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2015/09/04

古文の訳文はなんとかならないか?

昨日同僚の先生と話題になったのは、古文解釈の、あの直訳体のいけてなさだ。
古文は(に限らず、どんな文章もそうだけど)文体によってえらく親しみやすさが変わってくる。同じ古典でも訳し方によって印象が一変する。
たとえば、徒然草だったら、橋本治さんのふてぶてしい文体が最高。あれで私は徒然草に開眼した。万葉集なら「song of Life〜コンテンポラリーレミックス、和歌〜」だ。
しかし、教科書の直訳体は、どう書けばこんなにつまらないんだろうと思うほど、いけてない。これでは古文嫌いが量産されるのも仕方がない。
最近、角川のビギナーズクラシックスシリーズなどの意欲的な訳文が出回りつつある。一般書でもだいぶ古典の訳本が増えてきた。
授業でも、いや、授業でこそ、古典作品の魅力を十二分に引き出す訳文が必要なのではないだろうか?

2015/06/06

授業が教科書を規定するのか、教科書が授業を規定するのか

さて、どっちだろう?
よく国語の授業で批判のやり玉に挙げられるのが、文学的文章を何時間も取り上げる授業実践。
あれ、もし教科書に載っている教材が、いまの十倍の量になったら、そんな時間で取り上げることはできなくなるだろう。
「年度内に教科書を終わらせる」という圧力は、学習指導要領なんかよりもずっとずっと先生方のプレッシャーとして大きい。
いっそのこと、全部取り上げると終わらないくらいの量の教材にしてしまって生徒の実態や学習指導要領に合わせて教師が軽重をつけて教材をチョイスできるようにしたらいいと思っている。
(最近の教科書は、本編と補助資料として、そういうアレンジが可能な編集になってきている)