)していることは間違いない。
そのグローバル化は「生態」をどのように変えるのだろうか??
サイバー的な社会と、ローカルな社会との「生態」はどのように変わっていくのだろうか?
梅棹さんだったらなんていうのだろうか、生きていたら質問してみたい。