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2015/05/18

実習生と文学的文章の教材研究をする

今日は放課後2人の実習生が来校し、来月から始まる実習の教材研究を一緒に行った。
取り上げる教材は「形」(菊池寛)と「風の唄」(あさのあつこ)の文学教材。
お互い下読みをしてきているので、雑感や印象を述べ合いつつ内容を確認していった。

一通り内容がつかめたあとで、この文章を授業として取り上げるための、素材研究の段階に入る。
大学生ならこれらの文章をなんとなくセンスで読めてしまっているんだけれども、それにはどのような方略を選択しているのか、それをあらためて言語化して取り出していく作業を行った。
その結果、上記二つの文章を読みときに、私たち三人は次のような方略を取り上げているということが明らかになった。
・場面の移り変わりに注意して読む。(回想シーンなど)
・登場人物の人間関係を押さえる。
・登場人物のキャラクター設定を考える(性格・能力・考えの傾向など)
・主人公と他の登場人物と対比してみる。
・カギとなる場面、クライマックスはどこになるか考える。
・印象的な場面や、キーワードとして頻出する言葉に着目する
・ものごとの因果関係でわかりにくいところを推測する。
・主人公の行動の動機をさぐる。
・視点(話者)をとらえる。視点の転換を考える。
・伏線とその回収の対応関係を考える。
・登場人物の心情の変化とそのきっかけに着目する。
・心情をつかむ(モノローグ・態度などから)
・言葉の持つイメージ、象徴性・暗示・隠喩の示すものを考える
・情景描写の効果について考える
・文体の特徴、印象について考える
たった二つの文章でも、実にこれだけ(もっとある?)の方略を使って、文学的文章を読み取ろうとしていることがわかる。
もちろん、授業では、これらの方略の全てをしらみつぶしに取り上げ、教える必要はない。それでは授業がくどすぎてしまう。
そうではなくて、この文章の、この「ツボ」を押すと、読みが一気に深まるようなポイントを考え、焦点化させることが必要だ。その「ツボ」につられて、他の方略も自然と引き出されていくような活動にしていこうということになった。
その「ツボ」がなんなのか、どういうアプローチをしていけばいいかを考えるのは、次回の打ち合わせで。それまでに、これらの方略を活用しながら読むことのできる言語活動を考えてくるように宿題としてもらった。
それにしても、ある程度文章が読めるようになった段階の学習者なら、このように読む方略を言語化して取り出すのは、シンプルなようでなかなか効果的な学習になるかもしれないと思った。(もっとも、それができないから苦労するのだけれども)

2015/02/28

メタ認知と根性論

今日はとあるイベントでウォーキングをしてきた。といっても、歩いたのは6キロコース、小一時間ほどのお散歩だ。しかし中には40キロほど歩くコースもあって、そんなに歩く人には敬服するほかない。
それでも、私は普段それほど歩かないので、たった6キロでも三回ほど足を止めて休憩することとなったのだ。相変わらずの根性なし。
で、感じたのは、「疲れる」というのも大切な能力かも、ということだ。
「疲れる」というのは、大切な身体からのメッセージだ。メッセージを適切にキャッチし、全行程の中から、休むべきタイミングやバランスを判断する「知性」は、きっとメタ認知と呼ばれるものの一つだろう。
そう考えると、世の「根性論」が、「疲れる」というモニタリング能力をひたすら鈍麻させるように機能しているするならば、一考する必要があるかもしれない。
と、根性なしの私は、そうやってひたすら明日以降の筋肉痛を怖れている。

2014/09/10

ビブリオバトル文学決戦 ふりかえり

ビブリオバトル二回目。
今回は文学(小説、随筆、詩など)に限定してバトルを行った。
夏休み前に一度取り組んでいるので、一通りの流れなどは定着してきているが、やはり取り組んでみていろいろ難しい面があると感じた。

1 文学作品の魅力を説明することはなかなか難しい。
前回は理科系の本を紹介するビブリオバトルだったんだけど、理科系のよりも小説などの紹介をする方が難しかったようだ。
あらすじをネタバレしない程度に伝えることはできても、それがなぜ、どのように魅力的なのかを伝えることはなかなか難しい。(大人だって難しいだろう)
笑いあり涙ありです! 感動です! って言っても、何がどうそう感じられるのかが分かりづらい。
理科系の本の時は、一人四分で紹介&質疑応答としていたが、とても四分間は持たない。途中から三分に短縮してやっと間延びせずに取り組ませることができた。
次回取り組むさいは、ナンバリング&ラベリングなどを活用して、いくつか観点やポイントを整理させてプレゼンをさせるほうが、より分析的に、伝わりやすいプレゼンができるかもしれない。

2 文学作品を味わう語彙が必要
1と同じだけれども、面白い! 泣ける! 以外の、文学作品を味わう表現や語彙のようなものになじむ必要があるかもしれない。
たとえば、効果的に作品の魅力が伝わっているブックガイドの文章を例示したり、ダビンチなどの雑誌や、文学コンクールの選評コメントなどを提示し、どのような言葉で文学作品の良さを語っているか、どのように語れば、作品の良さがより効果的に伝わるかを吟味させるとよいかもしれない。
生徒が選んだ同じ本を、大人が紹介したビブリオバトルの動画を提示するのも良さそうだ。
もちろん、これらの語彙を獲得するということは、文学をより深く味わう力にもつながってくるはずだろう。

2014/01/24

ちょっとの違いが大違い~『少年の日の思い出』をどう味わうか?~

今年も1年生の定番教材「少年の日の思い出」の学習がスタートした。
定番教材は、定番として定着しているだけあって、何度読んでも新しい発見が得られる。

今回あらためて「少年の日の思い出」を読み返してみて、この作品は同意語の言い換えが多く、しかもその言い換えが解釈に深く関わるということにあらためて気づかされた。

そこで、「同意語の言い換え」を切り口に「描写の効果を考えながら読む」ということを指導事項として、文学鑑賞の授業の中で、次のような学習活動を構想した。

1、同意語の言い換え表現をグループで探す。
2、そのような言い換えの表現からどんなことがわかるか、考える。
3、ミニ批評文を書く。

たとえば次のような言い換えが出てくる。

客―ぼく―熱情的な収集家―宝を探す人―悪漢
エーミール―批評家―鑑定家ーあいつ―模範少年
チョウチョ―宝物―獲物―宝石

これらを見つけていくのが第一段階。

その後、どんな文脈で使われているか、その言い換え表現からどんなことがわかるか、どう印象が変化するかをグループで話し合う。
(さらにいえば、これは翻訳小説でもあるので、他の翻訳ではどうなっているか比べてみるのもおもしろいだろう)

「文脈・描写・表現の効果・作者の意図」などの学習用語を駆使しながら、これらの言い回しについて検討していくことになるだろう

最後に、グループで話し合ったことを参考に、個人で、200字くらいでミニ批評文を書いていく。

オプション課題として、ある話(ももたろうとか?)を、特定の単語を、タイミング良く言い換えながら表現させてみたり、言い換えがされている他の作品を探して、その効果を紹介しあうなんていう活動に広げていくのもいいかもしれない。

ちなみに私が最も衝撃を受けた言い換え表現は、太宰治の『駆け込み訴え』←全文はクリック

イスカリオテのユダ(私)が、イエス(あの人)を裏切る瞬間の、この豹変ぶりだ。
私も、もうすでに度胸がついていたのだ。恥じるよりは憎んだ。あの人の今更ながらの意地悪さを憎んだ。このように弟子たち皆の前で公然と私を辱かしめるのが、あの人のこれまでの仕来りなのだ。火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在るのだ。犬か猫に与えるように、一つまみのパン屑を私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせだったのか。ははん。ばかな奴だ。旦那さま、あいつは私に、おまえの為なすことを速かに為せと言いました。

こんな感じに、微細な言葉遣いの変化に着目するような鑑賞法をこの教材で学んでいきたいと思っている。

2014/01/21

「文学の交流スキル」仮説試案序説

文学は人によって解釈が異なることが多い。
だから、交流することによって読みが広がったり深まったりする。
しかし、「交流のスキル」そのものが十分に身についていなかったり、ざっくばらんに話し合える関係性にない場合は、その交流が上手くいかないことも考えられる。
「交流のスキル」を身につけさせ、習熟させることと、その交流によって読解・鑑賞の質を上げることはおそらく比例をするだろう。

近年、ブッククラブなどの名称で、交流を前面に出した文学鑑賞の方法が取り入れられている。
ブッククラブの優れたところは、シンプルな方式で、学習者達が自立した読書人として育っていくことができるように設計されているところだ。
教師主導であれやこれや発問や指示をして(指導をして)、文学を深く読ませることは確かに可能だろう。しかし、教師主導「でしか」文学が鑑賞できないのだとしたら、何のための文学鑑賞の時間だろうと思う。
文学鑑賞指導の究極の目的は、子どもたちが教師の手を離れて、自分で本を手に取り、文学を味わう方法を身につけることではないか?

そこで、「文学の交流スキル」というものを仮に設定して、子どもたちが主体的に、文学の感想を交流し合えるスキル身につけるためには、どのような学習ができるか検討してみようと思う。

「文学の交流スキル」は二つの軸がある。
交流の機能を見極めることと、文学鑑賞の切り口を見いだすということだ。

A「交流の機能」の側面
交流(ここでは話し合いを主に想定しているが)は、お互いの発言が、どのように交わされるかによって、おもに5つの機能を持つ。
交流によって、意見を広げていくのか、それともまとめていくのか、批判的に深めていくのか、などの方向性を意識しあいながら話し合うことはとても重要なことである。
この交流の機能は、交流の形態(ワールドカフェなど)や人数を検討することよりも、より本質的に重要な要素である。
どのような話し合いの形態をとるかということよりも、話し合いにどのような目的や方向性があるかということを意識することのほうがずっと大切だ。

5つの「交流の機能」
①共感的交流……お互いに認め合う交流
②累積的交流……情報を増やしていく交流
③連鎖的交流……情報が連鎖的に広がっていく交流
④探索的交流……情報が収束的にまとまっていく交流
⑤批判的交流……クリティカルにお互いに意見を交わし合う交流

この五つを「交流のタイプ」として、話し合う時にお互いが意識できていると良い。
この交流の5つの機能については、以前の投稿内容を参照して欲しい。

B、「文学鑑賞の切り口」の側面
つぎに、交流でどんなことを話題にするかという「鑑賞の切り口」を設定することも、文学鑑賞において重要な要素となる。
鑑賞の切り口の視点は二つある。
一つは、読者(子ども)の読後反応(感想)に立脚するということだ。
教師が作ったどんなに優れた発問でも、それが子どもが自然と持つような発想でない場合は、やはり選択すべきではないだろう。
自分にとって切実でない問いは、読み進めようという気にはなりにくいし、教師が作った発問でしか読めない読者を育てるということにもなってしまうからだ。
子どもから問いを持たせても良いし、ある程度選択肢を出して、そのなかから選ばせるということでもよい。子どもが主体的に切り口を選択するという視点は不可欠だろう。

二つめは、作品の魅力に迫る切り口を選択すると言うことだ。
作品に直接関係のない話題で交流しても仕方が無い。それでは雑談になってしまう。
やはり、その文学作品の本質に迫る「ツボ」というものがあって、その文学作品の魅力を最も引き立たせるポイントを探しだし、そこに焦点化させて交流していくようにすること効果的であろう。

それでは、子どもが文学を鑑賞するときに持つ切り口にはどのようなものがあるだろうか?
ここで、岩瀬直樹氏のブログ記事 2014-01-21 メモ ブッククラブのために。に掲載されていた質問集の内容を参考に考えてみる。

岩瀬氏の「質問集」の内容は以下の通りだ。

★読む前に
・本のタイトルからどんなお話だと想像しますか?
・本の表紙、裏表紙の絵から何がわかりますか? どんなお話だと想像しますか?
・この作者の他の本を読んだことはありますか?どんなお話でしたか?

読んでいる途中に
★感想
・どこが面白かった?どこがつまらなかった?
・どこが印象に残った?それはなぜ?
・どの登場人物が好き?どの人物がきらい?それはなぜ?


★書いてあることの確認
・今回の範囲のあらすじは?
・だれがでてきた? ・どんなことが起きた?
・ここまでの話を整理すると~
・登場人物はどんな性格?どんな外見?それはどこからわかる?


★読んだことで考えよう
・ここがよくわからなかったんだけど~
・自分が考えていたこと(思っていたこと)が変わってきたんだけど~みんなはどう?
・なぜ登場人物は~のような行動をしたのか?からのようなことを言ったの?
・なぜ作者は~のような書き方をしたのだろう?
・なぜこんな表現にしたのだろう?
・「なぜ~?」
・この後どうなるだろう? その理由は~
・前回の予想と同じだった?違った?なぜ違ったのだろう?
・この登場人物が変わってきたのでは?どのように変わったというと~、なぜ変わったかというと~
・登場人物のとった行動(言ったこと)に賛成?反対?どう思う?
・もし自分がこの人物だったら~  
・自分が作者ならこんなストーリーにするな。こんな風に書くな。
・似たような経験ある?
・登場人物同士の関係が変わってきた?どのように変わった?それはどこからわかる?
・○○と○○を比べてみると、
・作者はこの文から(この章から)何を伝えたいのだろう?
・何がこのお話の大事なポイントだろう?なにが大事な話し合いのテーマだろう? 

★読み終えた後に
・この本は好き?嫌い?点数を付けるとしたら?その理由は?
・誰におすすめする?
・この作品の結末に賛成?反対?結末についてどう思う?
・作者が伝えたかったテーマは何だろう?そのテーマについてどう思う?
・登場人物はどのように変わった?なぜ変わった?
・自分ならどんなタイトルにする?
・この本で覚えておきたいことは~

★話し合いの途中で・・
・もっとくわしく教えて
・どこからそう思った?
・どこに書いてある?
・今のに付け足しだけど
・賛成!その理由は~
・私は違うふうに考えたんだけど、それは
・例をあげてくれる?
・その理由は?
・もう一回言ってくれる?
・○○はどう思う?
・もう一度読む時間とって整理する?
・というと?(オープンクエスチョン)

この岩瀬氏の質問集は、見てわかるように、ブッククラブのプロセスに沿って、子どもの発言を例示している。
この質問集の優れたところは、ブッククラブで実際に交わされた発言を集めていると言うことだ。
このような資料は、実際にやってみないとなかなか知ることができない。とても貴重なデータであると言える。

ただ、この質問集を、たとえばリストにして例示するとしてどのような方法が最も適切だろうか?
私だったら、子どもたちが、話し合いの切り口を探す時にそれを支援するような形で提示できれば意いいのではないかと思う。
たとえば、上記の質問集を、次のような「交流の切り口」と「合いの手」に沿って再編集し直すのだ。
たとえばこんな感じだ。

◎「交流の切り口」カード
A、「人物設定」カード
気になる登場人物は……です。
私はこの登場人物が好きだ!
この人は多分こんな人だと思う。

B、「ストーリー、プロット」カード
一番好きな場面は……
もしこのとき……が……だったら

C、「表現」カード
気になる表現は?
なぜこんな言葉遣いをしているのだろう?
この言葉を言い換えるとしたら

D、「テーマ」カード
この作品はどんなことを伝えたかったんだろう?

E、「番外編」カード
・似たような経験がある
・どんな人に勧めたい?
・本の装丁は?


◎「つっこみ」メニュー
・もっとくわしく教えて
・どこからそう思った?
・どこに書いてある?
・今のに付け足しだけど
・賛成!その理由は~
・私は違うふうに考えたんだけど、それは
・例をあげてくれる?
・その理由は?

などなど。(上記の岩瀬氏のコメントをすべて上手に整理すれば、なかなか優れた「交流の切り口」集ができそうだ)

さらに、付け加えると、作品を鑑賞するためには、学習用語を押さえておくことが必要になる。
文学の交流で使える用語集のようなものも合わせてカードなり、リストで提示しておけばいつでもそれを使いこなすことができるようになるだろう。

(文学の鑑賞 学習用語)
・登場人物
 主人公
 対役
 チョイ役・脇役
・語り手(話者)

・設定
 時間・場所・人物

・構成
 冒頭・結末・中盤・クライマックス・起承転結

・文体
 会話文・地の文

・主題
 葛藤・矛盾・アイロニー(皮肉)・象徴・作者・思想

などなど。
こういう学習用語や鑑賞の切り口は、国語教育において、文芸研や分析批評、読み研などでさんざん検討されてきた。それらの知見を参考にしつつ、子どもの目線で使いこなすことができるように加工することが必要だ。なるべく、発達段階に即してちょっと背伸びした用語や切り口を例示し、それを使ってみたくなるような環境を与えると良いだろう。

どのように活用していくか?

さて、「交流のタイプ」、「鑑賞の切り口」、そして「学習用語」の三つのツールが出そろった。
それらを、実際にどのように活かしていけば良いのだろう。

たとえば、次のような活用法を想定している。
4~6人ぐらいで読書会を開くとする。

全員が「学習用語のメニュー」を持っている。
「切り口」カードがテーブル上に、カルタのようにばらまかれている。
テーブルの上には「話し合いのタイプ」のリングが5つ用意されている。

一人一人、話す人が、順番に「切り口」カードを取って、みんなに見せながら、話し合いを進めていく。そのとき、選択したカードは、任意の「話し合いのリング」に置く。
この「リング」は「話し合いのタイプ」にリンクし、5つのリングを設定する。(リングって言うのは、プロレスのリングのことね)
次の5つのリングの中から、話し合いの進め方としてもっとも適切であると思われるものの上に置くのだ。
・共感リング(共感的交流)
・増やすリング(累積的交流)
・つなげるリング(連鎖歴交流)
・まとめるリング(探索的交流)
・バトルリング(批判的交流)
このように、5つのリングが「場」に用意されている。
たとえばこんな感じ。
「一番カッコイイ登場人物」について「バトルリング」で話し合う。
「印象に残った場面」について「共感リング」で話し合う。
「この人は多分こんな人」ということについて「まとめるリング」で話し合う。
のように。

このようにして、話し合いたい「切り口」と「交流のタイプ」を、各自で設定して話し合いを進めていく。
このシステムの良いところは、話し合う切り口とタイプを子どもたちが主体的に選択できるところだ。
そして、カードやタイプの量を調節することで、学習の方向性をあらかじめ教師が設定することもできる。

たとえば、教師が事前に、今日は「登場人物の設定」カードの中から選んでね。登場人物について話し合うんだよ、とか、今日は「バトルリング」と「共感リング」だけ使うからね、というように、あらかじめカードを操作すれば良い。

理想的には、やがては、それら切り口と機能を、カードやリングなどを使わなくても、意識しながら話せるようになることだろう。

以上「文学の交流スキル」仮説の試案の序説。
どんなものだろうか?
思いつきレベルだけど、ブラッシュアップすればなかなか良いものができあがるような気がするのだけれども。

2013/08/08

私の絵画鑑賞法~誰でも楽しめる絵の見方、語り方20+α(仮)~

絵を見るのは好きだ。
私はちっちゃい頃から画集とかを飽かずに眺めていたタイプの人間だ。
だから、美術の専門的な知識なんかに触れるずっと前から、何か絵には惹かれるものがあり、見続けてきた。
保育園に行っていたときに一度だけ絵を習いにいったことがある。しかし絵の才能なんてなくすぐにやめてしまった。
絵を描く世界には進むことはできなかったが、せめて絵を見て楽しむ人生はこれからも送っていきたいと思っている。

ちなみに、お気に入りの画家はブリューゲル。
子供の遊戯

雪中の狩り
この何とも言えないほっこりほんわかな雰囲気が大好きだ。
もちろん、ブリューゲルだけでなく、ゴッホも、若冲も、マグリッドもなんでもかんでも、絵でも彫刻でも眺めていることは大好きだ。
彫刻?というか仏像ではなんと言っても興福寺の五部浄像。何かもの言いたげな表情に引き込まれる。腕がとれてしまっているミステリアスなところも引きつけられる。ちなみにこの失われた片腕は上野の国立博物館にあるそうだ。興福寺に所蔵している仏像はすべて大好きだ。何時間でも見ていられる。
五部浄像(興福寺)
さて、芸術作品を鑑賞するには、作法というか知識が必要で、ある程度勉強をしないとその価値がわからない、ということがある。それはまさしくごもっともだと思う。
しかし、そういうアカデミックな見方ではなく、もっと素朴に楽しめるような見方もあっていいのではないかと思っている。
そんな楽しみ方の価値に気づかせてくれたのがみうらじゅんさんだ。


みうらじゅん×いとうせいこうの『見仏記』は異色の仏像鑑賞本だ。
仏像を小難しい用語を使うことなく語っている。それも、あのみうらさん特有のねちっこさで、仏像をロックのライブにたとえたり、サンダーバードの出撃シーンにたとえたりと、ともかくはちゃめちゃに語り倒しているのだ。
もちろん、仏像に対する深い深い「愛」も感じられる。この一冊から。取っつきづらかった仏像が身近に感じられるし、仏像の楽しみ方、見方も教えてくれる、私にとっては偉大な一冊だ。

そんなみうらさんほどの過激さはなくても、みうらさんのように、取っつきづらい芸術作品を楽しく語る味わい方もあっていいのではと感じている。

確かに、芸術に関する知識があると「分かった気」にはなる。
けれど、やはり知識だけでいいの?本当に味わっていると言えるの?という気になる。
私のような半可通が、中途半端な知識を振り回して「分かった感」をまき散らすことほど、芸術の世界からははほど遠いような気さえする。
芸術を味わう際に一番大切なのは、「理解すること」よりも「感じること」ではないのか。
理解がおざなりになってはいけないだろう。しかし、中途半端な理解が先行するあまりに「感じること」が大切にされないのならば、本末転倒だ。

というわけで、私流の絵の見方、絵の語り方を20個紹介する。
……見方というか語り方、イメージの仕方、遊び方といった方が適切かもしれない。
本当に優れた作品、衝撃的な作品に出会ったら、人は何も言えなくなる。そういう「沈黙の力」が美術作品にはあると思う。語るだけ野暮な世界かもしれない。
まあ、私みたいな素人の、絵を遊ぶ方法として。

◆絵を買うつもりで見る
・自分の部屋に飾るとしたらどの絵がいい?
・この絵はどんな部屋だったら似合うかな?
・この絵、額に負けちゃっていない? むしろこっちの額のほうがよくない?
・こんなでかい絵、どこで描いたんだ? どうやって運んだんだ?

◆絵を見ている人に思いをはせる
・この絵を初めて見た人は、どんな場所で見たんだろう?そのときどんな反応だったんだろう?
・(絵が描かれたあとの)○○時代の人はこの絵をどう見たんだろう?
・この絵は最初に誰が買ったんだろう?どんな人の手を渡ってどうやって保存されてきた?
・歴史上の人物(ナポレオンなど)もこの絵を見たのかなあ?それをどう感じたんだろう?

◆作者についての想像
・作者は何を描こうとしていたんだ?それにどんなこだわりや、工夫があるんだろう?
・描いているときにどんなことを考えていたんだろう?
・描かれている人と作者との関係は? どんなやりとりがあった?
・(宗教画などの場合)どんなところに作者の思い(信仰など)が表れているんだろう?

◆絵の情景を再現フィルムで再生
・絵に描かれている人々同士はどんな話をしているんだろう
・どんな音が聞こえてくる? 風は?天気は?気温は?光は?
・絵の額縁の外側にはどんな世界が広がっているんだろう?
・どんな順番で描かれたんだろう?制作の過程を巻き戻してみると、きっと……。

◆そのほか
・この絵についている傷はきっと深読みすると……この絵の具の盛り上がっているところはきっと……
・この絵を見ていて流れてきそうな音楽は……
・この絵に題名をつけるとしたらなんてつけようかな? どんなキャッチコピーがいいかな?
・展示会の構成、絵の配置、見せ方は……

絵を楽しむためには、こんな視点で語り合うのも面白いのではないだろうか?

絵の見方を学ぶことの意義~『まなざしのレッスン』レビュー~

『まなざしのレッスン』についての内容を紹介する。
大学での美術鑑賞の講義をもとにして書いたテキストで、まるで講義を聞いているかのように分かりやすく説明している。
主として近代以前までの絵画作品を取り上げ、その絵の見方を具体的に伝授している。
解説のアプローチとして工夫されているのは、時代や作者ごとに作品を説明するというのではなく、何が描かれているのかという主題ごとに解説した点である。
取り上げている主題は、ギリシャ神話、キリスト教の宗教画、寓意画、歴史上の出来事、肖像画、風景、風俗画、そして静物。
それぞれの主題にどのような描き方のパターンがあり、それをどのように描いてきたか、どんな技術が反映しているか、それらにどんな意味が込められているのかを、代表作を取り上げつつ、具体的に説明している。
また、絵画鑑賞を楽しむための視点を10あげている。
たとえば、絵がどこに置かれていたか(教会や宮殿など)や、絵を注文した人の存在など。
こういう、一見美術の本質とは関係のなさそうな知識を身につけることが、絵の見方の大きな影響を与えていることをこの本から学ぶことができる。
一つ一つの説明が目からウロコで、筆者の解説を聞いただけで、今まで見たことのある有名な絵画作品の見方が一変したのはとても新鮮な経験だった、

ただ、難を言えば絵画の写真が小さかったりモノクロで見にくいのと、文章中心のレイアウトがやや取っつきづらところが残念だった。
その点、下記の本(シリーズにもなっている)は、美術鑑賞の手引きとして楽しく、分かりやすく読めてよい。東大生向けでなくぜひ一般向けにも書き下ろして欲しい。


















巨匠に教わる絵画の見かた

視覚デザイン研究所  (1996)



紙面はこんな感じ。とっても分かりやすい!楽しい!
さて、西洋絵画の見方や知識を学ぶということ以上に関心があったのは、そもそも「絵の見方」を学ぶとはどういう意味を持つのかという点だ。
筆者はそれを「自分自身のイメージのネットワークを作る」という言葉で表現している。絵を見る時の前提となる知識、さまざまな絵画を鑑賞してきたという経験、そして自分の生活経験から培われた価値観や審美観、その三者が網の目のような繊細なネットワークを作ることで、作品を十全に味わうことができるということである。
その「イメージのネットワーク」を広げることが、すなわち「まなざしのレッスン」であると言うことに他ならない。

作者は「絵の見方を学ぶことの意義」を次のように述べている。
***
絵など自分の目で自由に見ればよいとする考え方には、実は大きな錯誤があると私は思っています。たとえそう意図したとしても、私たちは必ずしも「自分の目」で見ているわけではなく、「自由に」眺めているわけでもないのです。どこかで聞きかじった断片的知識が、自分の絵の見方に全く作用していないと言い切れる人が果たしているのでしょうか。

「視線」は本来決して「無垢」ではない。見るという行為は学ぶものであり、まなざしは「すでに」教育されているものです。


しかし、純粋に主観的な視線が存在しないように、完全に客観的な視線も存在しえないのです。過去に属する特定の歴史的、社会的、文化的状況下で、自分とは異なる価値観を持つ人間が作り出したイメージという条件が無視できないように、そのイメージを今この私が見ている、特殊な人生を背負ってこの時代を生きているある個人の眼が眺めているという条件も決して消去できない。絵を見るとは、したがって、この二つの条件の間をまなざしが揺れ動くことに他なりません。……知的な手続きを通した作品理解と、文字通り絵肌に触れるような新鮮な視覚体験が、互いを損ねることなく折り合わされたときほど、言いかえれば、今この私が自分の目で歴史的な存在としての作品の内実を追体験したときほど、絵を見る醍醐味を感じる幸福な瞬間はないでしょう。


美術史家が絵に関してさまざまな判断を下したり、おもしろさを見いだしたりできるのは、単に知識の多寡だけの問題ではなく、十分な広さと密度の濃さを持ったイメージの網の目を、一種のデータバンクとして脳内に持っているからなのです。……専門家でなくても、実際の作品を見たり、作品相互を比較したりすることによって、誰のものでもないあなただけのネットワークがきっとできていくはずです。そうした自覚体験の蓄積とあなたの感性とが合わさった時、独自の「趣味」や「美的な判断」と呼べるものが生まれてくることでしょう。


「見ること」を意識化し、自らの「視覚の戦略」を立て直す必要がある。

「見ること」を媒介しにして他者を発見し、自らを再発見すること。

絵というのは自分流に見ても十分面白いが、筋の通った見方を知って接すると、もっと深く、さらに面白く見えてくるものなのです。