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2015/09/21

紙の本はクリティカルな読みに適している?

今日の授業で、ちょっとびっくりした場面があった。
あるグループの生徒たちが、複数の万葉集の本を見合いながらああだこうだと話し合っている。
「この訳は意味分からない」
「この解説は書いている人の思い入れを言っているだけの気がする。いまいち納得できない」
などと、自然と比べ読みをして、複数の解説本の表現を吟味しあっているではないか。
これがネットの調べだったら、すぐにコピペしておしまいにしてしまいそうな気がする。これが教師の解説を聞くだけの授業なら、そもそもクリティカルに聞こうという構えさえもたないだろう。
やはり紙だから、本だからこそ、それも、硬軟取り混ぜた本が揃っているからこそ、クリティカルに読むことが自然とできたのではないか?
司書さんが、土日に、この授業のために、あらゆるところから資料をかき集めてくださったことの真価に、私自身が気づくことができてよかった。

複数の解釈が成り立つのが万葉集の面白さ


万葉集は謎めいている。「主題」とか、「定説」というものの成立が難しい。これは明らかに違うという読みはあるが、「これはアリなんじゃない」という読みも多数提出され、そのどれもが魅惑的なのだ。
例えばこんな和歌がある。
春の野にすみれ摘みにと来し我そ
野をなつかしみ一夜寝にける
現代語訳すると、
春の野原にスミレを摘みにきたのだが、野辺の美しさに心ひかれて、ここでつい一夜を明かしてしまった。
という意味になる。
当然、読み手は
なぜ男がすみれを摘みに?
一晩寝るって、野宿?
いったいなぜそんなことを?
という疑問が湧き上がってくる。
で、ここから先はご想像にお任せして、となるんだけど、文献を漁ると、諸説紛々なところがまた面白い。ある歌人は、この歌は恋の歌で、すみれを女性に見立てていると主張していたり。
こういう類の作品解釈は、きっと永遠に定説は生まれないだろうし、むしろあれやこれやと想像を逞しくして読んでいくような楽しみ方こそが醍醐味なのだろう。
授業では、ただ意味をとらせるだけでなく、その先を想像していく、そして色々な説を参照させ、比較させて、自分の読みや定説を考えるような読み方をすることができる、そんな学習が可能なのが万葉集というテキストだ。

2015/09/04

古文の訳文はなんとかならないか?

昨日同僚の先生と話題になったのは、古文解釈の、あの直訳体のいけてなさだ。
古文は(に限らず、どんな文章もそうだけど)文体によってえらく親しみやすさが変わってくる。同じ古典でも訳し方によって印象が一変する。
たとえば、徒然草だったら、橋本治さんのふてぶてしい文体が最高。あれで私は徒然草に開眼した。万葉集なら「song of Life〜コンテンポラリーレミックス、和歌〜」だ。
しかし、教科書の直訳体は、どう書けばこんなにつまらないんだろうと思うほど、いけてない。これでは古文嫌いが量産されるのも仕方がない。
最近、角川のビギナーズクラシックスシリーズなどの意欲的な訳文が出回りつつある。一般書でもだいぶ古典の訳本が増えてきた。
授業でも、いや、授業でこそ、古典作品の魅力を十二分に引き出す訳文が必要なのではないだろうか?

2015/09/03

中学生が中学生に授業する和歌の学習

和歌の学習は正直きつい。
何がきついって、いくつもの作品(教科書には20首程度採録されている)の解説を、ひたすらやらないといけないからだ。どうしても単調になる。
かといって、古典なので、生徒に任せっきりで活動させても、どこまで正確に理解させることができるかも不安だ。任せっきりでも不安、ひたすら説明し続けても寝てしまう。諸刃の剣だ。
そこで、苦肉の策だけれども、生徒に授業をさせてみることにした。
発表ではなく「授業」、「授業風プレゼン」といったほうがいいかな。

次の流れで行う予定。
1時間目
①和歌についての基本的な事項の確認。
 これは一斉授業で、私が効率的に教えてしまう。
②教科書に掲載されている和歌のうち、三首を選んで感想を書く。
 感想カードを用意し、それぞれの和歌ごとに感想を集める。

2・3時間目
①教科書に掲載されている和歌8首の疑問点をグループで出し合う。
脚注を読めば分かることではなく、しっかりと読み取ったり、イメージしないと分からないような疑問点を考えさせる。
グループで全ての和歌について疑問点を出し、疑問カードに記入する。

②8首をグループで分担し、授業案を考える。
1時間目で書いた感想カード、2時間目の①で書いた疑問カードを、和歌の作品ごとに分け、それぞれの和歌を分担したグループに渡す。
各グループでは、その感想や疑問を切り口に、授業プランを考える。
学校図書館の資料などを活用し「教材研究」をする。

②それぞれの作品ごとに「授業風プレゼン」を行う。
「授業風プレゼン」に必ず入れる内容
・和歌の音読(オプション:皆さんで音読をご一緒に!)
・クラスから出た感想の紹介
・疑問点とそれについての解説(オプション:抜き打ち指名も!)
・和歌の意味について
※なお、授業ではホワイトボードか電子黒板(iPadなどで撮った画面を拡大提示する)をつかえるように準備しておく。

こんな感じで「授業風プレゼン」をやらせてみようと思っている。
さて、どうなることだろうか。

2015/06/13

「読書感想文」という得体の知れないものを外国人児童に伝えるなら

誰しもがうすうす感じているだろうけど、「読書感想文」のあの文体はきわめて学校文化的なものである。いろいろな「お約束」が内包されている。
そういう「お約束」をマスターした人だけが「読書感想文が上手!」と評価される。
そういう生徒はひょっとしたら「感想文が上手」なのではなくて「学校の、教師の意図を読むのが上手」なだけかも知れないけど……
しかし、そういうお約束を「読む」ことのできない生徒に分かりやすく伝えるためにはどうすればいいのだろうか。たとえば学校にいる外国人生徒に「読書感想文」を説明するとしたら、何を説明すればいいのか。

*******
※以後はフィクションであり、実在の読書感想文コンクールなどとは一切関係ありません。あしからず………

どんな本を読めばいいの?
好きな本を取り上げればいいというものではないよ。そこ重要だから!
「JR時刻表」、「プログラミングの仕方」みたいなマニュアル本も「本」なんだけど、そういうのはふさわしくない。辞書とか百科事典もなし。雑誌も不可。ミステリーも難しいかもね。マンガなんてとんでもない!!! ボーイズラブ系、だめにきまってるでしょ!
絵本……微妙だなあ。あまり薄い本だと手抜きしていると思われるかもね。分厚い本を読むと「頑張ったね」っていってもらえるかもよ。
反対にウィトゲンシュタインの哲学書みたいな背伸びしすぎる本を選んでも「中学生らしくない」って思われるかもね、
課題図書か、国語の教科書に載っているような作家の小説、またはノンフィクション系で「努力すると報われる系」とか、環境問題などの社会問題を扱った本がいいよ。

どんな感想を書けばいいの?
感じたことを何でも書けばいいというわけではないよ。
「この本なげーよ」とか、「外人の登場人物の名前が覚えられない」とか「漢字が多い」というのは感じたことであっても「感想文」には書かないでね。
あくまで、読んで感動したこととか、社会や生き方について考えさせられたことなどを書くべきね。

批判は厳禁
感想文は「肯定的な感想」を書くようにね。
「つまらない」とか「読んだら時間の無駄だった」なんていう本は選んではいけない。
批評家ではないんだから、読んで面白かった本、読んで感銘を受けた本を選ぶように。
普段そういう本を全然読んでなくて、感想文を書くためだけに読んだ本でも、それを「面白かった本」「読んで感銘を受けた本」ということにして書くこと。

読んだら成長しました!
「本を読んだら成長した」っていうことを書くのがおすすめ。
本の内容紹介じゃなくて、本を読んで変わったというあなたの「成長」を書くの。本を読んだくらいで成長できるのか?っていうツッコミはなし!「読書をすると人は成長するものだ」と日本の社会では思われているから。
本を読むまえは……だけど、読んだら……になった。とか、読んでこんなことをしてみました、という「本を読んだあなたの成長物語」を創作できるといいね。
普段そういう本を全然読んでなくて、感想文を書くためだけに読んだ本でも、「それを読んで成長しました」ということにして書くこと。

反社会的なことは書いてはダメ
思春期だからいろいろなことを感じるかも知れないけど、間違ってもそういうことを書いてはダメ。
泥棒をしてみたくなったとか、人を殺したくなったとか……
そういうのは「成長」って言わないよ。そういうことを書いたら、先生が心配しちゃう。
「先生が読んでいる」ということを常に念頭に置いて、大人が安心してくれたり喜んでくれるような成長物語を書くようにね。

あなたの感想の量にかかわらず、文量は決まっている
「感想文の量」は規定で決まっているから、どんどん感じることが出てきても絶対に規定の5枚以内におさめなければいけない。感想がそんなになくても、なんとか5枚に引き延ばして書いてね。
コンクールで入賞したいなら5枚の最後の行まで書くこと。そうしないといくら内容が立派でも、文量が足りていないと評価されないから。
なぜ5枚なのかって??? そんなの先生に聞かないで。知らない。

「読書感想文」は誰に向けて書くの?
実際に読むのは学校の先生とコンクールの審査員です。
でも「審査員さん読んでください!」ってあからさまに書いたらNG.
中学生が誰も読まなくっても、建前は同じ世代に向けて書くものなのです。


……ってね、そんなホンネを子どもには伝えられません。ひねくれた大人になっちゃうかもしれないから。

2015/05/18

実習生と文学的文章の教材研究をする

今日は放課後2人の実習生が来校し、来月から始まる実習の教材研究を一緒に行った。
取り上げる教材は「形」(菊池寛)と「風の唄」(あさのあつこ)の文学教材。
お互い下読みをしてきているので、雑感や印象を述べ合いつつ内容を確認していった。

一通り内容がつかめたあとで、この文章を授業として取り上げるための、素材研究の段階に入る。
大学生ならこれらの文章をなんとなくセンスで読めてしまっているんだけれども、それにはどのような方略を選択しているのか、それをあらためて言語化して取り出していく作業を行った。
その結果、上記二つの文章を読みときに、私たち三人は次のような方略を取り上げているということが明らかになった。
・場面の移り変わりに注意して読む。(回想シーンなど)
・登場人物の人間関係を押さえる。
・登場人物のキャラクター設定を考える(性格・能力・考えの傾向など)
・主人公と他の登場人物と対比してみる。
・カギとなる場面、クライマックスはどこになるか考える。
・印象的な場面や、キーワードとして頻出する言葉に着目する
・ものごとの因果関係でわかりにくいところを推測する。
・主人公の行動の動機をさぐる。
・視点(話者)をとらえる。視点の転換を考える。
・伏線とその回収の対応関係を考える。
・登場人物の心情の変化とそのきっかけに着目する。
・心情をつかむ(モノローグ・態度などから)
・言葉の持つイメージ、象徴性・暗示・隠喩の示すものを考える
・情景描写の効果について考える
・文体の特徴、印象について考える
たった二つの文章でも、実にこれだけ(もっとある?)の方略を使って、文学的文章を読み取ろうとしていることがわかる。
もちろん、授業では、これらの方略の全てをしらみつぶしに取り上げ、教える必要はない。それでは授業がくどすぎてしまう。
そうではなくて、この文章の、この「ツボ」を押すと、読みが一気に深まるようなポイントを考え、焦点化させることが必要だ。その「ツボ」につられて、他の方略も自然と引き出されていくような活動にしていこうということになった。
その「ツボ」がなんなのか、どういうアプローチをしていけばいいかを考えるのは、次回の打ち合わせで。それまでに、これらの方略を活用しながら読むことのできる言語活動を考えてくるように宿題としてもらった。
それにしても、ある程度文章が読めるようになった段階の学習者なら、このように読む方略を言語化して取り出すのは、シンプルなようでなかなか効果的な学習になるかもしれないと思った。(もっとも、それができないから苦労するのだけれども)

2015/05/06

説明文中の写真は「事実」なのか??

説明文の読解では「文章と図表の関連を考えながら読む」という言語活動がある。その場合、授業では「この写真(図表)から何が分かりますか」という課題が出されることが多い。
センス無いなーと思う。
そういう力ももちろん必要なんだけど、そのレベルに留まっていていいのかとも思うのだ。
自分だったらこういう課題設定にする。
「この文章だったら、もっとこういう写真(図表)があったらいいというものはありますか?」
「この写真があることで、どんな『事実』を伝えようとしているのですか?」
「この写真から、どんな『事実』は隠蔽されているといえますか?」
説明文中の写真や図表が示すものは、編集された「事実」であるということに読み手は自覚的でありたい。

2015/05/03

説明文の読解に「序論ー本論ー結論」は必要??

教科書に掲載されている説明文の読解学習では、どんな文章でも判で押したように「序論-本論-結論」に分ける学習が行われる。これは本当に適切なことなのだろうか。
学術的な論文ならさておき、たかが教科書にして6ページたらずの文章、しかも随筆に近いような科学読み物に「序論」なんて存在するのか、必要と思って筆者は書いているのか?? それとも教科書会社に書かされているのか?
「結論」なんて、だいたい決まり切った「自然を大切にしよう」程度のとってつけたような文章が付け足されるのが多い。(とくにその傾向は「論説文」よりも「説明文」に顕著)
説明文の一番面白いところは、(面白いものは)取り上げている説明内容の新奇さ、意外性にあるのではないか。またはその筆者の科学的なプロセスの手腕にため息をつくのが、読者の立場から見た、楽しみかたなのではないか。
そう考えると、機械的に「序論-本論-結論」と分ける学習に、一体どのような意味や価値があるのか、ちょっと悩んでしまう。

2015/02/08

ワザを説明する

昨日の修論発表で個人的に一番面白かったのは、「ワザを説明する」という実践だった。
小学五年生が、剣玉の大皿に乗せる方法を他の人に説明する文章を記述する。
構え、動作の開始、そして完成と、三つに区切らせて書く。
もちろん、事前に剣玉を与え、さんざん遊んだ後に、課題に取り組んでいく。
明確に伝えられるように、だらだらとした文章を一文一義で区切って書き直すというテクニカルライティングの基本を学んだり、スポーツオノマトペの活用なども学んでいく。なにより、「わざ」という自分の身体感覚を、言葉を媒介に、意識的に伝えていくという、大人でも難しい課題に挑戦させている。これぞ体験と知識をつなぐ「言語活動」といえるような実践だった。
この実践は、例えば中学校では、後輩に部活のワザを伝えるときなどの学習として活用することができるだろう。保健体育のダンスの学習とコラボしても面白い。
早速参考文献もゲット。岸先生はテクニカルライティングの第一人者だそうだ。
岸学『説明文理解の心理学』

これは読み応えがありそう。


2015/01/26

【論文抄録】中学校国語科における編集力を高める授業の開発

1 問題の所在
 そもそも、人間の創造的行為には既存の情報を組み替え、再創造する広義の編集力(エディターシップ)が欠かすことのできないものであるという言及は、外山(1975)や松岡(1996)らによってなされてきた。
 この編集力の必要性が、情報社会の進展に伴い一層高まってきている。情報社会において、誰しもが様々なメディアを通して発信できるようになり、情報を効果的に発信する編集力が求められるようになった。他方、大量の情報が流通する中で、その情報に埋没しないために、人の手によって情報をまとめたり、価値付けしたりしていく「キュレーション」(ローゼンバウム,2011)としての編集力の重要性が言及されるようになった。
 国語教育においては、従来より雑誌や文集などの製作で編集が取り上げられてきている。しかし、個別のメディアに対応する学習は実践されてきたが、様々なメディアに通底する編集力そのものを取り上げた実践および研究はほとんど存在していない。 また、平成20年改訂の学習指導要領において、書くことの言語活動例に編集が取り上げられるようになったものの、学習指導要領上では読むことと書くことが分断された構成となっているため、両者を関連させた能力としての編集力を位置づけることが難しいという課題が存在している。
 これらの課題から、国語科で扱うべき編集力とはどのようなものであるかという問いを持ち、授業開発をすることとした。

2 本研究の目的と方法
 本研究では、中学校国語科における編集力を高める授業を開発するという目的のもと、以下の三点の研究に取り組む。
 一つ目は、国語科で取り上げる編集力の要素や構造を具体的に解明するということである。そのために、編集に関連する先行学習事例の検討を行うとともに、文献研究と編集者への取材を行う。これらの検討から、編集力の構造について考察する。
 二つ目は、編集力を高める授業プランを開発し、筆者の勤務する中学校で実践することである。
 三つ目は、編集力を高める学習において、学習者はどのように思考し、編集を学んでいるのか、その編集プロセスをとらえることである。これらの検討により、中学校国語科における編集力を高める授業の開発に有効な知見を得ることを企図した。
 
3 研究内容
(1)編集を取り上げた学習事例の検討
 編集の学習自体は、新聞や雑誌の製作活動などとして以前から取り組まれてきている。そこで、中学校国語科においてこれまで編集学習がどのような位置づけで取り組まれてきたのか教科書の記述から概観することとした。どのようなメディアを取り上げてきたのか、また、それぞれのメディアの編集学習が、どのような意義や位置づけで取り組まれてきたか考察した。
 編集学習で取り上げてきたメディアについては、文集、新聞、雑誌、パンフレットやニュース番組など様々あるが、1990年代以降、メディアの種類が急速に多様化してきていることと、また、メディアによっては教科書への掲載が大きく増加したり、減少したりしているものがあることが分かった。そのことは、時代の変遷にともない、メディアも大きく変化してきていることと、それに伴って国語教育で取り上げるメディアにも変化があることを示している。
 続いて、これまでの編集学習では、以下の五つの意義をもって取り組まれてきたことが分かった。
・書くことを振り返る
・多種多様な情報を活用する
・文種に応じた表現の技術を学ぶ
・多様なメディア表現の特徴を学ぶ
・作り手の意図を学ぶ
 編集学習は、このように様々な意義を持って取り組まれてきている。課題として、様々なメディアにおいて活用できる編集力の要素を精選、構造化することや、編集学習において学習者が編集者としての視点を持つことと、編集技術を学ぶことの両立を図ることの重要性が示唆された。

(2)編集力の構造についての検討
 様々なメディアの編集に共通する編集力について、その構造を明らかにするために、文献研究及び編集者への取材を試みた。
 その結果、編集力とはメディアの中で、読者に向けて様々なコンテンツを構成し、プロデュースする能力であること、その編集力には、編集方針と編集技術との二つの側面から整理できることが分かった。
 編集方針には、発信メディアの特徴の吟味、コストへの見通し、読者層の設定や、読者のニーズなどの分析、そしてコンテンツへの理解が含まれる。また、編集技術には、情報(テキスト)を収集するための取材技術、適切に整えるための加工技術、複数の情報を組み合わせたり配列したりする構成技術の三つに大別できる。(表1)

  表1 編集技術の構成要素と編集例
┌──┬──────────────┐
│取材│情報を選択する               │
│    │取材をする                   │
│    │執筆依頼をする               │
│    │写真・動画を撮る             │
├──┼──────────────┤
│加工│【情報を減らす】             │
│    │ 削除する                   │
│    │ 要約する                   │
│    │【情報を書き換える】         │
│    │ リライトする               │
│    │ 校正する                   │
│    │ イラスト化・図化する       │
│    │【情報を付加する】           │
│    │ 解説・注釈を付ける         │
│    │ 見出しを付ける            │
├──┼──────────────┤
│構成│組み合わせを考える           │
│    │順番・配置を考える           │
│    │デザインを考える             │
│    │レイアウトを考える           │
└──┴──────────────┘
 編集力を製作プロセス全体を俯瞰する編集方針が中心となり、様々な編集技術を活用していく力の総体として整理した。

(3)編集力を学ぶ授業の開発と実践
 編集力を高める授業の開発では、教材研究の視点と学習支援の視点と、二つの観点から授業を検討することとした。
 まず教材研究の段階では、学習者がどのようなメディアで発信していくのかという発信メディアの検討と、何を加工していくのかという編集テキストの検討、そしてそれらをどのようなプロセスで編集していくのかという編集プロセスの検討との、三つの視点を取り上げた。
 また、編集プロセスの学習支援として、編集方針の形成プロセスと、編集技術の活用プロセスの二つの側面から学習者を支援していくこととした。

第一実践 「小林一茶企画展」
 中学1年生を対象に実践した授業は、一茶の俳句を組み合わせて展示するミニ企画展を各自で製作するというものである。
 屏風状のディスプレイ型ポートフォリオによる「展示」を発信メディアとして、そこに各自が設定したテーマで編集した一茶の俳句などを展示する学習を展開した。
【おもな学習の流れ】
①一茶の俳句を読む。
②テーマを決めてコレクションを作る。
③展示の企画を考える。
④構成やレイアウトを考え、展示を作る。

第二実践 「戦争の記憶を受け継ぐ」
 中学2年生を対象に実践した授業では、「戦争体験者から当時の暮らしなどをインタビューしたり調査をしたりして、読者対象である中学校の後輩たちに、戦争について考えてもらうための雑誌を作る」という学習活動を展開した。
 プロの雑誌編集者をアドバイザーとし、戦争体験者を教室に招き、雑誌編集について学んだり、インタビューを体験したりしながらグループで雑誌を製作した。
【おもな学習の流れ】
 ①構成ラフを描く
 ②戦争体験者へインタビュー取材する
 ③見出しやリードを作成する
 ④紙面のレイアウトを考える
 ⑤文章を考える

4 成果と課題
(1)実践から見えてきたもの
 実践を行い、学習者の編集プロセスについて次のことが見えてきた。
・多様な解釈を許容する懐の深いテキストが編集テキストとして適している。
・編集方針の形成プロセスと編集技術の活用プロセスの双方が密接に関連することのできる授業デザインが重要である。
・編集方針と編集技術は編集テキストと向き合う中で相互作用的に高まっていく。
・編集活動ではテキストかテーマか、どちらを優先するかでジレンマが生まれる。
・切り口のあるテーマを設定することで、テキストへの解釈が深まっていく。
・様々なメディアが融合された現代のメディア表現に対応していくために、他教科との連携や、国語科の教科内容の更新の必要がある。
 このように、編集力を高める授業の開発および実践への有効な示唆が得られた。

(2)今後の課題
 本研究では、二つのメディアを別の学習者を対象に授業実践を行った。そのため、これらの学習によって得られた編集力が、他のメディアの編集にどのように転移していったかについては解明できていない。同一の学習者が、様々なメディアを対象とする編集に取り組んでいくなかで、編集力のどの要素が、どの程度転移したのかなどを検証することが必要であった。それらの系統的な編集力向上の実践および検証が今後の課題である。

参考文献
スティーブン・ローゼンバウム (著), 監訳・解説:田中洋 (翻訳), 翻訳:野田牧人 (翻訳)(2011)『キュレーション 収集し、選別し、編集し、共有する技術』プレジデント社
外山滋比古(1975)『エディターシップ』みすず書房
松岡正剛(1996)『知の編集工学』朝日新聞社

2014/10/16

アマゾンの「五つ星レビュー」で「感想」から「批評」への脱皮を。

昨日から「走れメロス」の鑑賞の授業をスタートさせている。
通読して設定を確認した後、200字で、いわゆる「初発の感想」を書かせたんだけど、そこで一工夫。Amazonのレビューのように、五つ星をつけてもらい、それにコメントするという活動にした。
実際の「走れメロス」のAmazon上のレビューはこちら。
ちょっとした違いなんだけど書き方を変えることで「読後の感想」から「読み手を意識した作品批評」へとモードが明らかに変わっているのを感じる。星をいくつに設定するかという「迷い」が、その人なりの作品評価を含んだ読みに仕向けることができたのだろう。
もちろん、一読した後のコメントだから、不十分な読みも散見される。しかし、その不十分なコメントだからこそ、かえってお互いの読みを刺激するものとなっている。
今日の授業では、お互いの五つ星コメントを交流しあった後、さらに実際のAmazon上での「走れメロス」のレビューもみんなで読んでいった。
高校生が書いたレビューや、中学生時代に読んで、大人になってから読み返した人が書いたレビュー、穏当な評価と過激な評価など、さまざまな観点があってとても面白い。一つの作品でもこれだけ評価が分かれる問題作なんだと言うことを、Amazonのレビューを読み合うことで気づくことができたと思う、

2014/10/08

「表現の自由」と「文学」

「文学なんか何の役にも立たないとかよく言われるんですけど、政治家が真っ先に弾圧するのも文学なんですよね」(安部公房)

最近、また安部公房にはまっている。
最近はyoutubeで安部公房の肉声に触れることができるようになった。うれしい。






安部公房は文学と自由との関係、いや、人間存在と自由との関係をとことん追求しようとした文学者である。

文学を創作する授業における「表現の自由」はどこまで尊重すべきなのだろうか?
いや、むしろこの問いよりも、「表現の不自由」なところに、いったいどんな文学が生まれるのだろう、と考えた方が建設的かもしれない。
文学とはある面において、「表現の自由」への戦いでもある。
それは、政治・社会・慣習・モラル・言語などおよそあらゆる制度によって囲まれた不自由や、自分でこしらえた不自由との戦いとも言える。
それらの間隙を縫って表現される「あるもの」が文学の胚胎となる。
それこそいわゆる「文学のふるさと」(坂口安吾)なのだ。

2014/09/16

「夏の葬列」の表現のしかけを読む~「夏の葬列」の授業№3~

「夏の葬列」三時間目。
今日は、「夏の葬列」の細部の表現のしかけを読み解いていく学習を行った。

流れ
1 授業の主旨と、表現の細部を読み解く視点を提示する。
今回の授業は、自分で小説を書くために、教科書の小説を読みながら、その書き方の工夫を学ぶということ。
「神は細部に宿り給う」という言葉があるけど、「夏の葬列」という小説も細部を細かく読み解いていくことで作品の魅力に迫れる。作者がどんな工夫をしているか、読み解いていこう。

次のような方法と視点を提示した。

深読みのテクニック

  • 「     」とあるのは、……を表している。
  • 「     」はきっと……………を伝えたいんだろう。
  • 「     」は実は……………とも読み取れる。
  • 「     」という表現から………がイメージできる。
  • 「     」は………………を読者に仕掛けている。

などの言い方で、細部にわたる表現の意図と効果を深読みしていこう。

小説の仕掛けの視点

  • 「実は」のパターン
  • 謎(ミステリー)と解決
  • 文体・口調
  • キャラクター設定
  • 語り手は誰?
  • 言葉や記号の選択(名詞や動詞、形容詞、……などの記号)
  • 道具(なぜ芋畑なのか? おまんじゅう、運動靴など)
  • 人の呼び方
  • 気持ちの書き方
  • 風景の書き方(空の描写)
  • 五感を使った描写
  • 身体の描写
  • 色彩
  • 書かれているものと書かれていないもの
  • 余白・行間を読む
  • 伏線
  • 言葉のリズム
  • 比喩
  • 擬人法
  • 倒置法
  • 余韻(よいん)
  • 暗示
  • ストーリーとプロット
  • 起承転結(冒頭・発端・山場・頂点・結末)

2、役割読みをする
まずは肩慣らしで、4人グループで、二の場面と、四の場面を次の分担で役割読みをしていった。

二の場面 彼・ヒロ子さん・語り手・絶叫する男
四の場面 彼・語り手・彼のモノローグ・子ども

3、小説の表現のしかけを読む
そのまま4人グループで、付箋に書き出していった。
・読んでいくうちに「違和感」を感じた表現
・立ち止まって考えてみたいこと
・作者の工夫があると感じられる表現
などに着目して、付箋にどんどん意見を書き出させるようにさせた。

次回これらを発表して、学級で「小説のしかけ」を共有していこうと思っている。











2014/09/10

ビブリオバトル文学決戦 ふりかえり

ビブリオバトル二回目。
今回は文学(小説、随筆、詩など)に限定してバトルを行った。
夏休み前に一度取り組んでいるので、一通りの流れなどは定着してきているが、やはり取り組んでみていろいろ難しい面があると感じた。

1 文学作品の魅力を説明することはなかなか難しい。
前回は理科系の本を紹介するビブリオバトルだったんだけど、理科系のよりも小説などの紹介をする方が難しかったようだ。
あらすじをネタバレしない程度に伝えることはできても、それがなぜ、どのように魅力的なのかを伝えることはなかなか難しい。(大人だって難しいだろう)
笑いあり涙ありです! 感動です! って言っても、何がどうそう感じられるのかが分かりづらい。
理科系の本の時は、一人四分で紹介&質疑応答としていたが、とても四分間は持たない。途中から三分に短縮してやっと間延びせずに取り組ませることができた。
次回取り組むさいは、ナンバリング&ラベリングなどを活用して、いくつか観点やポイントを整理させてプレゼンをさせるほうが、より分析的に、伝わりやすいプレゼンができるかもしれない。

2 文学作品を味わう語彙が必要
1と同じだけれども、面白い! 泣ける! 以外の、文学作品を味わう表現や語彙のようなものになじむ必要があるかもしれない。
たとえば、効果的に作品の魅力が伝わっているブックガイドの文章を例示したり、ダビンチなどの雑誌や、文学コンクールの選評コメントなどを提示し、どのような言葉で文学作品の良さを語っているか、どのように語れば、作品の良さがより効果的に伝わるかを吟味させるとよいかもしれない。
生徒が選んだ同じ本を、大人が紹介したビブリオバトルの動画を提示するのも良さそうだ。
もちろん、これらの語彙を獲得するということは、文学をより深く味わう力にもつながってくるはずだろう。

説明文を図解する学習で、何を考え、どう表現しているのか〜情報デザインとしての説明文図解学習〜

実習生の授業。「オオカミを見る目」という説明文を、八つ切り画用紙一枚にまとめるという学習を行っていた。(私が指導している実習生ではないので、詳細は分からないが、)前段階で内容の要約文などをまとめて要旨をつかんだ上で、用紙一枚にビジュアル的に表現するということだろう。(一応しゃれではない)

説明文の説明内容を一枚にまとめるときに、生徒たちは何を考え、どう表現していくのだろうか。学習に取り組む姿を観察しながら、それを考えていた。
説明内容を用紙一枚に表現する際には、次の点の吟味・検討が必要になるようだ。

図解で吟味・検討する要素
  • 用紙を縦に使うか、横に使うか
  • 縦書きにするか、横書きにするか
  • 用紙一枚に収まる情報量(文字量など)はどうするか
  • 余白をどの程度とるか
  • 中心、左右、上下に何を配置するか
  • どのような順序で記事を配置するか
  • 囲み記事などの大きさや形は
  • 全体の色味やトーン、枠組みの決定
  • テキストの段組は
  • 文字や線の大きさ、色、フォントは
  • 手書きで仕上げる場合は、筆記具の選択(マジックか、ボールペンか、クレヨンかなど)
  • 写真やイラストを、何をどの程度使用するか
  • 説明する言葉の表現(そのまま使うか、言い直して表現するかなど)
  • キャッチコピーや見出しをどうするか
  • 矢印や記号、図や表をどの程度使用するか
など、細かく要素をあげていけばいくらでも抽出できる。
これだけのことを教えなければいけないのか!と思ってしまうかもしれないが、そんなことはない。そんなことを教えなくても、子どもたちは、日常的に触れているポスターや新聞、ウェブなどの図解表現から、これらの要素を何となく理解し、表現できてしまっているのだ。
何にも教えられていなくても、経験的に、何となく、文字や線の色分けを工夫したり、タイトルの形を工夫したりしている。

情報デザインとしての説明文図解学習
肝心なのは、これらの要素を学習活動として取り上げる際には「何となく」各自のセンスに任されるのではなく、「これを伝えたいから、このように(レイアウトなどを)工夫して表現した」という「こだわり」を持たせるところではないかと思う。
そのような「こだわり」と、実際に表現されたものとの関連を吟味・検討することがなければ、何でもありになってしまうし、各自のセンス任せになってしまう。つまりは学習にはならない。
メッセージを効果的に相手に伝えるために図解で表現をするという「情報デザイン」の視点をこれらの学習に持たせることが必要である。
ここであえて「デザイン」という言葉をつかうのもゆえあることである。「何となく」「センスで」できてしまう表現、ありのままに、おもうがままに表現したいのであれば、それは自己表現としての「アート」である。
「アート」には「アート」としての価値はもちろんあるだろう、しかし、相手にメッセージを効果的に伝える表現を志向する場合は、その表現は自ずと「デザイン」へと向かう。ここで学ぶべきは「デザイン」としての図解表現である。(繰り返すが「アート」としての表現を否定しているわけではないし、「デザイン」の基盤にも「アート」的なセンスは必要となるだろう)

説明文を図解する学習の取り立て指導
そうはいっても、一つ一つ、これらの要素を、表現の細部まで取り上げて指導をしていたら日が暮れてしまう。
まず、教師がどんな図解表現をさせたいのかというねらいの明確化と、そのねらいを達成するためには、生徒たちにどのような力が不足しているかという実態の把握が必要だ。
それらの実態把握をしたうえで、たとえば、図解の要素のうち、特にポイントとなる点を焦点化して指導してみたらどうだろうか。(「要素を分解し、要素の力点をずらす」手法を活用する) ポイントとなる点に意図的に生徒の思考が向くように、要素をずらしたり、要素を考えさせたりする授業をデザインするのだ。

1、レイアウトの力を付けたいときには
画用紙一面の「面」として訴求力を持たせる表現をさせたいとする。
そのときは、次のようなレイアウトを検討する学習が有効だ。
一つの説明文を一枚の紙に表現するとして、どのようなレイアウトが考えられるか、グループでその文章を図解表現するレイアウトのパターンをたくさん(五つ以上?)出していく。そして、それぞれの図解表現の良さを考える。
たとえば、二項対立の文章内容であれば、シンメトリーの構成か、マトリックスのような表にまとめるという方法がある。時系列などの流れが表現された文章内容であれば、年表とかチャートのような流れを可視化するレイアウトが考えられる。
これらの文章内容に応じたレイアウトのパターンをグループで複数出し合い、それらのレイアウトの良さを話し合う。
ゼロからパターンを考え出すことが難しい場合は、教師がいくつかパターンを例示して、それらを比較するという方法もあるだろう。

2、見出しの効果を学びたいときには
何となく見出しの言葉を付けていて、インパクトや工夫のない表現が見られたとする。
そのときは、次のような活動はどうだろうか?
新聞やポスターなどの見出し部分を空欄にし、その中に入る言葉をグループで出し合い、考えていく。
見出しの言葉は、文章内容を凝縮する要約の機能をもっていたり、キャッチコピーのように読み手を惹きつける効果を持った言葉が選択されることが通例だ。そのような見出しの言葉の効果を意識させるための活動である。

3、説明する文章の表現を学ぶときには
説明文を図解する文章のなかで説明する文章を書くときに、単なる引き写しだったり工夫が見られないときに取り上げる学習。
説明文を、様々なモードで書き換え、表現の効果を考えていく。
説明文は、説明を伝える相手によって、説明する表現は変化をしていく。
説明内容になじみがなかったり、初めて聞く人に対しては、その前提や趣旨などを含めて丁寧に説明する必要がある。
反対に、説明内容をある程度知っている人に向けては、新たな切り口や、より深い視点を提示する必要がある。
このように、説明内容は、相手との相互作用の中で生み出されていくものであるから、どのような相手に、何を伝えたいかという意識を明確にもたせることが重要だ。
小学生向き、中学生向き、大人向きなどの相手や、伝える目的を提示し、書き換える学習を行うことで、説明する文章がどのように成り立っているか学ぶことができる。

2014/09/08

文学作品の王道パターンを学ぶ~「夏の葬列」の授業№2

「夏の葬列」の授業の2回目。
授業の基本的なコンセプトは、小説を書き方をつかむために読む、である。
今日は作品全体を俯瞰して構成をとらえる学習を行った。

1、「箱書き」を書く
箱書きとは、小説作品のプロットを流れに沿って書き出すものである。
小説を創作する際には、設計図のような箱書きを書いてから、原稿を書き始めることがあるという。

「小説を書くための基礎メソッド」の方法を参考に、次の観点でまとめていく。

①時間
②場所
③人物
④出来事

たとえば、シーン1(大段落の1つめ)は以下の内容になる。

シーン1
①時間:現代
②場所:海岸の小さな町の駅→アーケード→踏切→芋畑
③人物:彼・葬列の人
④出来事:出張帰りに、かつて疎開した町を再訪した。
葬列を見かけ、昔の出来事を思い出す。
このシーン1を学級全体で取り組んだ後で、4人グループになり、残りの4つの場面を整理していった。

◆活動をしてみて
最初は15分くらいでできるかなと甘く見ていたが、予想以上に時間がかかった。
結局、倍の30分くらいかかってようやく7~8割の生徒ができるという結果になった。
どうやら、場面の出来事を2~3行くらいで短い言葉でまとめることに苦心していたようだ。
要約文と考えると、どうしても思い切ってそぎ落とすという感覚にはなれない。
あれこれと盛り込んでいくうちに、5行、10行と記述が増えていってしまう傾向がみられた。
この箱書きの場合は、内容を削ってまとめるというよりも、内容の趣旨を短く言い換えるというタイプの要約になる。そのため、適切に要旨を理解していないと、一言で言い換えることはなかなか難しい。ましてや、一度しか読んだことのない文章であったから、生徒にとっては難易度の高い学習だったのだろう。
あるいは、たとえば「○○○が………する」のようなフォーマットを示した方が取り組みやすかったかもしれない。

箱書きが書けた生徒のトートを、iPadで撮影、スクリーンに写しつつ全体で共有していった。

2、文学作品の王道パターンについて知る
内容のあらましを整理した後に、効果的に文学作品を表現している技法としての3つのポイントについて説明をした。

○王道の展開パターン
 物語は「冒頭」「発端」「山場」「頂点(クライマックス)」「結末」という「起承転結」の王道パターンがある。
 中盤よりもやや後半部分に(水戸黄門で言えば45分に??)クライマックスが訪れる構成が、読み手にとって一番気持ちがいい。
 またクライマックスでは主人公に一番大きな変化が訪れるという特徴もある、
 夏の葬列のクライマックスは、葬列がヒロ子さんのお母さんのものだったと知って現実に直面させられる、場面4の最後の部分である。

○ストーリーとプロットの違い
 ストーリーは、出来事を時間順に並べたもの
 プロットは、物語を語られた順に出来事を再構成したもの
 (プロットには作者の意図が含まれるので、時系列がゆがんでいる作品はその意図や効果を考えることが必要となる。)

○ミステリー(謎)によく見られる、「Aは、実は、B」という構造
 「夏の葬列」だと
 平凡なサラリーマンである彼だが、実は、子ども時代にヒロ子さんを死なせているという暗い過去を持っている。
 ヒロ子さんのお葬式だと思っていたが、実は、ヒロ子さんのお母さんの葬式だった。
 ほかにももっとたくさんあるだろう。

 実は……のパターンは、キャラクター設定などでも活用されている汎用性の高いパターンでもある。
 クライマックスには「実は……」の部分があらわになり、ミステリー(謎)が解決するというパターンがとても多い。

 これらの、「文学作品の王道パターン」をある程度念頭に置いて。小説を味わったり創作させていくとより効果的に学習を進めていくことができると考える。

全般的に今日の授業は内容を詰め込みすぎ、やや後半の解説がしゃべりすぎの学習になってしまった。しっかり学んでほしいことが定着できているか、やや不安だ。

2014/09/05

作り手の立場にたって読む文学の学習は可能か? 〜「夏の葬列」授業記録 №1〜


「演劇で照明をやったことのある子は、人の舞台を見るときも、自然と照明の素晴らしさに目が行くようになる」とは、同僚の先生の言葉だ。
作り手の立場にたつことで、受け手としての見方も磨かれる。これには共感できる。
作り他の立場に立ってみることは、作品をより深く感受し、豊かに味わうことと矛盾しないだろう。

たとえばこれが文学の場合はどうか?
文学を味わうとき、作り手の立場にたって読み解く学習をしたとして、これが同様に成り立つだろうか?
作り手の立場にたって読む読み方は、文学作品を享受するときの感動を否定する活動になるのだろうか?
こんな問題意識から、文学の学習をスタートさせた。

今日から「夏の葬列」を読み進めていく。
提案内容は、「創作」と「読解」をつなぐ学習活動
小説を読みながら、「表現の仕掛け」を読み取り、読み取った「表現の仕掛け」を小説の創作にも生かしていこうという学習。

単元の主な学習の流れは次の通り
1、(一斉指導)「夏の葬列」の表現の仕掛けを分析する。
2、(秋休み中課題)各自で小説の表現の仕掛けを調べる。
3、(グループ課題)「空中ブランコ乗りのキキ」「麦わら帽子」(その他未定)のテキストから一つ選び、表現の仕掛けを分析する。
4、短編小説の構想を練る。創作は冬休み?

表現の仕掛けの視点は次の通りだ
・構成(ストーリーとプロット、クライマックスなど)
・登場人物(キャラクター設定)
・描写・レトリック
など。ちょっと本を読んで調べたけれども、まだまだ山のようにあるみたい。
これらの「表現の技巧」をいかに絞り込んで生徒に学ばせていくかが課題。
羅列して伝えても意味は無いし。
このへんの小説の構造やディティールを味わう視点のようなものを、適度に教え込みすぎない程度に伝授しつつ、子どもたちが自力で見いだしていくような学習にしていきたいと考えている。




一時間目 「夏の葬列」を読む
今日は「夏の葬列」を読む最初の授業だった。
次のような授業を行った。
1 文学(小説)の読み方を思い出す。
 今まで学習してきた、または読書生活の中で身につけ、意識してきた小説の読み方をシェアしていった。
 ○次のような意見が出た。
  登場人物の人間関係を掴む。
  登場人物の心情を理解する
  登場人物になりきって読む
  情景を読み取る
  比喩や暗示しているものが何かを考える
  クライマックスにつながる「伏線」をつかむ

2 冒頭を読む
 つぎに、「夏の葬列」の冒頭の段落だけをプリントしたものを与え、そこから何が読み取れるか、どんな話になりそうかを考えていった。
提示した冒頭の文章
 海岸の小さな町の駅に降りて、彼は、しばらくは物珍しげに辺りを眺めていた。アーケードのついた明るいマーケット風の通りができ、その道路も、硬く舗装されてしまっている。はだしのまま、砂利の多いこの道を駆けて通学させられた小学校の頃の自分を、急に生々しく思い出した。あれは戦争の末期だった。彼はいわゆる疎開児童としてこの町にまる三ヶ月ほど住んでいたのだった。
 ーーあれ以来、おれは一度もこの町を訪ねたことがない。その自分が、今は大学を出、就職をし、一人前の出張帰りのサラリーマンとして、この町に来ている……。
 東京には、明日までに帰ればよかった。に三時間は十分にぶらぶらできる時間がある。彼は駅の売店でたばこを買い、それに火を付けてると、ゆっくりと歩き出した。

 ○教科書ではたった十行に満たない文量だけども、なかなか面白い意見が出た。
  次のとおり。

  • 時代は1960年くらい?
  • 場所は海岸沿いの街
  • 戦争時代の話が出てくるのでは?
  • 彼はもう大人になっている。
  • 「たばこを買い」とあえて書いてあるところから、大人になってやっとたばこを 吸える年齢になったということを表しているのかも。
  • 「通学させられた」とか「なまなましく思い出す」ってあるから、あまり学校時代にいい思い出がなかったのかも。
  • たった三ヶ月しかいなかったところに、あえて再び訪れるというのは何か深いわけがあるのかもしれない。

作者にとっての冒頭の効果は、いうまでもなく二つ。
読者を作品世界に惹きつけることと、作品の設定を伝えるということだ。
この二つを目的に、作者は十分に配慮して気合いを入れて書くのが冒頭である。
読むときにはそれを念頭に入れて、冒頭で、どうやって読者を惹きつける工夫をしているか、どうやって設定を伝えようとしてるかを読み取る学習ができるだろう。

3、教師の範読を聞く

4、設定を確認する
 作品を理解する大前提としての設定を確認していった。
 時間 戦争中と戦後
 場所 海岸の小さな町
 人物 彼・ヒロ子さん・ヒロ子さんの母・葬列に参加している人(子ども)

5、初発の感想を書く
 7〜10分程度で200字の感想を書き、残りの時間はそれをお互いに読み合った。


2014/08/31

「話す聞く」「書く」の言語活動ばっかりやっていて、入試に出るような「読解」の力はつくのか?

「話す聞く」「書く」の言語活動ばっかりやっていて、入試に出るような「読解」の力はつくのか?
という問いがあるとして、それについてどのように考えればよいのか?
私なりの考え。

一つめ。話す聞く、書く、読むの力はそれぞれ別の力ではなく、共通して指導できることが多い。 
書いたり話したりという効果的な表現の仕方を学ぶことは、それを読むときの力にもつながるはずです。その関連性を意識して指導するようにすればよいのではと考えています。(し、最近では読んで、そこから自分の考えを書いて表現するような力も問われていますので、単純な文章理解力のみではまずいと感じています)
たとえば、「書くこと」の学習で詩を創作する学習をしたとします。詩を創作するときに活用する「比喩」や「擬人法」などの知識や、情景描写や心情描写、象徴などの表現の効果を考えながら書く学習は、「読むとき」の学習にも活用させていくことができます。そのような領域を関連させた指導が重要であると感じています。

2つめ。評価も変わりつつある。 
全国学力・学習状況調査を全国で実施し、その点数による序列化があおられる昨今、高校入試も全国学力……のテストのスタイルに少しずつ変わってきています。また、次の学習指導要領でも、従来のペーパーテストによる評価だけでなく、パフォーマンス評価が導入されることは確実です。高校入試にこびるのではなく、むしろ、社会に出てから役に立つ学習を、こちらが堂々と展開していくべきだと考えます。

3つめ、言語活動は目的ではなく手段である 
たとえば、音読は「話す聞く」の活動ではなく「読むこと」の言語活動として示されています。
現行の学習指導要領では、言語活動を通して指導事項を指導する、というスタイルになっています。言語活動は手段、指導事項の習得が目的です。
これは、たんに大きな声ですらすら読む、ということを目的にするのではなくて、音読という活動を通して、より文章を深く解釈するという指導事項を指導することを目的にして行われるものです。
だから、音読を通して文章の解釈を考えることがうまく行われるのであれば(たとえば、音読するときの読み方を考えるときに、文中の登場人物の気持ちを想像して書き込む活動をすることによって)いわゆる高校入試で問われるような「読解」の力を付けることが可能になるのではないかと考えます。

4つめ、読むことと話す聞く、書くことのバランスはそもそも等分ではなく、学習指導要領上でも「読むこと」は重視されている。 
学習指導要領の「指導計画の作成と内容の取り扱い」には、それぞれの領域の時数の目安が示されています。
それによると、1・2年の授業時数140時間のうち
「話す聞く」が15〜25時間
「書く」が30〜40時間と示されています。結果として
「読むこと」には95〜75時間割くことができます。
話す:書く:読むは、おおむね1:2:3ぐらいの割合で行われることになっています。この割合はそれほど多いとも少ないとも(私は)感じません。

2014/07/24

本を薦める教師になりたい

高校時代、大好きだった国語の先生に、
「君たちは死ぬまでに『源氏物語』と『史記』を読みなさい。現代語訳でもいいが、原文の方が圧倒的に面白い」と卒業間際に言われた。
そこまで迫力を込めて言われると、この歳になっても忘れないものだ。
私もそれくらいの気迫で、何かの一冊を生徒に薦められるだけの人間になりたい。
あっ、でも、その前に『源氏』も『史記』も読んでおかないと。死ぬまでには読みたいが。

……という話題をフェイスブックに投稿したら、さっそく友人からこんな本を紹介された。
史記列伝の韓非子や、項羽本記、
原文だったら『新釈漢文体系』
中島敦『李陵』
パールバック『大地』
スタインベック『怒りの葡萄』
曹雪芹の『紅楼夢』
ちなみに私が好きなのは、武田泰淳『司馬遷ー史記の世界』
いやあ、中国モノは熱い! 久しぶりに読んでみたくなった。

・・・・・・・・・・

四月当初、ヘッセを愛読していると言っていた生徒に『デミアン』を紹介したらすっかりはまってくれたらしく、会うたびに選書の相談をしてくれる。
今日は『ファウスト』か、『カラマーゾフ』か、どちらがいいか、迷ってるらしい。なんでも、夏休み開けのビブリオバトル文学決戦で、どちらかの本でエントリーしたいらしい。これもビブリオバトルの効果か?
しかし……デミアンからファウスト、カラマーゾフはいくらなんでもは飛びすぎだろう……まずは『罪と罰』読んだら?と紹介させていただいた。
げに、先達はあらまほしきことなり。
罪と罰も、ファウストも、何度も挫折して、やっと大学時代に通読したことを隠しているのは言うまでもない。

国語で古典と言うと、決まって源氏だ、枕だ、というのが不思議で仕方が無い。なぜ日本の古典に限定するのか?
そんな偏狭な「古典教育」で、世界の古典的作品に触れる機会がどれだけ生まれるのだろう?
それでも、知的関心が高い生徒は自分から古典の価値を見出し、読もうとしている。
もちろん彼らには、日本も世界もない。
ギリシャ神話、聖書、ドストエフスキーなど、そういう類の本を背伸びしても読みたくなる中高生が必ずいる。そんな彼らの意欲を後押しすることはできないだろうか?

本を、しかも、一生で何度も読み返し、味わうことのできる作品を薦められる教師になりたい。そして世代を超えて、一つの作品について語り合いたい。
そんなことのできる作品は、やはり、日本に限らず世界の古典的な作品しかないだろう。

2014/07/22

正しい斜め読みの作法

正直に告白すると、持っている本の三分の一もまともには読んでいないだろう。
だが、ちょっとしたコツで読んだことにしてしまう秘策がある。
斜め読みという技である。
斜め読みなんて、何と無く、不真面目で手抜きかもしれないので、おおっぴらには言いづらいことだったけどが、先日、ある。超読書家の方も私と同じような読み方をしているときいて、これでよかったんだ!と安堵し、公開に踏み切ることを決断したのである。

正しい斜め読みの作法
1、本の紹介文、作者のプロフィールをじっくりよむ。時間があればWikipediaなどで調べる。Amazonやブクログなどのレビューも目を通す。(あてにならないことが多いが読者のリアクションとしての意味はある)

2、前書き、あとがきをじっくりよむ。
(その本のウリや、要約が書かれていることが多い)

3、目次に目を通して、だいたいの内容や全体のトーン、主張を類推する。索引や参考文献が紹介されていれば、それが文章のキーワードになるし、文章の根拠や系譜を知るために役立つ。

4、とりあえずページを始めから最後まで全めくりする。
(ここが斜め読みの核心。面倒だけど全てのページを見る。大変だけど、ものの10分でしよ。
こうすることで全体の構成が把握てきる。そして、どの辺が必要な情報か、どの辺が気合いを入れて書いているかがわかる。)

5、全体の中から優先順位の高い順にページを開き、読む。
最初からという順序を気にせず、いきなり核心から読む。必要があれば遡って読む。