ラベル 言語事項 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 言語事項 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015/11/01

辞書の語釈について考える授業は何を提起していたのか

参観した授業から授業考えたこと。
授業の構成自体はまだまだ練り上げる要素は多いけど、提起している問題はなかなか興味ぶかい。

◆授業のおもな内容
1 身近な言葉の語釈を考えてみる
「旅」とか「友だち」とか「思い出」など。
「あなたの言葉を辞書に載せよう」という大辞泉のサイトがある

2、辞書の言葉について考える
大辞泉や三省堂国語辞典では、読者参加型の辞書づくりに編集をシフトさせていっているそうだ。
その試みのおもしろさや意義について考える。

◆この授業が提起しているもの
1、「辞書上の意味」を考えさせようとした
学習指導要領の指導事項には「辞書上の意味と文脈上の意味との関係に注意し、語感を磨くこと」という文言がある。これはほとんどの場合、小説などを読んだときに出会った見知らぬ言葉を辞書で調べ、辞書上の意味を文脈に沿って書き換えていくという学習が行われる。
しかし、今回の授業は何かの文脈が先にあるのではなく、まず「辞書上の意味」そのものを考えさせようとしたところに特徴があり、提案性があるのだ。
「辞書上の意味」ってどうやって書くべきなんだろう、そもそもなんのためにあるんだろうか。
言葉の意味は、そもそも文脈から離れてはあり得ない。Aくんの感じる「かわいい」とBさんがつぶやく「かわいい」の意味は同じではない。しかし、いくつかの「かわいい」の文脈を集めていくとそこにおぼろげながら「かわいい」の「辞書上の意味」が浮かび上がってくる。どんな文脈でも「この意味として使われているとは言えそうだな」という「語釈」がにじみ出てくる。(言語学では「ラング」「パロール」というらしいことを大学のときに習ったけど、「パロール」から「ラング」を取り出していく作業だと思っていいのか?)

2、言葉の意味のフローとストック
といいながら、「辞書上の意味」が書かれている「辞書」そのものも大きくかわりつつある。大辞泉などの辞書では、インターネットによって、自由に語釈を書き込んで読者を参加させ、辞書の語釈をを豊かにしていこうという取り組みを進めているのだ。まるで掲示板のような辞書。
初めから「ラング」が決まっているものとしてトップダウンに読者にあたえるのではなく、ボトムアップに作り上げていく試み。しかも辞書の編集者だけでなく、様々な「文脈」を持つ一読者もそれに関わることができる。
「文脈を持つ言葉」はTwitterの「つぶやき」のようにあっという間に消えていき、移り変わっていく「フロー(流動的)」の言葉だ。しかし辞書は「ストック(不変・不易)」を志向する。言葉の意味のフローとストックのせめぎ合いを、具体的な辞書の編集のプロセスを知ることで、学習者は目の当たりにすることになる。
そういう観点で、言葉の意味のフローとストックを考える機会にすることができる。

3、編集の参加性と権威性
そもそも、読者は辞書に何を求めているのだろうか?
それをひと言で言うと「辞書に載っている正しい意味」という安心感、信頼なのではないか。もっというと「辞書の権威」にすがっているのではないか。
「辞書に載っている」といえば、その語釈は規範となり、正しいものとして安心して許容することができる。しかし「隣のA君が言っていたよ」というのでは当てにならない。
辞書は「権威性」の高いメディアなのだ。
しかし、最近は百科事典の世界ではご存じのようにWikipediaによってだれでも百科事典作りに参加できるようになった。
誰でも書き込めるという「参加性」が高まると「権威性」は薄まる。
国語学者でしか書けないという「参加性」が低くなると「権威性」は高まる。
もし辞書が「参加性」を高めた場合、「権威性」はどうやって担保していくのか、どうすれば信頼できる語釈になるのか、それこそが辞書の編集ポリシーが問われることになる。
そういう観点で、編集の権威性、参加性を考えさせてもよかった。

4、実は「編集方針」を考えていたのだ
授業のなかで最も欠けていた何か?
それは「辞書を読む読者」の存在だ。
世の中にはさまざまな辞書が作られている。
これは裏を返せば、それだけ多様な読者のニーズがあると言うことなのだ。
たとえば、「日本国語大辞典」や「広辞苑」のようなごっつい辞書を使いたい時もいれば、「新明解国語辞典」のほうが必要なときだってある。誰にとっても「日国」が必要なのではなく「日国」が必要な時があり、それを必要とする読者がいるから、マーケットが成立しているのだ。
だから、「こういう読者のニーズがあるからこういう辞書が必要だ」、「こういう辞書があればこういうニーズを満たす」、「この語釈は誰々向きだ」、という議論ができればさらに深まりがあったのではないかと思う。
「自分のお気に入りの語釈」を考えることは楽しい活動だし、言葉の感性を磨くためには有効には違いないんだけど、もっと「辞書」というメディアの「編集」に目を向けさせる、作り手と読み手との「あいだ」に存在する「辞書」の微妙な立ち位置のようなものをもっと考えさせてもよかったのではないだろうか。
そしてこのことについて考えさせることは、いうまでもなく「辞書」だけでなく、全てのメディアの成り立ちを考えさせるときにも有効な「汎用的な資質能力」の一つとなっていくのではないか。

2015/10/01

頻出度順の、慣用句、ことわざ、名言などの本が欲しい

現在、「論語」について本で調べ、それをアンソロジーとして編宇する学習に取り組んでいる。この学習の成否を大きく左右するのが、学習者がどんな資料に触れていくかという資料の選択にある。
「子どもに自由にアクセスさせ、その中から選ばせれば良い」ということもあるけど、それは理想論、というか、限られた時間で、効率的に、価値ある言葉と出会わせることが授業のねらいであるとするならば、それに見合った資料の選択がとても重要な要素となってくる。
私は次のような要素を加味して資料をそろえている。
①解説が平易でどの生徒にとっても抵抗感なく理解できる、分かりやすい資料。(3学年くらいレベルを下げ、学習者が簡単すぎると感じるくらいのものでちょうど良い)
②収録されているテキストが厳選されているもの。
③そのほか、装丁や見た目などの要素も考慮。文字がぎっしりと2段組とか、紙が焼けて茶色いような紙面のものでは読む気をなくしてしまう。
この①〜③のうち、意外に盲点なのが②だ。
ことわざや慣用句、名言などが必要以上に多すぎるものも困ってしまう。
たとえば、「ことわざ1万語収録の辞典」なんて、ことざわが何でも載っていて頼りがいがありそうだけれども、ほとんどの人が知らないようなことわざを覚えても、実生活でそんなマニアックなことわざを使っても相手にきょとんとされるのがオチだ。
必要最低限の、教養として知っておくと良い程度のボリュームの資料がちょうど良いのだ。そう考えると、概して、大人向けのことわざ、慣用句辞典のようなものは量が多すぎて使いにくい。マニアックすぎることわざに埋もれてしまうリスクがある。
頻出度順のことわざ、慣用句辞典のようなものがあれば、教材として願ったりかなったりなんだけど、探せばそういう本はあるのだろうか。

2015/06/05

こんな時代だから「こそ」文法って大事だよという話

今日は定期テスト前の最後の授業。
テスト範囲となっている付属語(助詞、助動詞)の問題をたんたんと解いていくという、なかなかつらい授業になってしまった。
助詞、助動詞って扱い方によってはとっても面白いんだけど、どうして文法の問題集ってくだらなすぎるんだろう。
問 次の空欄に入る助動詞を書きなさい。
昨日、カナリアが卵を産み(まし)(た)。
って、こんな問題、一体何の役に立つんだ?
何のための問題??
「文法」というかことばの機能に関する学習って、本当はもっともっとやっていかなければいけないんだろう。
昔は「文学的文章の詳細な読解」で、どこの教室でも文学的な表現を助詞の一語一語までこだわって考えさせてきたけど、最近は読者論とか「単元を貫く……」の隆盛であまりお目にかからなくなった。
そういう時代だからこそ、なおさらレトリックとかメディアリテラシーなどの観点で、助詞、助動詞などの精妙なニュアンスを掴んでいく「文法学習」の有効性があると思うんだけど……。

エピソード1
たとえば、国語教師の私でさえ、原稿を書いたら校閲の方から「てにおは」について間違いを指摘していただくことが多々ある。
「言葉はセンスだ」とうそぶかずに、助詞などの言い回しについてかっちりと学べていたら良かったのになあと痛感している。

エピソード2
また、あまり空気の読めない私は、ちょっとした助詞・助動詞の選択ミスで、相手にあらぬメッセージを伝え、失礼なことをしてしまうことも多々ある。
実は助詞、助動詞って、自然と自分の立ち位置を示したり、相手とコミュニケーションするための根幹を支えるものなのだ。
そういう言葉のおもしろさとおそろしさを、文法の学習でも(文法の学習でこそ)感じられるようになってくれるといいのだろう。※「も」「こそ」は副助詞!

2015/05/16

小学校の漢字指導は「活字」を目指し、「活字」は手書きを目指す、 あるいは教育界における「ポップ体」の蔓延について

点画や、はね、はらいの細部までにこだわるマニアックすぎる漢字指導は、つまりは機械的な「活字」を目指そうという志向に貫かれている。
あそこまでいくとそれは「文字指導」ではなく「図形指導」「デザイン指導」に近い。「教科書体」にできるだけ近づくように、それを逸脱する文字は極力排除される。(テストでバツにされる)
しかし、面白いのは、ICTが発達し、字体(フォント)も重要なデザインの一つであるという認識が共有された結果、手書きに近いフォントも様々に生まれ、親しまれてきているという事実だ。(「手書きフォント」っていうのもあるし。
つまり、ICTの発展により、フォントは、機械的な字体から手書きのバリエーションの豊かさへと志向しつつある。
例えば、教育界で不動の人気を誇る「ポップ体」。あの字に酷似した字を漢字テストで書いたら、おそらくバツが続出するだろう。しかし、教師は素知らぬ顔で「ポップ体」を使い続けている。その矛盾をどう感じているのだろうか。それを私は知りたい。

2015/02/19

例文を作る学習は難しい

説明文の読解と並行して、難解な語句の例文づくりに取り組ませている。
今回のお題は「示唆」。
例文を作るためには、辞書で意味を調べて理解した上で、その意味に当てはまる文脈を考えて文章化しなければいけない。
しかし、これがなかなか難しい。意味を理解することと、その言葉を使うこととの間には、かなりのハードルがあるらしいのだ。
意味は押さえているのだろう、だけど、なんかしっくりこない。不思議な文章ができあがってくる。
たとえば、こういう例文を作ってくる。
・彼は僕に期末テストが近いよと示唆してくれた。
・私は、自分が弟のお菓子を食べてしまったことについて、弟に示唆した。
・高級レストランに行く際、母は私にマナーを示唆してくれた。
・私が小説を読むのが好きなのは、家にマンガがあまりないことを示唆している。
……これ以外にも無数のパターンが登場する。
やはり、語彙は辞書でしらべるだけでなく、例文をたくさん読み、教えてなじませるしかないのだろうか。
例文を作る学習はなかなか難しい。

2015/02/08

わちゃわしゃした関西弁

以前から気になっていたんだけど、関西弁には語彙やイントネーションの他にも、ユニークなオノマトペが多用されているのが大きな特徴だと思う。(もちろん他の地方にもたくさんあるんだろう。が、少なくとも東京の言葉では、これほどオノマトペは使われていない)
わちゃわちゃ、しゅっとした、どぅわーっとなど、関西在住者以外は耳慣れない言葉が多用されている。きっと関西では、日々、新しいオノマトペがどんどん生まれているんだろう。
地域によって、このよう言語感覚が異なっているのはとても興味深い。関西の国語の先生には、このようなオノマトペを生み出す言語感覚を取り上げて授業をしてみたらどうだろう。
下記の本には授業で取り上げてみたいヒントがたくさんありそう。


※絶版みたいですよ。興味のある方は急いでゲット!

2014/12/27

「なります」地方の日本人

成増ではない。
「〜なります」とつい言ってしまうのが日本語、日本人であるということだ。
こちらがお通しとなります。
サービス税は10%になります。
教科書では……となっています。
うちの学校では……となっています。
「なります」、じゃなくて、誰かが「している」んでしょ。と言いたくなるものまで、「……なります」と言ってしまうのが、日本語になります。

2014/05/14

辞書よりもコーパスを活用させたい

説明文の学習と平行して「言葉の小劇場」という課題に取り組んでいる。これは説明文で登場した言葉を使って文章を創作するという学習。これがやらせてみるとなかなか難しい。言葉は辞書で調べたくらいでは使えるようにはならない。
たとえば今日の課題は「自明」であった。
これを、次のような文章を作ってくる。
「……僕が間抜けだということは、現在の状況から見て自明していた。………}(抜粋)
「自明していた」という言い方は普通しない。
しかし自明という言葉を調べてもわからない。自明という言葉をどのように使うかを説明するのは難しい。
そこで登場するのがコーパスだ。
最近は日本語のコーパスも様々なものが登場している。
コーパスは、言葉を入力すれば、前後の文脈とともにどのような文脈でその言葉が使われているかを知ることができる。言葉はある程度のパターンや言い回しで使われることが多いものだ。それの言葉遣いの癖のようなものを知ることができる。
英語学習ではすっかりおなじみとなったコーパスだが、国語教育、とくに語彙指導でどんどん使われてもいいはずだ。

コーパスのサイトはこちら→ http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/search_form

2014/02/07

学習ゲーム 品詞合体カードバトル(仮

まだ書き途中です。

「言葉のいろいろ」(品詞分類)を学ぶカードゲーム。

あそびかた

1、クラスで、品詞ごとに分担してカードを十枚作る。

(今回は自立語のみとした)
動詞・形容詞・形容動詞・名詞・副詞・連体詞・接続詞・感動詞の8つ。
たとえば、動詞担当だったら、動詞を10コ、名刺大のカードに書き出すのだ。

2、クラス内で、「名刺交換」のように、自分のカードと他の人のカードを交換し合う。
そのときに、なるべくいろいろな種類のカードを集めるようにする。

3、4~5人班になり、交換したカードを集めて、それらを用いて、合体して単文を作る。
・付属語をつけることは可。
・用言の活用も可。
・なるべく一文にする。
・話の筋が通っているようになっているとよい。

4、作った単文を次の基準で採点する。
・何種類のカードを使うことができたか。
コンプリートは百点。以下、
・一文で書くことができたか。
・日本語として意味が通っているか。

5、最高点の班を発表する。

6、その単語カードの単語を使って、マメ本で「品詞辞典」を作る。

2014/01/16

「とんでも」例文作成遊び~中学生の中学生による中学生のための古文単語学習~

高校入試を間近に控えた中学三年の授業。
目下の課題は60あまりある古文単語をおさらいしつつ、定着させることだ。
そこで、「とんでも」例文遊びに取り組んだ。

「とんでも」例文遊びの流れは次の通り。
1、あらかじめ、単語とその訳の一覧表を提示する。
2、覚えている言葉をチェックする。
3、覚えていない言葉のなかで古文単語を一つ選び、それを使った例文を考える。
(例文は現代文。普段使っているような言い回しでよい。例文の脇には現代語訳を書き添える)
4、例文カードを作り、全員の分を印刷して読み合う。

例文のポイントは、とにかく多少怪しくても、古文的にどうかな?というところがあっても許容し、古文単語の意味を受け止めて使っていたらよしとするところ。
例文も古文っぽくする必要はなく、むしろ、現代文の文脈で古文単語を使うほうが、かえって古文の意味が際立つのでよい。

こんな感じのカードができた。(写真をクリックすると拡大します)


  • 何気ない心配りがこころにくし
  • 君はどうせ人の話を聞かないのだから私の意見はいふかひなしだね。
  • 昨日の親との喧嘩はえもいはず、いと恐ろしかった~
  • 彼女はねんごろに部活に取り組んでいたため、人々は彼女を応援していた。
  • 受験の前に風邪を引いておぼつかなし
  • いたづらに頑張っても空回りするだけで意味がないと思う。
  • やがて、勉強に集中する。
  • 桜が二月に咲くのはありがたし
  • 引っ越しした部屋はとてもすさまじ
  • なかにはこんな大作を作ってきた生徒もいた。
  • テレビを見ながらの勉強はいたずらなり。この時期にそのような人がいるのはあやしと思う。あなたはいかがだろうか。受かるのはありがたしことで、ののしりたくなるがなほ勉強は大切である。
  • 受験生は遊べ
  • けがをしたら,手当てをしないとなかなか悪化してしまいますよ。
  • 一人でいるのはさうざうしい。
  • 彼は祖父を亡くしたようだ。とてもいとほしく思う。

やってみて案外すらすらできたので上々の手応えだった。
ただ、もうちょっとこうすれば,という課題もある。

  • 複数の古文単語を使った例文にして、もっとハードルをあげても良かった。
  • たとえば、問題形式にして、読み手が訳を考えて答えるなどのスタイルにすれば、例文つくりを書いたり読み合ったりする目的意識を持たせられただろう。
  • 一人一台タブレットを使えるような環境ならば、例文をアップロードし、同じ古文単語を使った例文を共有し合うなんてこともできるだろう。
  • 古文単語を使った日記など、文章の形式を指定してあげるのも。
  • 中三で慌ててやるのでなく、中一段階ではやめに古文単語を定着させる方法もありそう。(百人一首などをテキストに。)
  • 帯単元的な扱いで少しずつとりあげるのも。
  • 古語辞典をもっと活用させても良かった。(そういえば、最近では現代語から引ける古語辞典もあった!)
  • 古文単語に触れることをとおして、日本語の語彙を豊かにする指導として、他の語彙指導全体のバランスの中で関連してとりくませていけばさらに効果があるかも。
など。

なお、この授業のアイディアは、古文単語の定着指導に悩む私に対する、荷方先生、首藤先生の次のアドバイスから生まれたものです。
感謝すると共に、下記に記録しておきます。

荷方先生 現代表現に直した「文例集」とか予備校講師時代はよく使いました。「満員電車に乗りて,うたてしこととひとりごつ」→満員電車に乗ったんで,はあうぜー(気に入らない,嘆かわしい)って独り言を言っちゃったよ。 さすがに中学生にここまではやりませんが,最近の高校生の単語集(ex.萌単)なんかは,若い人に馴染んだ言い回しで文例を作ることが多いですね。
『萌える英単語もえたん』 最近はこんな英単語集まで!

首藤先生荷方さんが、ご提示くださっている方法をヒントに、「とんでも」例文作成遊び、というようなノリのほうが、私は好きです。あるいは、weblioなどを活用して、中学生のそれぞれの個々人の趣味や興味に合わせて、weblioの例文から、ターゲット以外の単語を他のいろいろな単語に入れ替えた例文を大量に作る遊び、なんてのも面白そうです。やってみると、これが、案外、ターゲットにした単語の定着率もよくなるはずです。

荷方先生お試しいただいたようで。もちろんこの用例集,先生が作るのがベストではなく,生徒が自分で作る方がベストです。その時の訳は上に示したように,「意味さえ合っていればどんなとんでもないものでも良し」です。 一応知識獲得と学習指導の研究者なので(笑),知識の生成活動はよく知られた通り学習に寄与します。特に,自己のために自己の知識を再構成する活動は,このような例文づくりや図表作成などあらゆる場面で利用できます。 自分のために知識を使いやすい状態にする「知識の利用可能性」を高めるカスタマイズ(知識の再構成・生成)を楽しく促進するため,首藤先生が指摘する「トンデモ」作成はとっても素敵な方法だと思います。

なるほどなるほど!
大学の先生のお墨付きのこの学習方法、これからも、このネタで子どもたちと遊んでみたいと思う。















2014/01/01

今年のテーマは、語彙を豊かにする学習!

私の今年のテーマは「語彙を豊かにする学習」
海外で、語彙力が無くて英語が全然しゃべられなかった悲しい経験と、映画「舟を編む」を見て、あらためて、豊かな言葉を持っていることによる力を痛感した次第です。

年末、海外(モロッコ)に旅行に行ってきました。
私と妻の個人旅行で、同行したのはモロッコ人ドライバーのみ。現地ガイドが観光地ごとについてくるというスタイル。しかも、彼らは英語しかしゃべれません。説明はすべて英語です。(モロッコはアラビヤ語とフランス語が公用語なので、英語は必ずしも上手ではないらしいが……)

で、自分も高校までは英語を勉強してきたのでしゃべれるかなあと思っていたんですが、しゃべろうと思っても言葉が出てこない! 正確に言うと、単語が出てこない! これでは、いくら英文法とか構文を知っていても意味は無いのです。反対に、文法的にはかなり怪しくても、単語さえ知っていればコミュニケーションをとることはできるわけです。
作文力は語彙力!とあらためて痛感させられたのでした。
伝えたい思いがあっても、言葉にならないあのもやもやした時間は、きっと、教室で子どもたちが作文を書くときに途方に暮れているあの顔と同じです。かれらも、きっと伝えたい思いにぴったりした語彙を知らなかっただけかもしれません。
言葉を知っていること、言葉をいつも持っていること、それが、表現力のすべての根幹であることにあらためて痛感させられました。
作文を指導する時、いままで私は「どんな語彙に出会わせようか」とか「どういう語彙を使えるようになったらいいんだろうか」という視点で指導をしてはいませんでした。
「書き方」などのテクニックを教えて、書けるようにさせている「気」になっていただけだったのです。
作文が書けるようになる前提には、豊かな語彙力が必要とされる。しかもそれは教師が意図的に学習する場を設定する必要があること、これは、いままでの私の授業ではあまり重視されていない盲点です。
この「語彙力」はたんに単語の意味を知っているというだけではなく、単語の使い方(単語が文脈とセットで、一文の中で当てはめる力)や、特定の言い回しを知っていて、それをタイミング良く思い出して使える力とも言えると思います。英語教育やコーパスなどのツールも活用できるかもしれません。
「語彙を豊かにする学習」にフォーカスを当てた取り組みを意識していきたいです。


ちなみに「舟を編む」は、ご存知の人も多いと思いますが、辞書づくりに関わる人たちの物語です。
『大渡海』という辞書を、十何年もかけて編集をしていきます。
この作品にはこんな名言がちりばめられています。

(『大渡海』の名前の由来)
「海を渡るにふさわしい舟を編む」
「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」

「死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。」

「言葉という落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も、心も。言葉によって象られ、昏い海から浮かびあがってくる。」


さあ、「舟を編む」にならって、今日から用例採集!

本年もよろしくお願いします。

2013/09/04

文法はひとつの体系に過ぎない。だから、体系とともに、実際の言語運用の姿もイメージさせるべきだ。

文法の授業では、はじめに学習用語を何度も復唱し、暗記させるようにしている。
主語述語修飾語接続語独立語。連体修飾語連用修飾語、体言と用言、などなど。
まず、前提として、学習用語に慣れていることが重要だ。
学習用語が入っていないと説明をしても理解できない。
まずは用語として頭に叩き込んで、しかるのちに体系を理解させるのだ。
一個一個、小出しに丁寧に教えるよりも、体系を提示してから各論に進んだ方が文法は理解しやすいと思う。

教科書に出ている文法は「法則、体系」である。
実際の日本語の振る舞いがイメージしやすくできているものとは限らない。
だから、「法則、体系」を教えるとともに、文法で習っていることが、実際の言語運用ではどのようになっているかを教師が伝えてあげることが重要だと思う。
たとえば、文の成分(主語・述語・修飾語・接続語・独立語)は、五つの用語として分類され、説明されている。
教科書でこの五つが取り上げられていると、どうしても、この五つが同じくらいの比率で出現するような錯覚を与えてしまう。しかし、実際は決してそんなことはない。
そこで、次のように、実際の言語運用の姿もあわせて伝えるのだ。
主語・述語・修飾語の三つの文の成分で、ほとんどの文節がカバーできてしまうこと。
日本語の会話文では、主語がない文さえ多いということ。
日本語の文章では、述語がほぼ99.9%文末にくること。
五つの文の成分で、修飾語が最も多く使われていること。
このような、実際の言語運用の様子を、法則と合わせてしっかりと伝えることが重要である。
これは子どもたちにとっても、文法を実際の言語運用に当てはめていくときの手引きにもなる。

2012/12/15

間違えやすい漢字を間違えないためには頭で覚えることが必要だ

漢字の間違いが気になって仕方がない。

誤字で一番多いのは
友達の「達」を「幸」にしてしまうもの。「土」プラス「羊」だとしつこく教える。

それと専門の「専」に点を付けてしまうもの。ちなみに「恵」にも点はつかない。
「専」「恵」は、旧字体に由来している。
簿・薄・博・敷にはすべて点がつく。

そのほかにも
険・剣・検の「ケン」と読む部分を「歴史」の「史」のように書いてしまう。

点の方向で間違いやすい字。
右下がり…冬・寒(寒はよく間違う)
左下がり…(さんづくりといいます)参 惨 彦 
     (杉 彩 影 形)←こっちはあまり間違えない。

「分」の上の部分。「ハ」のように書くのを「金」とか「傘」のようにくっつけて書く間違い。

賞状の「賞」という字を「学」のように「ツ」と書いてしまう。
賞の上の部分は「尚」だから、尚 裳 掌などもすべて同じように書かなければいけない。

「難」と「勤」の左側もよく混同する。

こういう細かい間違いが気になって仕方がない。

なぜなら、自分が小学生のときから漢字が大の苦手だったから。

苦手だったので、就職するときに漢字検定(2級)を受けたり、旧字体や字源にさかのぼって考え、納得して覚えようとした。
今でも、間違いのパターンを自分なりに分析し、これとこれはセットで覚えた方がいい、というように、発見し次第、整理をするようにしている。

これらの漢字は、知らなかったから間違えたというよりは、知っている漢字が邪魔をして、間違えて覚えてしまったパターンだ。だから機械的に覚えようとすればするほど、間違いが固定化してしまう危険性がある。


間違えやすい漢字を間違えないようにするためには、頭で理解をして覚えるようにすればよい。

そのための「頭で覚えることができるような」実践開発こそ、国語教育実践家が進めなければいけないものだろう。