2015/02/28

メタ認知と根性論

今日はとあるイベントでウォーキングをしてきた。といっても、歩いたのは6キロコース、小一時間ほどのお散歩だ。しかし中には40キロほど歩くコースもあって、そんなに歩く人には敬服するほかない。
それでも、私は普段それほど歩かないので、たった6キロでも三回ほど足を止めて休憩することとなったのだ。相変わらずの根性なし。
で、感じたのは、「疲れる」というのも大切な能力かも、ということだ。
「疲れる」というのは、大切な身体からのメッセージだ。メッセージを適切にキャッチし、全行程の中から、休むべきタイミングやバランスを判断する「知性」は、きっとメタ認知と呼ばれるものの一つだろう。
そう考えると、世の「根性論」が、「疲れる」というモニタリング能力をひたすら鈍麻させるように機能しているするならば、一考する必要があるかもしれない。
と、根性なしの私は、そうやってひたすら明日以降の筋肉痛を怖れている。