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2015/08/19

異国における異文化を受容する方略に関する一考察〜これはこれでありだよね体験〜

旅先で強烈に体験する異文化の筆頭にあげられるのが食事だろう。
どんなに風光明媚でも、趣きのある遺跡があっても、現地の食べ物が「うっ」というものだと、旅行期間中はある程度は気合を入れなければいけなくなる。それでハラを壊したら旅行どころではなくなる。つまり我々は「食べる」という行為を通して、旅行者は異文化をどう受け入れるかが試されているというわけだ。
異文化である食事をどのように楽しんでいけばいいか、おおよそ、次の5つのパターンがあろうかと思う。

1、「和食だったら…‥みたいなものかな?」パターン
例)「インド人にとってのカレーって、日本だったら味噌と醤油みたいなものでしょ?」
このように、日頃親しんだ食事のスキーマに当てはめて、異文化を理解しようという方略である。

2、「この料理に醤油かければいけるでしょ」パターン
他の例)「これにマヨネースがあれば最高!」
このように、既存の文化を日本の食文化で染め上げるという態度である。実際に海外にマヨネーズや醤油を持参するという荒業もある。やや文化侵略的な後ろめたさが伴う。

3、「これはこれで、こういう食べ物だと思えばありかも」パターン
例)「メロンに生ハムって…‥、こういう食べ物だと思えばありかも。」
このように、メロン=単品のデザートという固定観念にとらわれずに、現地の食習慣、食文化の文脈で味わおうとする態度である。こういう発想で攻略できれば、その現地での食事をかなり楽しむことが可能になる。

4、「食べても死ぬわけじゃないから、大丈夫」パターン
どうしても切羽詰まった場合に使う方略。大丈夫だと思っていたらあとで本当に危なくなって腹を壊してしまうこともしばしばあるから要注意。

5、「来世に◯◯人にうまれ変わったら食べよう」パターン
パターン4まで努力してもどうしても喉を通らないことがある。
イヌを食べたり、サルの脳みそを食べる国もある。
そういう国に出かけたときは、泣く泣く、5の方略を選択して食事は遠慮することとなる。

この5つのパターン、たかが食事、されど食事。食文化を通して、異文化と向き合うときの姿勢や心構えを示していると言ったらいいすぎだろうか。
願わくば、どんな異文化に直面したときでも「これはこれでありだよね」「こういうものだと思えば味わえるよね」と思えるくらいの懐の広さは持ちたいものだ。



2015/05/24

たまりにたまった教育雑誌は自炊してデータベース化を

月刊国語教育研究をPDF化してデータベースに
 
 
自炊の第二段階。
友人のアドバイスにより、たまりにたまった月刊国語教育研究をPDF化していくことにした。
AdobeReaderの「高度な検索」を使えば、複数のPDFファイルから任意のキーワードを一気に検索して取り出すことができる。これは便利!
これで雑誌のベータベース化に成功!
なお、Googleドライブにぶち込んでおけば職場からでも検索可能!


表紙は記事を探すのに便利だから取っておいて、あとは処分。
表紙は検索用に保存


もったいないような気がするけど、読んで活用しない方がもっともったいないと言い聞かせて、断腸の思いで今日も自炊を実行させていただいた。
さて、ここからどんな化学反応が生まれるか楽しみだ。

2015/05/23

わが自炊作法

最近はどうも視力が落ちてきて、文庫本などの細かい字の本を長い時間読むことがついにできなくなった。
しかし年々読みたい本、読むべき本は増えつつある。
そこで苦肉の策で自炊を断行することにした。
まだ自炊ビギナーだけれども、現時点での試行錯誤の様子を報告したい。

1 何が必要か
・パソコン
読み込む際に使う。

・タブレット
パソコンでも読めるが、電子書籍はタブレットと相性がいい。
ちなみに私はiPadairで閲覧している。
本を読むときのソフトはi文庫がお気に入り。
他の端末でももちろんありだろう。(電子書籍専用の端末もあるそうだけど、まだそちらには手を出していない。ちなみにKindleの端末は、PDFの拡大ができないので私にとってはNG)

・スキャナー
私が愛用しているのはScansnap s1300i」という機種。
もっと高いものもあるらしい。
これは今後どんどんいいのが出てくるでしょう。

・ディスクカッター
本を裁断するために使う。
オルファ ロータリーカッターLL型 136B というのを使っている。
これも学校にあるようなごっつい裁断機でもいいんだけれども家庭用だったらこれで十分満足している。

・カッティングボード
本がおけるくらいの大きさであれば何でもよい。

・定規
カットするときに使う。

2、自炊の手順
①本をカッターで切るために、細分化する。
いっぺんには切りにくいので、ページをひっぱりながらめくり、カッターで100ページくらずつにばらしていく。

本を分解



このように3つに分けた
②ページを裁断する

いうまでもなく、この段階が最も神経を使う。
失敗したら取り返しのつかないことになる。
初めのうちはうまく切れなかったり、切る位置を失敗したりした。
すこしずつ裁断していけばそれほど難しくはないが、まずはいらなくなった本などで裁断を試してみることをおすすめする。

いよいろ裁断。緊張の瞬間!

表紙も切り取る
③スキャンスナップで読み込み
これも何回かに分けて読み込んでいく。
結構重要なのが、スキャンの読み込み設定だ。
読み込む前にある程度方針を決めておかないと、後でスキャンし直す羽目になるので慎重に検討しよう。
おもに検討するべきことは、読み込む画質とカラーモード。
画質が低いと見づらいし、高いとデータ量が増える。
カラーモードは読みやすさに影響する。
ちなみに私は次のような設定で保存している。

画質:スーパーファイン
カラーモード:白黒
読み取り面:両面読み取り
ファイル形式:PDF
原稿サイズ:サイズ自動検出
その他:白紙削除、向き補正

カラーモードを白黒にしたのは、ページによって茶色だったり白だったりと変わって認識される可能性があり、読みにくくなってしまうからだ。表紙が白黒になってしまうのは残念だが、いちいち分けてスキャンするのも面倒なので我慢している。
カラーページが多い本は当然カラーモードで読み込むようにすべきだろう。

どんどん読み込まれていく。かなりハイスピード!

④パソコンに読み込み
スキャンし終わると、自動的にパソコン内にPDFデータが保存される。
このときにテキスト認識できるようにしてくれるので、後で検索したりコピーするときにとても便利になる。(スキャンスナップのソフトで自動で処理される)

⑤PDFデータをクラウドにあげる
デジタル化したデータは、ドロップボックスとかグーグルドライブとかにアップロードする。
(これもスキャンスナップのソフトでできる)
このようにドロップボックスに送り込める

⑥i文庫からクラウドにアクセスしてiPad内で読めるようにする。
i文庫ではドロップボックスやグーグルドライブなどのクラウドにアクセスできるので、そこからファイルを読み込み、ダウンロードすることでiPadで読むことができるようになる。
iPadに読み込まれていく。表紙が白黒なのが残念。

i文庫で読むとこんな感じ。かなり鮮明でしょ。ページ送りもスムーズ。
やっぱり紙の本がいい!という人には決してお勧めできないけれど、自炊による電子書籍の読書は、私に次のようなメリットをもたらしてくれた。
・細かい字の本も読めるようになった
・通勤電車などで、重い本を開く苦労から解放された
・本棚がすっきしした(これは今後見込まれるメリット)
・いつでも、どこでもタブレットさえあれば、さまざまな本を持ち歩き、それを読む楽しみを与えてくれた。
などなど。
興味がある人はぜひお試しあれ。
(もっといい方法を知ってるよという人は教えてください)


2015/05/17

電子教科書はスマート教科書と呼ぶべし。

ちょっとかっこわるいけど、いっそのこと「スマート教科書」って言ってしまったらどうだろうか。
どうも、「電子教科書」は紙の教科書の上位互換だと勘違いしている人が多いような気がする。だから、紙の教科書をいかに効果的に見せるか、読ませるかという発想にしか至らない。
しかし、一人一台タブレット端末時代に入れば、電子教科書の活用は、必定、タブレット端末のもろもろの機能をいっしょに使いこなしながら、その環境下で「電子教科書」も学習材として活用していく形になる。
だから「電子教科書の利用=紙の教科書の上位互換」では問題の本質を見誤る結果になる。
携帯電話とスマートフォントとで何がどう変わったか。
例えば、私が現在使っているスマホだと、次の機能がある。
(分類はかなり適当)
・スマートフォンの機能
1、コミュニケーションツールとして
・電話
・メール、メッセージ
・SNSで交流する
・ブログを発信する
2、情報収集ツールとして
・webブラウザ
・ニュースサイト
・天気予報
・時計(タイムウォッチ、タイマーなど)
・地図(Googleマップ、Yahoo!カーナビなど)
・ネットラジオ
・youtube
・国語辞書、植物事典
・翻訳サイト
3、記憶するツールとして
・写真を撮る
・動画を撮る
・メモを書く
・音声を撮る
・ドロップボックスなどのクラウドストレージ
4、発信、記号操作するツール
・キーノートのようなプレゼンソフト
・Pages、Wordのようなワープロ
・Excelなどの表計算
・計算機
・写真・動画編集
こう考えると、一人一台タブレット端末で電子教科書を活用すると言うことは、おまけで上記のような機能も日常的に使う環境ができたことを示している。
そう考えたときに、「電子教科書オンリー」で何ができるか、何をしようかと考えるだけではなく、「電子教科書+タブレット端末による環境」下でどのような学習ができるかということこそ考えなければいけない。そういう議論がどこまでできるのか,どこまでされているのだろうか。
板書を写真に撮っちゃダメとか、ノートは手書きじゃなきゃダメとか言っているようじゃ、いつまでたってもICT活用はおろか、スマート教科書(デジタル教科書)の活用もおぼつかないだろう、
2015/05/17現在のスマホ画面

2015/03/31

私家版「現職教員大学院生による現職大学院生のための学生生活の送り方&修士論文の書き方」

はじめに
 「現職教員大学院生による現職大学院生のための修士論文の書き方」は、実は東京G大大学院に進まれたI先生による先行文献があり、門外不出のデータとして一部関係者間には出回っている。
その最後に「修了したあなたも論文の書き方を書いてね」と記されているので、私なりの、「現職教員大学院生による修士論文の書き方」を書き残しておこうと思う。I先生と内容的に重複しているのはご容赦願う。

1、現職大学院生は忙しい!
私は昼間は勤務校で授業をし、夜間は大学院に通うという二重生活を行っていた。
そのため、いかに効率的に大学院での研究を進めるかという難題に向き合うこととなった。
そういう苦し紛れな観点であみだされた工夫であると言うことを、まずは念頭に置いて読んで欲しい。また、国語教育の分野で研究を進めたのでややマニアックな記述が鼻につくかもしれないけど、現職教員大学院生や、国語教育系の学生でなくても参考になる部分があれば幸いだ。

2、どんな道具をあるとよいか
デジタル端末
 iPhoneなどのスマホ
 iPadなどのタブレット端末
 MacBookairなどのノートパソコン
なぜかすべてApple製品なのがいやらしいが、 べつに機種は何でもよい。
ポイントはいつでもどこでも持ち運べるということ。これがのちのち威力を発揮する。

スキャンスナップ……授業や研究会などの資料はスキャン&Evernoteに保存しておけばかさばらない。

書見台……本を見ながら引用文を書いたりするときにかなり便利だ。


ポストイットやノートなどの筆記具はいうまでもないだろう。
容量が大きめのUSBメモリ
(キーホルダーに付け、常に持ち歩いていた。データはDropboxとUSBメモリの二つを保存していた)
そのほか、ビデオカメラやボイスレコーダーもあるとよい。(iPad、iPhoneでも代用はできる)

3、どんなソフトを用意するか
次のソフトは必須である。
Dropbox(クラウド保存のバックアップ用として)
Evernote(同じく保存&メモアプリとして)
マナーカメラ(音の出ないカメラ。授業記録用などとして)
使い方についてはあとで。

4、どうやって授業を受けるか
大学の講義は基本的にノートパソコンを持ち込み、Evernoteを開いてその場でメモをしていく。
話の内容だけでなく、考えたこと,疑問点なども同時進行で書き出していく。
難しい言葉が登場したら、その場でGoogleで調べる。
参考文献が出てきたらAmazonでチェックし、必要があれば購入する。
PPTの複雑な図表が登場したら、その場でマナーカメラで撮影する。
そのようにして話を聞くだけでなく、 疑問を持ったり、調べながら聞くようにした。

授業が終わったら、FacebookなどのSNSで学んだことを簡潔につぶやく。また、ある程度まとまった内容であればブログにまとめる。できれば授業を受けたその日のうちが記憶が新鮮でよい。
こうしてインプットとアウトプットを循環させることで情報が整理されて、記憶に残りやすくなる。また、SNS経由で、詳しい方から反応をいただけたり、関連する情報を得ることもできた。

5、どうやって勉強したか
書籍代と土日の時間は覚悟しなければならない。家族の協力はもちろん必要だ。
私の場合、土日のうちどちらかは研究に専念する時間と設定し、書斎(という名の空き部屋)にこもってひたすら本を読んだり、原稿に向かったりした。
また、研究分野に関連する勉強会や学会に積極的に参加し、さまざまな先達とつながりを作るようにした。人と会ったときには積極的に自分の研究分野について話した。こういうつながりを作ることも、情報を収集し、研究を育てるためにはとても大切だ。

5、どんな手順で研究を進めるか
(1)研究分野を知る
「教育研究」とはそもそも何をどう進めていけばいいのか、その全体イメージを持つことが必須だ。
「学習指導要領に新しくでてきた内容をやってみたよ」というレベルでは、校内研究では通用しても、大学院で研究すべき内容だとは見なされない。むしろ学習指導要領を批判的に読み解いて、課題を示すくらいの姿勢が必要だ。
教育研究の全体像を手に入れるために、まずスタートは次の本を読んだ。

この本のいいところは、「教育研究」とひと言で言っても、さまざまな分野があるということが概観できることだ。
この本を読んで、私がやりたいことは「カリキュラム開発」であるということが分かった。

(2)修士論文、博士論文を見る
次に、研究のイメージを持つため、実際の修士論文、博士論文を見ていった。
まず自分のやりたい内容をキーワードで列挙してみる。
編集
作文教育
出版学習
アカデミックライティング
メディアリテラシー
読み書き関連学習
情報活用能力
文章生成
カリキュラム開発
など。
このように、列挙したキーワードに関連する分野や類似する研究手法の修論、博論をまずは読み込んでいった。分野によって研究の手法が微妙に異なるので、自分のやりたいことに近い内容の論文を見ておくことがとても重要だ。
大学の研究室にも先輩方の論文はあるが、それらの論文を見て満足するのではなく、やはり優れた論文を数多く見て、こんな論文を書きたいなというイメージを持っておくことが必要になる。

ちなみに学術論文はウェブ上で検索&読むことのできるサイトとして、CINNI(サイニー)やGooglescalarがある。※博士論文は大学のweb上で公開されているものが多い。

また、図書館の書架巡りをすることも有効だ。大学、地域の図書館など。図書館によって得意分野が違うので注意されたい。また、図書館の書架は国語教育に限らず、認知心理学やメディア関係など、他の領域でも参考になるものが多いので、関連する棚をすべてじっくりと眺める時間を一度は取ってみることが必要だ。(およそ3時間~半日くらいは必要だろう)

都内の大型書店もたまにまわると、どんなことが話題になっているかがよく分かる。
池袋ジュンク堂、新宿紀伊國屋書店、神保町三省堂など。

もちろん、Amazonなどのネット書店の検索も使いまくる。

結果、修士論文、博士論文は次の文献が参考になった。

◎国語関係の修士・博士論文として入手したもの
池田修『中等教育におけるディベートの研究 -入門期の安定した指導法の開発』
摺田誉美『「説得するために書く」作文指導のありかた』渓水社
貝田桃子『作文教材の開発に関する研究』渓水社
井口あずさ『中学生の意見文作成過程におけるメタ認知方略指導に関する研究』渓水社

・以下二つは博士論文、早稲田大のネット上にある。。
町田守弘『サブカルチャー教材による国語科授業開発論――学習者の興味・関心喚起の方略を探る――』
田中宏幸『中等作文教育におけるインベンション指導の研究 : 発想・着想・構想指導の理論と実践』

(3)仮の研究題目と研究目的、目次案を考える
第一の難関が、研究題目、研究の目的、そして目次だ。
この三つがきっちりと組み合わされば、おそらく論文の50%くらいは終了したと言ってもいい。
だから、この3つに関しては、何よりも先に手を付け、そして最後の最後に至るまで、何度も何度も練り直していくことになる。 
題目と目的、目次は、(2)のお手本を参考に、自分の研究内容に代入してみる。
そのまま言葉だけを換えて当てはめてみるといい。しっくりといかない部分があれば微調整をしていく。もちろん、研究が進むに従って目次も進化していく。

論文の書き方については次の文献が参考になった。
◎論文の書き方などで参考になった本

『留学生と日本人学生のためのレポート・論文表現ハンドブック』東京大学出版会
 この本は最も分かりやすい論文の書き方指南本。
 なにを研究すればいいかということだけでなく、どのような言い回しをしていけばよいかという文体まで具体的に例示している。何をおいても買うべし!


『これから研究を書く人のためのガイドブック』ひつじ書房
研究の進め方や具体的な論証の仕方なども含めて説明してある。学術論文とは何をどう研究すればよいか、初学者にもわかりやすく書かれている。


戸田山和久『論文の教室』NHKブックス
語り口が読みやすくおもしろいだけでなく、「科学」の本質も突いている。
様々なところで絶賛されているのであえて紹介する必要も無い名著だろう。 あれっ?新版?

◎その他、質的な研究手法として参考になったものとして次のものがある。
西條 剛央『ライブ講義・質的研究とは何か』新曜社
関口晴広『教育研究のための質的研究法講座』北大路書店
佐藤郁哉『質的データ分析法』新曜社
……こういうデータの整理の方法については、全くといっていいほど勉強してこなかったので、最初の段階でかっちりと勉強しておけば、もっと精密な研究ができたかもしれない。(結局、これらの質的な研究手法についての文献は、後追い的に読むことになってしまった)

論文の具体的な書き方や研究法については、上記文献を読んでおくとよい。

(4)先行研究を探る
研究のスタートは先行研究だ。まずは何が分かっていて,どんな課題があるかを知らなければいけない。その分野における研究成果の全体像と、かすかな「穴」を見つけるのがここでの課題だ。
「敵」をみつけるのではなく「穴」を見つけるのがポイント。明らかに正反対な立場・主張や、劣った実践をあげつらって批判をするのは、あさましい研究姿勢だ。
自分と一番近い立場や、一番優れた研究成果を取り上げつつ、「ちょっと足りない」「ここが惜しい!」という部分を付け足すような研究の方が建設的な提案となる。

先行研究をさぐるために、以下の文献が参考になる。

①国語教育関係の辞典をひもとく
日本国語教育学会をはじめ、さまざまな研究団体からでている。
作文教育や音声言語などの分野ごとの辞典もある。
辞書のいいところは、その分野の当代一流の専門家がバランスよく選ばれて執筆しているということだ。誰がその分野のエキスパートなのかということも辞書から知ることができる。
古いものが多いが、それぞれの思潮の基本的な流れをつかむことができる。
もちろん、国語教育以外にも教育心理学、認知心理学などの辞典からも得ることが多い。

②『国語科教育実践・研究必携』『国語科教育学研究の成果と展望 Ⅰ・Ⅱ』を読む。
それぞれの分野の研究課題や、巻末の参考文献が有益。

③ ①②をもとに、研究したい分野の『国語教育基本論文集成』『朝倉国語教育講座』などの基本文献にも目を通しておく。

④「博士論文書誌データベース」(国立国会図書館・国立情報学研究所)で関連しそうな博士論文をあさる。博士論文は必ず先行研究のレビューがある。そこで紹介されている参考文献を芋づる式に当たっていく。

⑤CiNii(論文のデータベースサイト)や、「明治図書教育記事データベース」などで関連する論文をひたすら探す。

⑥図書館にレファレンス依頼をし、関連しそうな本に目を通す。
優れた司書さんに出会えると、詳細な文献リストを作ってくださって一気に研究が進む。なるべく具体的な(かといって絞りすぎない)方向性を示すリクエストを出すことがポイント。

⑦過去の教科書に目を通す。
国立教育政策研究所の教育図書館や東京書籍の「東書文庫」などに行けば見ることができる。
(要予約、平日しかあいていないので夏休みなどを狙う)

⑧詳しそうな人に聞く
実はこれが一番有益かもしれない。
自分と共通の関心や研究領域の学生、先生と仲良くなって聞き出す。
学会や研究会はそのための人脈作りの場所だと思うべし。
講話を聞くだけで帰っちゃうなんてもったいなさ過ぎる。出会ったらすぐにSNSでつながり、以後研究のアドバイスを受ける。もちろん、反対に研究について質問を受けたら、ケチらずに快く情報をシェアし合う。

(5)文献を保存、整理する
使えそうな論文は、じゃんじゃん保存しておく。
そのときに便利なのがEvernoteやDropboxなどのクラウドだ。
手に入れた文献はEvernoteに、書いた文章はDropboxに飲み込ませておく。
本の場合は、引用できそうな箇所があったら、表紙と後付け、引用箇所の写真をスマホで撮っておく。保存はEvernote。(あとで引用チェックをするときにいちいちページを探すのは大変)
※図書館の資料の場合は複写のルールが決められている。

引用を本文に書き写したり、インタビューなどを書き起こす場合は、音声認識が便利だ。Evernoteなどに付いている音声認識はかなり使える。スマホに向かって読み上げるだけでOK。

(6)メモと見出しから書き出す
ワープロのいいところは、どこからでも気軽に書き始められるところだ。
思いついたらすぐに書き出す。メモを取る暇が無かったら、これも音声認識。イタコのように、ごにょごにょとつぶやけば、それを文字に書き出してくれる。そのメモを元に原稿を書き進んでいく。

私の場合は
1、目次
2、見出し
3、本文
4、脚注
の順でおおむね書いていった。
つまり、時系列的に前から書き進めるのではなく、まず大まかに、書くべき「枠組み」や「流れ」、「落としどころ」を規定しておいて、その枠組みに沿って具体的な内容を書き進めていく。
一番いけないのは、ノープランでいきなり本文を書き進めていくこと。そうすると必ず行き詰まったり、ぐちゃぐちゃになってしまう。
見出しから書き始める方法のいいところは、文章の筋道が脱線、破綻せずに流れていくということだ。
だから、逆に、うまく文章が流れていないなと思ったら、見出しを新たに立てなおしてみるとよい。そして、ずれているところはばっさりと切り捨てる。川の支流と本流の関係と同じだ。本流が太いと、読み手は安心して流れに乗れる。 
このばっさりができないから、グニャグニャした論文になってしまう。
また、曖昧なことや余計なことを言い過ぎて突っ込まれるポイントを作ってしまう。
論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっているものと心得るべし。

(7)小さい論文を書きためる
修士論文は、最終的にはおおむねA4100ページ以上の大部なものとなる。
それを一気に書き進めるのは至難のワザだ。
だから、大きなゴールの前に小さな目的地を設定し、少しずつ書きためておくのがよい。
私は修士論文のための「習作」として、二つの紀要論文を書いた。
1、先行研究のレビュー論文
2、授業実践についての論文
ここでまとめた論文は、身内の勉強会などで順次発表をしていく。そうして様々な人から意見をもらっていく。このようにして修士論文の内容をさらに豊かにしていくことができる。
この2つの論文を組み合わせ、新たな内容を付け加えて、最終的に100ページ以上の論文に仕上げていった。

(8)授業の記録をこまめにとる
授業開発系の論文では、授業の様子をいかに生き生きととらえるかが鍵となる。
校内研究の紀要のように指導案を書いて、授業の写真を撮って、アンケートをとって終わりでは全く通用しない。だから、授業の様子を逐一記録しておくことが重要になる。
ビデオカメラで記録するのは一番いいんだろうけど、私の授業はグループや個人での作業が中心となる。そのためビデオの台数が十分に確保できないのでボイスレコーダーを各グループに置くことにした。また、毎時間、生徒に学習した内容やふり返りなどを日誌として記録してもらうことにした。
このように記録を取っておけば、あとでデータとして授業を検証することができるので、前もって、どう授業を進めるかということとと同じくらいに、どのように授業の様子をとらえ、データを取るかという方法を吟味しておくことが重要だ。授業前に事前アンケートなどをとって変化を比較するという方法もあるだろう。(もっとも、これは研究の目的との兼ね合いで考えていけばいい問題だ)
授業の記録と同じくらいに重要なのが、授業をしているさなかに感じた感覚や、終わったあとに考えたことなどを、忘れないうちにメモしておくと言うことだ。
あとでまとめようと思っても、時間がたつに従って感覚が薄れてしまう、(薄れてしまうくらいのかすかな気づきほど貴重なものはない) だから、授業中であってもメモできるものをそばに置いておいてその場でメモする方がよい。また、授業が終わったらその日のうちに感じたことを文章にして書き留めておくことをオススメする。できるだけ直後がよい。この手の記録は、ためればためるほど、おっくうになってしまうものだからだ。(と同時に、少し時間をおいて再度記録を見直すものよい。冷やした頭で見るとと、また新たな気づきが得られるからだ)
これらの、授業者のかすかな気づきをまとめ、論理的な文体(根拠を示し、主張を導いていくこと)で表現していくのが質的な研究のキモになってくる。
こういう気づきをうまくすくい上げることができれば、大学の研究者には絶対にできない、いつも生徒に関わっている教師ならではの視点の実践研究になってくるはずだ。

(8)研究指導では、どこを指導して欲しいかポイントを明示する
大学院のゼミでは月に1、2回研究指導を受けることになる。
そのときに、毎回、書いてきた文章をただ示すだけでは、指導をされる先生もどこに焦点を当ててアドバイスをしたらよいか分からない。よって効率も悪い。
そのため、必ず最初に論文の目次を示して全体像をとりあげ、その中で、とくに今日はここを見て欲しいというポイントを示してから指導を受けるようにした。(そのポイントに到達する前に、無残に斬られることも多々あったが……)
もとより、毎時間完璧に準備をして論文を見ていただくなんて不可能だ。だから、少なくともポイントを絞って、最低限必要なところでも確実に指導をしてもらえるように工夫することが重要になる。

(9)使うと便利なワープロの機能
修士論文の執筆では一太郎を使ったけれども、この論文執筆では普段あまり使わない色々な機能を使いこなした。※ワードにも同様な機能はある。
これらの機能は、早いうちに身につけておくととても便利なので、使いこなせるようになっておくとよい。
・検索
・置き換え……語句などの一括変換ができ、用語を統一させることができる。
・連番……章の番号などが入れ替わると新たに振り直すのが面倒。はじめから連番設定にしておく。
・脚注……ページ末に脚注スペースを付くって入れてくれる。
・目次……自動でページ数を振ってくれる。
・文章校正……誤字脱字などをチェックする機能。100ページを超えると校正だけでも一時間以上かかる。
探せばもっと便利な機能はあるだろう。
このほかにも、論文作成を支援するソフトがいくつかある。(メンデレイなど)
結局使いこなせなかったが、余裕があれば、そういうソフトにも手を出せればよかった。

(10)知的誠実とは「正確さ」、「懐疑精神」、そして「温かみ」にある。
あえて言うまでも無いが、引用はOKだが、「ぱくり」は厳禁だ。この引用も、一言一句、余白や記号に至るまで正確に引き写さないといけない。軽い気持ちで引用をすると、引用ミスだらけでいつまでたっても完成がおぼつかないと言うことになる。(そういう厳密さは、論文を校正する際にイヤと言うほど痛感させられた)

もう一つは「懐疑精神」だ。えてして先行研究を取り上げるときに、自分に都合のよいデータばかりを並べ立てて、「これもよい」「あれもよい」という総花式のデータの羅列になってしまいがちだ。しかし、それらの先行研究をどこまでも疑い、批判的に検討し、課題を見いだして乗り越えようとしなければ新奇性のある研究とはならない。
この「懐疑精神」とは、他人の研究だけでなく自分自身の研究に対しても向けられる。「本当にここまで言えるのか」「確かな根拠はあるのか」「これだけで読み手に伝わるのか」というのを、どこまでもどこまでも、丁寧に説明し尽くすことが必要になる。そのためにいくら冗長になっても、論文ではそれは許される。(反対に、根拠をあげて主張を説明できない場合は、ばっさりとそれを論文から切り捨てなければいけないということになる)。とくに修士論文では、自分とは違う分野、立場の人にも分かるように、ゼロから説明する丁寧さが求められる。だから「学習指導要領では」「文科省では」「PISA調査では」というレベルでは全く通用しないのだ。なぜ学習指導要領なのか、なぜ文科省なのかというところまで、臆見ではなくデータを引用しながら、教育について未知の読者に向けて論じなければいけない。そういう意味では「今ここが問題なんですよ」というオリジナリティーのある課題提示、「問題の所在」を、説得力を持って伝えることができるかどうかが最大の山場なのだともいうことができる。

最後に必要なのは「温かみ」だ。学術論文であっても「温かみ」というウェットな要素は必要だ。というか、そもそも温かみのない研究は、実験室で行われるものだったらいいかもしれないけれども、教育現場で行われる実践研究にはふさわしくない。子ども(学習者)の可能性に対する畏敬の念や、尊厳に対する配慮は研究であっても欠かすことができない。そういう配慮は、ちょっとしたアンケートの言葉や、成績を評価するコメントや、学習者を表現する語尾から伝わってくるものなのだ。だから、研究であっても、人と関わる教師としての謙虚さや魂を失ってはならないと思う。(大学では研究に対する倫理規定を定めているところが多いので、ちょっとした調査などは、事前に大学の倫理審査委員会に申し出て許可を得ることになっている場合もある)

終わりに 修士論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっている
あらためて繰り返すが、修士論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっている。
山を動かさんばかりの野望を持って書き始めた論文も、できあがってみると「え、これだけ?」と言っちゃうくらいのささやかさになる。だから完成した修士論文に無念と後悔を感じない人はいないだろう。
しかし、どんなささやかな内容であっても、自分の力で書き上げた、そして多くの生徒(学習者)とともに作り上げた、かけがえのない時間の記録であることは間違いない。
かけがえのない時間を、どれくらい自分は記述することができたろうか、学習者をどれだけ理解し、そして文章として描くことができたろうか。そんな無念の底には、すくい取れなかった無限の「意味」が潜んでいる。
「修士論文の完成は、研究の終わりでもあり、始まりでもある」と言われる。その始まりはおそらく、無念の底に存在する「意味」へとつながる道に向かっていくはずだ。
修士論文を書くなかで学んだことを端的に言うならば、「引き算」と「あきらめ」という言葉を私は想起する。そして無限の「意味」へのまなざしということになりそうだ。
そんな世界に少しでも興味を持った人は、ぜひ大学院での研究にチャレンジして欲しいと思う。
 立った、ろんぶんが立ったよ!

2015/03/30

道に迷わなくなる方法は、道に迷うこと

旅行の醍醐味は「道に迷うこと」である。
というか、迷う道のない街ほどつまらないものはない。
私が好きな街は、例外なく、迷わせてくれる街である。
ベネチア(イタリア)、フェズ(モロッコ)、大柵欄(中国・北京)、ヴァラナシ(インド)、エルサレム旧市街などなど。
迷って、迷って、何度も同じ道をぐるぐる回って、地図とにらめっこして、そうしていくうちに、次第にその街の相貌がつかめてくる。地図が手の内に入ってくる。おおよそ3日間くらい歩き回ると、大体の街の方向感覚くらいはつかめるようになってくる。そのくらいまで見えてくると、その街に一気に愛着がわいてくる。

道に迷わなくなる方法はただ一つ。道に迷うことしかないらしい。
たとえば、ガイドがそばにいて丁寧に道を教えてくれたとしても、いや、ガイドがいるからこそ、いつまでたっても道を覚えることが出来なくなるようなのだ。
ガイドでなくても、たとえば友達と一緒に移動をしたとして、友達任せにしてついていったりしても、やはり道はいっこうに覚えられない。
どうやら道を覚えるためには、人任せでは全くダメらしい。
自分で進む道を決めて、ゴールに向かって進んでいくということしかないらしいのだ。
ガイドとか、ナビとか、地図とかそういう手引きはいくらでもあるけれども、結局、自分で進む道を決めること、そして道に迷うことより以上の、その街を知るための解決策はないらしい。

2015/02/21

電子書籍の意外な効用

定期テストに読書課題を出した。
宮澤賢治の作品『注文の多い料理店』『セロ弾きのゴーシュ』『風の又三郎』そして『銀貨鉄道の夜』を読んでおく課題を事前にだし、そこから出題するという形式。(この課題は長期休業中に課しておいたもの)
それで今、あらためて賢治の作品を読み返している。読んでいるのはi文庫HDというアプリ。
この手のツールはあまり活用していないんだけど、使ってみて感じる効用がいくつかある。
その一つは、「終わりがいつか分からない」という点だ。
紙の本だったら、本の厚みで「もうすぐ終わりだな」というのが分かってくる。しかし電子書籍だとそれが分からないので、どこまでこの話が続くかどきどきしながら読み進めることができる。
もう一つ、「読み上げ機能」を使った読書。i文庫では音声で読み上げる機能がついている。そこで、この「読み上げ機能」をつかって、読み上げる機械の音声を聞きながら読み進めている。(授業で教師の範読を聴いているのと同じ?) 
多少読み間違いはあるが、慣れてくるとかなり速いペースで読むことができる。飽きっぽい私には、集中して速読できる機能として活用している。

2015/02/13

「見つけられるけど探せない」

今日は学校司書Nさんとお隣の小学校の図書室へ訪問をしてきた。
そこで、色々と興味深いことを伺った。たとえば、最近の子は「見つけられるけど探せない」というのだ。
最近の小学生は、図書室に行っても本棚から本を探し出すことができない。調べ学習などで本を探すときに、まず本棚にいって探しだすのではなくて、真っ先に検索機に行って蔵書検索をする。そして検索機が指定されたところへ一直線に向かって本を見つけ出す。
「子どもって、どんなところにお菓子を隠しても見つけ出すでしょ、でも、マヨネーズを持ってきてって頼むと、冷蔵庫から探し出せない。それと同じなんですよ。見つけられるけど、探せない。冷蔵庫の隣の棚を見てみようとか、別の棚を探そうとか、そういう発想にならないんですよ」
これは、ある意味巧みな情報リテラシーなんだろう。しかし、これは小学生に限らず、Google検索時代の情報リテラシー全般に通じる落とし穴のような気がした。

2014/11/04

良い本の評価指標、一つの例

良い本は……
・他の文献にしょっちゅう引用されたり話題にされている。
↑これは言うまでも無い、多くの理論の土台になっていたり、批判の対象になっているということは、それだけ価値があるということ。
・その本を読むと、関連する他の文献が読みたくなる。
↑価値ある本は、唯一無比の孤高の価値を持つようでいて、実はそれは独断ではなく多くの文献、知的遺産を継承して成り立っている。しかもそれを隠さない。
だから、そういう優れた本を読むと、関連して取り上げられている他の本へと必ず手を伸ばしたくなるものだ。

2014/09/19

SNS投稿、10の極意。

極意一
稚拙な思いつきほど投稿せよ
理由
・賢い誰かからアドバイスをもらえるかもしれないから
・いつか気の利いたこと書けるだろう、というその「いつか」は、日常的に書いていないと永遠に訪れないから。

極意二
具体的な読み手をイメージせよ
理由
例えば、通勤電車で見かけた人とか、友人のAくんとか誰でも良い。具体的な読み手を想定して言葉を届けるつもりで書くといい。例えその人でなくても、似たような境遇の人がきっと反応してくれる。

極意三
情報をケチる奴には情報は集まらない
理由
有益な情報や、ちょっとしたコツなどを独り占めするのではなく。シェアしあうことが長期的には自分の利益になる。
なぜなら、そうして刺激し合い、学び合うほうが、自分と関わる人たちがお互い賢くなり、より有益な情報をシェアしあえるようになるから。

極意四
思いついたらすぐ書くべし

極意五
ネタ切れでもめげるべからず。

極意六
最後まで書かなくても、いい。

極意七
未完成ほど味があるべし。

極意八

2014/09/18

ファシリテーショングラフィックの有効性と限界に関する考察、あるいは「出来事」を書くことの意味

ファシリテーショングラフィックとは、話し合いながら、その過程を即時的に模造紙などに書き留めていくことをいう。ファシリテーショングラフィックは流れて消える話し合いを書きとどめ、話し合いを活性化させるためにとても魅力的な可視化の手法だ。
代表的な文献は次の2つ。






学校教育では「板書」がある意味「ファシリテーショングラフィック」の機能になってくるのだろう、でも私自身は正直、板書はとても苦手。話を聞きながらまとめるのってとてもハードルが高く感じてしまう。こんな苦手な私でも何とか書けるようになりたいなあと思って勉強している。そして子どもたち同士の話し合いなどでもファシリテーショングラフィックを活用していきたいなあと思っている。

この間、学校教育にファシリテーショングラフィックを導入している第一人者、藤原友和さんとお会いする機会があった、ファシリテーショングラフィックを描くワークショップが開かれたのだ。そこで、ファシリテーショングラフィックを体験した中で感じたことを、ここに忘れないうちに書き留めておこうと思う。

一つ目、学校教育と、社会で必要とされるファシリテーション(グラフィック)には、本質的な違いがあるのではないか?
そもそも、ファシリテーショングラフィックは、まちづくりなどのワークショップ文化の中で生まれた合意形成のツールであるそうだ。それを、学校教育の文脈に移行したときに変容してしまう部分はないのだろうか。(もちろん、どちらがいいとか悪いとか言うつもりはない)
端的な例でいうと、町づくりなどの課題解決においては「答え」は一つではない。しかし、学校教育においては、ファシリテーションとは、「答え」を絞り込んでいく「落としどころ」へと誘導していくための機能としてはたらくことが多いのではないか。(とくに教科学習)
たとえば、授業中、授業の目当てとは全く見当違いの児童の発言がでてきたとする。そのときに、その発言をファシリテーショングラフィックで取り上げ、位置づけていくことはどこまでできるのだろう。すべては無理だし効率的ではない、だから想定外に的まずれな発言が出されたときには、そのような発言を教師が「流す」という選択をとらざるを得ない。しかし、学校教育で求められるものと、まちづくりなどの社会で必要とされるファシリテーション(グラフィック)の質的な違いをどうとらえればよいのか。または同じと考えていいのか。

二つ目、「紙に書く」ということが、一つの「権威」となって機能することはないか。
一つ目と関連するが、ファシリテーショングラフィックにおいては、おのずとグラフィッカー(記録者)によって「書かれる言葉」と「書かれない言葉」が出てくる。また、その「描き方」におのずと書き手の価値判断が含まれる。その書かれなかった言葉の行く末はどうなるのか。

これは、ものすごく大げさな言い方をすると、いわば、「誰が歴史を書くか」という問題なのだ。
「歴史」において影響力を持つのは、どんな出来事が起きたかということよりも(何が語られたか)よりも、何が書かれたか、何が残されたかと言うことだ。(いわゆる教科書問題のような「歴史問題」とは常に「出来事をどう記録するか」という問題でもある。反対に、「記録」のない、文字の発明されるあとよりもずっと以前の、とてつもなく膨大な時間の流れを「先史時代」とあっけなくひと言で語ってしまうものこれと同じだ。歴史(history)は、his story である。スペルあってる??)

語られる、フローの言葉は消え去っていく、しかし記録された言葉は時間と空間を越えて蓄積されていく。そこに権威性が発生する。たとえば、社会主義国家では「書記長」が最も高い権力を持つ。それは「出来事を記述できる」という機能を握っているものが、権力を持つということを示している暗喩でもある。(ちなみに英語で「権威」はauthority、「著者」はauther)
ファシリテーショングラフィックにおける「書くこと」には、「書かれた言葉は価値あるものであり、公認の発言として共有されたものである」という権威性を帯びたものとなることに十分配慮しなければいけないと思う。
学校教育において、教師がファシリテーショングラフィックを描く場合、あるいは、グループの話し合いの中で特定の生徒がそれを描く場合、自ずとそこに権威性が立ち現れる。グループの中で、書かれる言葉と書かれない言葉の選別、編集が行われる。すべての意見を書き出すことはできない。また、ファシリテーショングラフィックの書き表し方に自ずと書き手の意図があらわれる。「流す」言葉が生まれる。それはどうしようのないことなのだ。

私はその権威性を解き放つ可能性に「共同編集」があると思う。(相互編集?共同編集??)
記録者が一人で好き勝手に書いて話し合いをコントロールするのではなく、共同で書きあうこと。たとえ一人の記録者が書いていても、いつでも、誰でもその「記録」に参加できる余地があること。それが可能になることで、ファシリテーショングラフィックが、より柔軟性のある合意形成のツールとして機能するのではないかと感じる。
ひょっとしたら、ファシリテーショングラフィックが「巧みな」人が行う話し合いよりも、ファシリテーショングラフィックが「稚拙な」人が行うグループの話し合いの方が、話し合いとしてよっぽどいいものになる可能性さえあるのではないか。話し合いのメンバーが、記録者の書いていく言葉を見ながら、「おれだったらこう書く」「この言葉はこっちに書くべきだ」となどと「記録されたもの」について、わいわいと言い合う「共同編集」のコミュニケーションがそこに自然に生まれるからだ。(効率的でないので、収拾がつかなくなる可能性もあるけど……)

三つ目 ファシリテーショングラフィックが手書きであることの意味は何なのか?
私は、ごく近い未来に、ファシリテーショングラフィックがICTなどで代替できる日が来ると思っている。ファシリテーションのシステムが高度に精緻に分析できれば、それがSNSなどのwebツールで代替できるはずだと予感している。そうなれば、手書きによるそれよりも、さらに効果的に集合知を創発するものになるのではないかと思っている、

web2.0の理念には、「集合知」を生かす「共同編集」にある。

   web2.0についてのWikipediaの定義は以下の通り
ティム・オライリーの初期の定義は『旧来は情報の送り手と受け手が固定され送り手から受け手への一方的な流れであった状態が、送り手と受け手が流動化し誰でもがウェブを通して情報を発信できるように変化したwebを「Web 2.0 」とする』としていた。
しかし、最近の発言では定義はあまり明確ではなく、彼も範囲を限定しないためにあえてそうしたとブログで説明している。また、彼は翌日、同ブログでWeb 2.0とは「すべての関連するデバイスに広がる、プラットフォームとしてのネットワーク」であり、Web 2.0アプリケーションを「ネットワークが本質的に持つ長所を最大限に活用するもの」であるとしている。
また、日本のITコンサルタントである梅田望夫は、著書『ウェブ進化論』で、Web 2.0の本質を「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」としている。
たとえば、Wikipediaなどのオープンソースのサイトがある。言うまでも無く、Wikipediaは誰でも参加でき、誰でも書き込める。そのほか、各種掲示板やクックパッドなどの投稿サイトも「共同編集」の原理で運営されている。Wikipediaに限らず、webの原理として「共同編集」は不可欠の要素である。

集合知についてはこれ!


話し合いなどのフローの情報を、書き言葉のストックの情報に編集していくためには、どのようなインターフェースが可能なのだろうか、それは私のような素人にはわからない。しかし、もし、ファシリテーショングラフィックが、手書きの温もりとか勢いなどの要素を100%分節化できたとして、なおかつそれをwebなどで共同編集できるものになっていれば、それは原理的には可能になるはずだ。
しかし、それが無理だとするならば、分節化し得ない、ICTでは代替できない「何か」があるわけで、その「何か」こそ、ファシリテーショングラフィックのキモなんじゃないかなと思う。

2014/09/14

ネット書店、大型書店、古書店の楽しみ方

ネット書店(Amazonなど)
【ポイント 買いたい本を安くゲットせよ】
・読みたい本を確実にゲットできる。
・レビューを読める。レコメンド機能がある。
・中古本を安く手に入れられる。
→しかし、自分のほしい情報以外には目が向きにくく、視野が狭くなるというデメリットも。

大型書店(池袋ジュンク堂や、神保町三省堂、新宿紀伊國屋、東京八重洲ブックセンターなど)
【ポイント 流行の本、異分野の本をキャッチせよ!】
・売れ筋の本を見て、時代の潮流をキャッチできる。
・自分の興味のない棚でも眺めているだけで発想が刺激される。
→古すぎる本、売れていないマイナーな本は見つからないかも。

古書店(神田神保町古書店街など)
【ポイント 古書との一期一会の出会いの場。本が「俺を読んでくれ」と語りかけてきたら、躊躇せずに買うべし】
・こんな本あるんだとか、懐かしいー、という発見がある。
・書店主のこだわりによっては、古かったり、マイナーな本でも価値の高い本がさりげなく置いてあったりする。
・分野別にコレクションされた専門的な本を入手できる。
・誰かが一度は買い、さらには古書店主が買っているので、2重のキュレーションが加えられている。それなりの価値があるものと出会える可能性が高い。
→古書店街は、「中古の本を安く買う場所」ではない。ピンポイントに本を探してもまず見つからないことが多い。むしろ、予想外の出会いを期待しにいく場所である。

2014/09/05

iPadはプレゼンを変える?

林間学校の事後指導で、班で学んだことをプレゼンする活動を行った。
iPad&プロジェクターで、プレゼンが一気に簡単になった。
それはキーノートやパワポを使ったからではない、
そんなものは必要ない。手書きで書いたA4の紙を写真で撮って完了。模造紙さえ必要ない。時間も1時間でOK.
(キーノートを使うグループもあったが、手書きよりもインパクトに欠け、見ている生徒の受けは良くなかった……)
これは、たいした
ことないようで、実に大きな進化だと思う。
これだったら、毎時間だってプレゼンをすることができる。いや、プレゼンなんて大げさなことでなく、つまり、視覚資料を用いた発表を日常的に行うことができる。
「意見を言ってみよう」から、「図に示しながら意見を言ってみよう」へ。
これで子どもたちの表現力がどう変わるか?
些細なようで、とてつもなく大きな変化だと思う。

2014/08/24

「中学三年生の2割は、ネットで知り合った人に会いに行ったことがある」

「中学三年生の2割は、ネットで知り合った人に会いに行ったことがある」

これは、この間の「情報モラルの最新事情」セミナーでの印象的な言葉。
(※念のため、中学生があぶない大人と出会うという意味ではないからね。LINEなどのつながりで趣味の合う友達とつながるという意味。)

親父世代からしてみれば、ネット上の出会いを「危険!」「いかがわしい」と感じちゃうかもしれない。
しかし、そういう私たちだって、「部活の試合で見かけた他校の生徒」とか、「模試でたまたま隣の席だった人」などと偶然知り合い、友達になるとこともあった。それが「ネット上」に変わっただけということも言えるのかもしれない。少なくとも中学生はそういう感覚だ。
ショッピングでも、いまやAmazonや楽天などの「ネット上」のお店から買うことも当たり前になってきている。それを「危険」とか「いかがわしい」とはもう考えないだろう。「非対面でのショッピング」は、リアルなショッピングの割合と比べてどんどん増えてきている。
「ネット上の、非対面での人間関係」も、今後ますます私たちの日常生活で増えていくことは間違いない。
フェイスブックなどのSNSを日常的に活用している人なら、「ネット上の、非対面での人間関係」の意義や効用については疑う人はいないだろう。
「ネット上の」非対面での人間関係」においては、今までにはなかった言語生活が、今までは求められなかった作法や意識が要請されるようになる。
それはどのようなものなのか、どのように学んでいく必要があるのか?
まだまだ授業開発すべきことはたくさんある。

2014/07/22

正しい斜め読みの作法

正直に告白すると、持っている本の三分の一もまともには読んでいないだろう。
だが、ちょっとしたコツで読んだことにしてしまう秘策がある。
斜め読みという技である。
斜め読みなんて、何と無く、不真面目で手抜きかもしれないので、おおっぴらには言いづらいことだったけどが、先日、ある。超読書家の方も私と同じような読み方をしているときいて、これでよかったんだ!と安堵し、公開に踏み切ることを決断したのである。

正しい斜め読みの作法
1、本の紹介文、作者のプロフィールをじっくりよむ。時間があればWikipediaなどで調べる。Amazonやブクログなどのレビューも目を通す。(あてにならないことが多いが読者のリアクションとしての意味はある)

2、前書き、あとがきをじっくりよむ。
(その本のウリや、要約が書かれていることが多い)

3、目次に目を通して、だいたいの内容や全体のトーン、主張を類推する。索引や参考文献が紹介されていれば、それが文章のキーワードになるし、文章の根拠や系譜を知るために役立つ。

4、とりあえずページを始めから最後まで全めくりする。
(ここが斜め読みの核心。面倒だけど全てのページを見る。大変だけど、ものの10分でしよ。
こうすることで全体の構成が把握てきる。そして、どの辺が必要な情報か、どの辺が気合いを入れて書いているかがわかる。)

5、全体の中から優先順位の高い順にページを開き、読む。
最初からという順序を気にせず、いきなり核心から読む。必要があれば遡って読む。

2014/06/29

プロリサーチャー喜多あおいさんの百発百中の情報収集術

「リサーチャー」というお仕事
この世の中に「リサーチャー」という職業があるのを初めて知った。
リサーチャーとは、テレビ番組などで出てくる情報をとにかく「調べる」のがお仕事。
「行列のできる法律相談所」に登場する弁護士や相談事例を探し出したり、
「タイムショック」のクイズ問題が正しいかどうかを「裏取り」したり、(問題を作るのは「クイズ作家」さん、裏取りをするのは「リサーチャー」の仕事)
「ハケンの品格」のドラマをつくるためにひたすら派遣社員さんにインタビューしたりネット掲示板などでリサーチしたり、
報道番組などのコーナーでおもしろおかしいネタを提供したり、コンプライアンス的に大丈夫かどうか様々な角度から検証をしたり……
などなど、情報・バラエティー番組、クイズ、ドキュメンタリーなどあらゆる領域で「リサーチャー」の方々が活躍しているそうだ。
昨日はその「リサーチャー」喜多あおいさん(株式会社ズノー ジーワン調査部 チーフリサーチャー)のお話を、池袋教育同人社で行われた「メディアリテラシー研究会」でたっぷりと伺うことができた。
喜多さんの本。すぐに本屋に走ってこれをゲットしたのはいうまでもない。


情報を扱うプロと素人は何が違うのか?
端的に言うと、情報を調べる「前」にどれだけ入念に戦略を立てられているかによるという。
素人は、取りあえずGoogle、取りあえずWikipedia、と場当たり的に調べるがそれでは決して効率的に求めたい情報にたどり着くことはできない。
①クライアントがほしい情報とはどのようなものなのか、クライアントと入念に打ち合わせをし
②こちらが提供する情報を具体的にイメージし
③その情報が得られるためのありとあらゆる情報収集手段を検討する。
④時間とコストに見合い、効率よく確実に情報を収集していく。
⑤収集した情報をクライアントの満足のいく方法で提供、プレゼンテーションする。
ざっと考えてプロリサーチャーはこのくらいの綿密さ、周到さで「情報を調べて、提供する」という仕事を行っている。

①のクライアントが求める情報(「お題」)をイメージできたら、「まずアホになって」(喜多さん談)頭の中を真っ白にして、求める情報が得られるキーワードをひたすら列挙していく。
いきなり調べるのではなく、お題に関して考えられるすべてのキーワードをピックアップし、それらを手がかりにソースを当たり、あらゆる情報を集めていく。
これが「網羅」とよばれるプロセスだ。
この「網羅」がなしに、ピンポイントで情報を調べようとするから失敗をする。
どんな情報が価値ある情報なのか比較をしないと見えてこないし、ピンポイントで情報を得ようとすると必ず「取りこぼし」という致命的な失敗をしてしまうからだ。
まずアホになって、必要な情報はどんな知識の網(ネットワーク)でつながっているか「情報地図」を作り、ひたすら熟考することからリサーチはスタートする。
(情報収集の初心者は、まずクライアントが欲しそうな「理想の情報」を、架空に二、三行程度自分で書いてみて、そのような理想の情報にたどり着くためにはどのようなキーワードや情報収集手段が考えられるか逆算してみるトレーニングを行うといいという)

プロが提供する情報はもちろん、確実に「裏取り」ができているものでなければいけない。
「……らしいですよ」「……かもしれません」などということはプロは言ってはいけない。必ず「出典」を明記し、「原典」に当たるということは当然の作法だ。
また、一つの情報源だけではなく、さまざまなバリエーションを持ったソースを用意しなければ説得力がない。
ゲットした情報をドヤ顔でクライアントに提供するのではなく、情報がどのように活用されていくのか「アフターイメージ」をもって提供することもとても大切なことだ。情報は物知りのマメ知識自慢ではなく、活用される知識となるべきだからだ。(発信した情報が曲解され、思わぬトラブルを発生するということもテレビ業界ではよく起こることだそうだ。コンプライアンス的な検討もとても大切)

短期間で効率よく、確実に情報をゲットするためには、以下の五つのソースを順番に当たることが重要だ。
①書籍
②新聞
③雑誌
④インターネット
⑤対人取材

プロは間違っても最初からWikipediaに飛びついてはいけない。はじめにウィキの情報を見てしまうと、それに影響を受けてしまうからだ。
まずは①書籍、書籍もAmazonだけでなく、あるサイトと抱き合わせで検索をする。
②新聞、雑誌もそれぞれのメディアの特性に合わせたリサーチ法を取る。
……

うーん、これ以上具体的なテクニックに踏み込んだ発信をここでするわけにはいけない。
上記の『プロフェッショナルの情報術』を読めば、目からウロコのテクニックが掲載されているので読んでみてほしい。喜多さんがどんな本やサイトで情報に当たっていくのか、検索ワードをどのように工夫すれば情報にヒットするのか。得た情報をどう発信するのか、その自家薬籠中のワザが満載!

【目次】(「BOOK」データベースより)
プロローグ テレビ番組リサーチャーの仕事とは?
1章 脳内に「情報地図」を描くー集める前に「居場所」を作り、戦略を練る
2章 プロのネタ取りは五つのソースで!-書籍、新聞、雑誌、インターネット、対人取材で「網羅」→「分類」
3章 集めた資料を「情報」に変えるー相手に伝わる「報告書」と、必勝「プレゼン」術
4章 仕事の質を上げる!情報に強くなる習慣術ーあなたの情報力はたった一分の会話でわかる
エピローグ 情報は生きている

プロのリサーチャーの言語生活
プロのリサーチャーは、普段どのような心がけで生活をしているのだろうか。
そういう日常的な生活習慣のお話もとても興味深かった。
ひとつには「固有名詞を使って話せ」という心構えだ。
たとえば、「好きな料理は?」と聞かれて「焼き肉!」と答えるのではなく、「叙々苑の骨付きカルビ!」のように固有名詞で答えた方がよい、ということだ。
固有名詞の方が情報の含有量が格段に豊かになる。「情報のフック」が多いのだ。
だから、その固有名詞を切り口にさまざまに受け手がイメージすることができるし、そこから会話も発展しやすくなる。固有名詞を使うほうが記憶にも印象にも残りやすいのだ。
これはなるほどと思う知見だった。作文でもスピーチでも「なるべく具体的な固有名詞を使って話そう」と次から言ってみることにしよう。

もう一つは「読み込まなくてもとにかく全部に目を通す」という心構えだ。
たとえば、新聞や雑誌などの定期刊行物は出版されたその日のうちに、どんなに忙しくてもページを全めくりして「見て」おくという。忙しいから後でゆっくり読もうと思っていても、そんな余裕は永遠に現れない。そして雑誌がどんどんたまっていく。
だから、見出しを目に入れておくだけでも、必要になったときに読んでおこうという気になるのだ。
同様に、本屋や百貨店では買う必要がなくても全フロアを歩き、目を通すのだそうだ。
こうしてフックとなる情報を普段からいかに無意識にため込んでいくかが後々の情報検索に威力を発揮するのだという。
ここで必要なのは「全部に」という要素だ。
好きな情報だけを得ようとすると情報が偏ってしまう。
とくにインターネットはAmazonのおすすめ機能のように、売りたい人に都合良く「編集」されていることがとても多い。
たとえばTwitterやフェイスブックなどのSNSは、自分が選択した情報だけが自動的に入る仕組みになっている。そしてそれが世の中のすべてだと錯覚してしまいがちだ。
だから喜多さんはたとえば「AKB」の情報を得たかったら、「モー娘。」の情報が得られるように、必ず両方、対極のTwitterアカウントをフォローするようにしているそうだ。
こうやって情報がバランス良く得ることができているか常に目配りをわすれないのだそうだ。

こうやって得られる情報は、無味乾燥な意味の塊では決してあり得ない。情報をそのときの感情とともにインプットしておくこともとても大切な心構えだそうだ。
ちらっと見かけた見出し、偶然立ち寄ったレストランでの料理、そういう種々雑多な情報を「おもしろいな」「おしゃれだったな」とそのときの「気持ち」も一緒に乗っけて印象にとどめておく。こうすることで、あとで情報を取り出そうとするときに引き出しやすくなるのだという。
こういうインプット方法も、今日からすぐに生かすことのできるテクニックだ。Twitterやフェイスブックなどはそのような「気分」を書き留めていくためには効果的なツールだろう。
このように、情報収集術は、単なるテクニックの集積でなく、それを支える膨大な「知識の引き出し」から生まれる。ただ、その「知識の引き出し」は、机に向かったり、難しい顔をして本を読むことだけでなく、ちょっと町中を意識して見回してみるとか、気になったらケータイで調べてみるといった日頃の心構えから積み重なっていくもののようだ。
そういう、自分を豊かにしていく情報に囲まれる生活を送っている喜多さんの姿は、わたしにはとってもまぶしく見えた。



2014/05/03

世の中には二種類の教員がいる。

それは、実践を書いたり発信したりする教師と、書いたり発信したりしない教師だ。
そしてどちらが成長できるか?自明のことだろう。
だから、力をつけたければ、どんなに拙くても、「学んだ!」「成長した!」と「感想」をつぶやくのではなく、その、具体的に自分の得た気づきや考えを書いて蓄積しておき、できれば発信しておくことだろう。

私は、このブログの記事に賛成する。→優秀なエンジニアになりたければブログを書け!

これはエンジニアの関する文章だが、たとえば次の記述は教師でも当てはまるだろう。

「自らがコミュニティの一員となり、発信してゆくことで、人のつながりが生まれ、情報もそのつながりを通して手に入れる時代なんです。」
「ロードマップ志向からエコシステム志向へと変わっていかなければトレンドを見極めることなどできません。」

「人脈とはどれだけ人を知っているかではなく、どれだけ人に知られているかだ。」

ブログを書く、SNSで発信する、イベントを立ち上げて人を集める。そういう積極的な人と人とのつながりを仕掛けることは、すぐにできる時代です。結果、情報が流れる新たな筋道が生まれ、様々な化学反応を誘発して新たな知恵を産み出す切っ掛けが生まれます。トレンドは、こんなエコシステムに関わることから生まれてくるのであり、自らがその主体とならなければその情報をいち早く手に入れることができない時代なのだと言うことなのでしょう。

本を読むこと、ネットの情報を調べること、これらもまた情報を手に入れる方法であることに変わりはありません。しかし、活きた情報は、こちらから積極的に発信し、その反応を知ることで手に入れることができます。そして、その反応に自らも反応することで、知識は膨らみ、情報を手に入れることの感性が磨かれるのでしょう。

『ブログを書く』とは、そんな考え方のひとつの象徴です。いずれの手段を使うにしろ、エコシステム志向を持ち、自らが発信することで情報を手に入れる。今はそんな時代なのだろうと思います。

どんなにつたない情報でもいい、書いてみることから、発見が生まれる。気づきが得られる。そして発信をすることで、さまざまに広げていくことができる。
わが恩師斎藤孝先生は「教師の資質あるいは力は何か?」としてこう言っている。「情報に関してケチでないこと。」
ここからはじめるしかない。


2014/03/29

ブログを書こう。ホームページを作ろう。

確かに、大人になって本を読む人は多くはない。
しかし、ブログを書いたりHPを作る人はもっと少ない。
どんなにいいことをやっているつもりでも、書き留めて記録しないとそれは残らない。
逆に、記録をすることでそれらは蓄積され、レベルアップさせたり、ふりかえったりすることができる。なによりも、後で思い出すことができる。様々な人から有益なアドバイスを得ることもできる。
ブログやホームページは、記録をし、発信し、交流するための最も簡便なメディアの一つだ。
個人情報や守秘義務などにはもちろん配慮しつつ、愚痴や不平にならない程度に、自分の感じていること、考えていることを言葉に表現してみる。書き出すことで、自分がいかに考えていないか、いかに表現できていないかを痛感する。しかしそれが嘘偽りのない自分自身の姿なのだ。そこからはじめるしかない。しかし、一歩踏み出すだけで、1ミリだけでも前には進めることができる。

2014/02/18

朗読CDの作成は驚くほど簡単

同僚の先生が、まもなく卒業していく3年生へのはなむけに、いま、授業で朗読した「おくのほそ道」の朗読CDを作成している。

CDを作るのも、いまは本当にびっくりするくらいに簡単になっている。
1、各グループにiPadを持たせ、その録音アプリ(recorder(有料))で、グループごとに録音する。
2、それを、クラウド上にアップする。(このアプリはDropBoxとか、skydriveなどに共有する機能がある。)
3、通し番号を音声データにふっておけば、一気に並び替え!
4、それをメディアプレーヤーなどでCDRに焼き付け。
5、完成

録音とDropBoxへのアップロードがやや手間がかかるが、それさえできればあとは一気にCDが作成できてしまう。便利な時代になったものだ。
(が、もはやCDは使わないで、youtubeやポッドキャストにアップロードしてしまうようになるかもしれない)


2013/09/02

職場にもう紙はいらない

職場では、職員間で、さまざまな用件を連絡するさいに紙が飛び交う。
・卒業アルバムの写真撮影の時間。
・授業振り替えの連絡
・飲み会の会場
などなど
もちろん、毎週の予定(週報)や月行事予定、職員会議録なども紙媒体だ。

私は整理下手なので、いっそのこと全部電子データで配布してくれたらいいのにな……と思っている。
本校では職員にデスクトップのパソコンが貸与されている。
もちろん、校務文書はLANで共有できる仕組みになっている。
1人1人に職場からメールアドレスをもらい、メーリングリストで全職員に一斉連絡できる仕組みも揃っている。
だったら、大概の連絡文書はメールで十分ではないか?
校務文書はLANで共有すればいいではないか。
メールなどの電子データだったら、紙を紛失する心配はいらない。
検索すれば何十年も昔の文書もすぐによみがえる。
もちろん、自宅からだって文書を確認することが可能だ。
セキュリティーの心配のいらない書類はどんどん電子化すべきではないか。

ああ、予定表も本当はグーグルカレンダーとかにして欲しいんだけどなあ。