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2015/09/22

もう当分、この手の研究はやめたほうがいいです。

今から15〜20年くらい?前、ある日本でも有数の規模である国語教育の研究会でEメールの授業の実践提案があった。(Windows95だったかな)
で、その実践は、新卒ペーペーのわたしから見ても「なんじゃこりゃ」「こんなのでも提案になるの?」というような惨憺たるものだった。コンピュータ室に生徒を集めて、ひたすらメールを打つというものだったからだ。
事後の協議会では「これが国語教育か?」「なんでわざわざPCを?」「手書きのほうがずっと効率的だ」という集中砲火を浴びたことはいうまでもない。
で、締めの言葉で、指導助言者の偉いセンセイが「もう当分この手の(ICTの)研究はやめたほうがいい」とまで言い放たれたというオチが付く。以後、その研究団体ではICT活用系の国語教育の実践はほとんど出てきていない。
歴史に「もし」が可能なら、もしそのとき、国語教育の御大が「まだこの手の研究は未成熟だから、もう少しこの研究を進めていこう」と号令したなら、随分見通しが変わっただろうなあという思いを強くする。
国語教育の実践家たちにとって、Eメールとは手紙指導の一環であり、ワープロとは原稿用紙の代わりであるという認識から捨てきれなかったのだろう。Eメールで「しか」できないこと、ワープロだから「こそ」できる「何か」に着目して研究を進めていたら、日本の国語教育はもう少し風通しが良くなったのだろうと夢想している。どうせならそういう研究を私はしていきたい。

2015/08/04

寸鉄は人を刺すか?

何かを批判したい、物申したい、意義申し立てをしたいとする。
そのときに、どの程度の「文の長さ」なら効果的に伝わるのか。
ここで問題にしたいのは「内容」ではなく、あくまで「文量」だ。
話し言葉なら、大声で叫ぶ、目を怒らせるなどの身体的な表徴でそれを伝えることはできる。しかし文字言葉ではそれはできない。デジタルの場合、字の大きさも均一だ。
長く書けば書くほど思いが伝わると思いきや、どうもそうではないと感じているのが私の予感。
相手に読む気をなくさせるような文量では意味がない。
かといって、短いスローガンや練りに練ったキャッチコピーでは、受け手が噛み砕く必要があるものはスルーされる可能性もある。
寸鉄は必ずしも人を刺さない。
反対に、内容なんてほとんどないような(シャれじゃないよ)いちゃもんも、たくさんの文量がならんでいると「こりゃ、相当な批判だなあ」とか「批判が盛り上がっている」と印象付けさせることがある。
読み手にじっくり考えさせるより、読み飛ばされても、雰囲気を感じさせたい場合、長々と言葉を羅列する「言葉のデモ行進」という手法もあるかもしれない。
要は、内容よりも量なんじゃない?
量って重要だよね、書いたもん勝ちだよね、という時代になっているような予感がするのだ。
紙時代の書き言葉は「原稿用紙何枚」ってあらかじめ文量が決められてから書くものだった。しかしデジタル時代に突入し、文量はほとんど無限大にまで膨れ上がった。だれでも、どんな内容でも、書きたいだけかけるようになった。
だからこそ、読みとばされるわけだし、書きなぐらせてしまう時代になった。
そんな時代の「寸鉄」とは、一体何文字くらいが適切なのだろうか。

2015/05/24

たまりにたまった教育雑誌は自炊してデータベース化を

月刊国語教育研究をPDF化してデータベースに
 
 
自炊の第二段階。
友人のアドバイスにより、たまりにたまった月刊国語教育研究をPDF化していくことにした。
AdobeReaderの「高度な検索」を使えば、複数のPDFファイルから任意のキーワードを一気に検索して取り出すことができる。これは便利!
これで雑誌のベータベース化に成功!
なお、Googleドライブにぶち込んでおけば職場からでも検索可能!


表紙は記事を探すのに便利だから取っておいて、あとは処分。
表紙は検索用に保存


もったいないような気がするけど、読んで活用しない方がもっともったいないと言い聞かせて、断腸の思いで今日も自炊を実行させていただいた。
さて、ここからどんな化学反応が生まれるか楽しみだ。

2015/05/23

わが自炊作法

最近はどうも視力が落ちてきて、文庫本などの細かい字の本を長い時間読むことがついにできなくなった。
しかし年々読みたい本、読むべき本は増えつつある。
そこで苦肉の策で自炊を断行することにした。
まだ自炊ビギナーだけれども、現時点での試行錯誤の様子を報告したい。

1 何が必要か
・パソコン
読み込む際に使う。

・タブレット
パソコンでも読めるが、電子書籍はタブレットと相性がいい。
ちなみに私はiPadairで閲覧している。
本を読むときのソフトはi文庫がお気に入り。
他の端末でももちろんありだろう。(電子書籍専用の端末もあるそうだけど、まだそちらには手を出していない。ちなみにKindleの端末は、PDFの拡大ができないので私にとってはNG)

・スキャナー
私が愛用しているのはScansnap s1300i」という機種。
もっと高いものもあるらしい。
これは今後どんどんいいのが出てくるでしょう。

・ディスクカッター
本を裁断するために使う。
オルファ ロータリーカッターLL型 136B というのを使っている。
これも学校にあるようなごっつい裁断機でもいいんだけれども家庭用だったらこれで十分満足している。

・カッティングボード
本がおけるくらいの大きさであれば何でもよい。

・定規
カットするときに使う。

2、自炊の手順
①本をカッターで切るために、細分化する。
いっぺんには切りにくいので、ページをひっぱりながらめくり、カッターで100ページくらずつにばらしていく。

本を分解



このように3つに分けた
②ページを裁断する

いうまでもなく、この段階が最も神経を使う。
失敗したら取り返しのつかないことになる。
初めのうちはうまく切れなかったり、切る位置を失敗したりした。
すこしずつ裁断していけばそれほど難しくはないが、まずはいらなくなった本などで裁断を試してみることをおすすめする。

いよいろ裁断。緊張の瞬間!

表紙も切り取る
③スキャンスナップで読み込み
これも何回かに分けて読み込んでいく。
結構重要なのが、スキャンの読み込み設定だ。
読み込む前にある程度方針を決めておかないと、後でスキャンし直す羽目になるので慎重に検討しよう。
おもに検討するべきことは、読み込む画質とカラーモード。
画質が低いと見づらいし、高いとデータ量が増える。
カラーモードは読みやすさに影響する。
ちなみに私は次のような設定で保存している。

画質:スーパーファイン
カラーモード:白黒
読み取り面:両面読み取り
ファイル形式:PDF
原稿サイズ:サイズ自動検出
その他:白紙削除、向き補正

カラーモードを白黒にしたのは、ページによって茶色だったり白だったりと変わって認識される可能性があり、読みにくくなってしまうからだ。表紙が白黒になってしまうのは残念だが、いちいち分けてスキャンするのも面倒なので我慢している。
カラーページが多い本は当然カラーモードで読み込むようにすべきだろう。

どんどん読み込まれていく。かなりハイスピード!

④パソコンに読み込み
スキャンし終わると、自動的にパソコン内にPDFデータが保存される。
このときにテキスト認識できるようにしてくれるので、後で検索したりコピーするときにとても便利になる。(スキャンスナップのソフトで自動で処理される)

⑤PDFデータをクラウドにあげる
デジタル化したデータは、ドロップボックスとかグーグルドライブとかにアップロードする。
(これもスキャンスナップのソフトでできる)
このようにドロップボックスに送り込める

⑥i文庫からクラウドにアクセスしてiPad内で読めるようにする。
i文庫ではドロップボックスやグーグルドライブなどのクラウドにアクセスできるので、そこからファイルを読み込み、ダウンロードすることでiPadで読むことができるようになる。
iPadに読み込まれていく。表紙が白黒なのが残念。

i文庫で読むとこんな感じ。かなり鮮明でしょ。ページ送りもスムーズ。
やっぱり紙の本がいい!という人には決してお勧めできないけれど、自炊による電子書籍の読書は、私に次のようなメリットをもたらしてくれた。
・細かい字の本も読めるようになった
・通勤電車などで、重い本を開く苦労から解放された
・本棚がすっきしした(これは今後見込まれるメリット)
・いつでも、どこでもタブレットさえあれば、さまざまな本を持ち歩き、それを読む楽しみを与えてくれた。
などなど。
興味がある人はぜひお試しあれ。
(もっといい方法を知ってるよという人は教えてください)


2015/05/17

電子教科書を単元単位でばら売りして欲しい

音楽業界では、ストリーミング配信による売り上げがついにCDを上回ったという。(2014年)
一枚のCDを買うよりも、一曲単位でばら売りされたものを買って楽しむのが一般的になったことを表している。
おそらく書籍も、電子書籍化しKindleなどで配信されるのが一般的になればコンテンツ単位の「ばら売り」が一般的になるだろう。(新聞は既にそれに近づいている。多くの人が、一部の新聞紙ではなく、ヤフートピックスなどからコンテンツ単位で記事を読んでいる)
それらは技術的には全く不可能なことではない。
電子教科書も近いか遠い将来、電子配信になるだろう。そうなったときに、一冊の「教科書」ではなく、教材単位のばら売りができるようになれば、より生徒の実態に応じてカスタマイズできるようになるのではないか。
Aの学習については〇〇書籍の教材を、Bの学習については〇〇図書のを、というように、単元単位、指導事項単位で、教科書教材をばら売りできるような整備が進むと教える側としてはメリットが大きい。
(少なくとも教科書検定に通っていれば、どの教科書会社の教科書を教材として用いるかは全く問題ないのでは)
そのネックは著作権? 教科書検定制度? そしてそれに伴うコスト?
ぜひ業界の方々にはがんばっていただきたい。

デジタル教科書私論 「教科書」のデジタル化か、デジタルによる「教材」の教科書化か

「デジタル教科書」は、二つの方向性がある。
ひとつは、従来の教科書をデジタル化するというもの。
いわゆるデジタル描図。

もう一つは、「デジタル教科書」を一つの情報プラットホームと捉え、それによって、社会のあらゆるテキストを「教科書化」「教材ー学習材化」するという方向性だ。
具体的には、Webなどのデジタルテキストのキュレーションへ、教材化へと向かうだろう。
さながら新聞などのメディアがYahooトピックスに吸収されるのと同じ変化が「教科書」にも起きるだろう。
二つめの方向性のボトルネックは、著作権と教科書検定制度。そしてそれに伴うコストだ。
それさえ「デジタル教科書」によってクリアできれば、日本の教育は大いに進展するはずだ。

電子教科書はスマート教科書と呼ぶべし。

ちょっとかっこわるいけど、いっそのこと「スマート教科書」って言ってしまったらどうだろうか。
どうも、「電子教科書」は紙の教科書の上位互換だと勘違いしている人が多いような気がする。だから、紙の教科書をいかに効果的に見せるか、読ませるかという発想にしか至らない。
しかし、一人一台タブレット端末時代に入れば、電子教科書の活用は、必定、タブレット端末のもろもろの機能をいっしょに使いこなしながら、その環境下で「電子教科書」も学習材として活用していく形になる。
だから「電子教科書の利用=紙の教科書の上位互換」では問題の本質を見誤る結果になる。
携帯電話とスマートフォントとで何がどう変わったか。
例えば、私が現在使っているスマホだと、次の機能がある。
(分類はかなり適当)
・スマートフォンの機能
1、コミュニケーションツールとして
・電話
・メール、メッセージ
・SNSで交流する
・ブログを発信する
2、情報収集ツールとして
・webブラウザ
・ニュースサイト
・天気予報
・時計(タイムウォッチ、タイマーなど)
・地図(Googleマップ、Yahoo!カーナビなど)
・ネットラジオ
・youtube
・国語辞書、植物事典
・翻訳サイト
3、記憶するツールとして
・写真を撮る
・動画を撮る
・メモを書く
・音声を撮る
・ドロップボックスなどのクラウドストレージ
4、発信、記号操作するツール
・キーノートのようなプレゼンソフト
・Pages、Wordのようなワープロ
・Excelなどの表計算
・計算機
・写真・動画編集
こう考えると、一人一台タブレット端末で電子教科書を活用すると言うことは、おまけで上記のような機能も日常的に使う環境ができたことを示している。
そう考えたときに、「電子教科書オンリー」で何ができるか、何をしようかと考えるだけではなく、「電子教科書+タブレット端末による環境」下でどのような学習ができるかということこそ考えなければいけない。そういう議論がどこまでできるのか,どこまでされているのだろうか。
板書を写真に撮っちゃダメとか、ノートは手書きじゃなきゃダメとか言っているようじゃ、いつまでたってもICT活用はおろか、スマート教科書(デジタル教科書)の活用もおぼつかないだろう、
2015/05/17現在のスマホ画面

2015/05/16

小学校の漢字指導は「活字」を目指し、「活字」は手書きを目指す、 あるいは教育界における「ポップ体」の蔓延について

点画や、はね、はらいの細部までにこだわるマニアックすぎる漢字指導は、つまりは機械的な「活字」を目指そうという志向に貫かれている。
あそこまでいくとそれは「文字指導」ではなく「図形指導」「デザイン指導」に近い。「教科書体」にできるだけ近づくように、それを逸脱する文字は極力排除される。(テストでバツにされる)
しかし、面白いのは、ICTが発達し、字体(フォント)も重要なデザインの一つであるという認識が共有された結果、手書きに近いフォントも様々に生まれ、親しまれてきているという事実だ。(「手書きフォント」っていうのもあるし。
つまり、ICTの発展により、フォントは、機械的な字体から手書きのバリエーションの豊かさへと志向しつつある。
例えば、教育界で不動の人気を誇る「ポップ体」。あの字に酷似した字を漢字テストで書いたら、おそらくバツが続出するだろう。しかし、教師は素知らぬ顔で「ポップ体」を使い続けている。その矛盾をどう感じているのだろうか。それを私は知りたい。

学力の汎用性と、学習の汎用性と〜「デジタル教科書」の目指すべき道は?〜

学力も、学習(学び方)もともに汎用性があるのが最上であるという信念を私は持っている。汎用性とは「社会に出てから様々な場面で使える」という意味でもある。
ある教科や領域にしか使えない学力では、社会に出てからは使い物にならない。
ある能力に特化した学習方法では、社会に出てから自分で学んでいく際に活用できない。
この二つ。「学力」については学力の領域固有性のデメリットとしてさんざん論じられ、ようやくそれを乗り越えようとする実践が生まれつつある。
しかし「学習」の汎用性についてはあまり論じられないのは昔から不思議でしょうがなかった。その教科、教材、指導目標に通用する、どんなに効果的な指導方法であっても、その教科、教材、指導目標に「だけ」通用するのであれば、それはあまり意味をもたないのではないか。
例えば、教科書の説明文を読むときに、教師が凝りにこったワークシートを作成するとする。(凝りにこった「発問」でもそれは同じ)
たしかにその凝りにこったワークシートを使うと、その文章を読むことはできるようになるかもしれない。
だけど、そのワークシートが、そしてそれで得られた「読む力」が、他の文章を読む際には全く使えないのだとしたら、その「学習」は意味があるのだろうか。
それよりも、どんな文章を読む際にも使うことのできる「学習法」をこそ、教えるべきなのではないか。「この教材の学習で使った読み方は、他の文章でも使えるね。こんどは自分で本を読んだときにも使ってみたら?」と。
「学校」を卒業し、教師がそばにいなくなっても、自力で読める能力を付けることを主眼とすれば、そうすることは自明のことだろう。
「教科書」もそれと同様の宿命を持つ。
「教科書」がその「教科」にだけ通用する学習材を目指すのだとするならば、その効果は限定的なものに止まらざるを得ない。
実際、多くの生徒が、「学校」を卒業すると,教科書を捨ててしまう。それが「社会では通用しない」ということの一番の証左だろう。
「教科書」をその教科に止まらず、他の教科・領域の学習でも活用することができる、社会でも活用することができる。それを目指すとするならば、はたして「教科書」はどこまで必要なのか。「デジタル教科書」が凝りに凝った教材のバケモノとなったら、ますます社会から取り残されないか?
webで簡単に知識や情報が得られる現在、「デジタル教科書」は何を目指すのか。その答えを知りたい。

2015/04/11

ICTは学習を不自由にする??

経験的な教授・学習観は、教師の教え込みを排す。そして学習者の自由度を上げることで主体的な学習を促して、知をボトムアッブ的に構成させ、獲得されるという立場に立つ。
しかし、その時に与える環境やツールが作り込まれすぎ、ブラックボックスと化した便利すぎるモノ(ICT)だったら、かえって選択の幅が狭まり、ICTに使われている状態にならないか?
たとえば、「レゴブロック」は創造力を育てるとなんとなくは理解できるけど、精巧な「プラモデル」は創造力をより育てるとは思いづらい。
このように、作り込まれすぎ、精巧過ぎるICTの発展によって、かえって活動が不自由になることにはならないか?
そこには、ボトムアッブ的に獲得されるはずの知が、トップダウンに与えらているという矛盾が存在するのではないか?

私が「ICT活用教育」の楽観的過ぎる万能感には賛同できないのも、凝り過ぎたゲーミフィケーションによる教育にいまいちついていけないのも、そのへんのモヤモヤがあるかららしい、

2015/03/31

私家版「現職教員大学院生による現職大学院生のための学生生活の送り方&修士論文の書き方」

はじめに
 「現職教員大学院生による現職大学院生のための修士論文の書き方」は、実は東京G大大学院に進まれたI先生による先行文献があり、門外不出のデータとして一部関係者間には出回っている。
その最後に「修了したあなたも論文の書き方を書いてね」と記されているので、私なりの、「現職教員大学院生による修士論文の書き方」を書き残しておこうと思う。I先生と内容的に重複しているのはご容赦願う。

1、現職大学院生は忙しい!
私は昼間は勤務校で授業をし、夜間は大学院に通うという二重生活を行っていた。
そのため、いかに効率的に大学院での研究を進めるかという難題に向き合うこととなった。
そういう苦し紛れな観点であみだされた工夫であると言うことを、まずは念頭に置いて読んで欲しい。また、国語教育の分野で研究を進めたのでややマニアックな記述が鼻につくかもしれないけど、現職教員大学院生や、国語教育系の学生でなくても参考になる部分があれば幸いだ。

2、どんな道具をあるとよいか
デジタル端末
 iPhoneなどのスマホ
 iPadなどのタブレット端末
 MacBookairなどのノートパソコン
なぜかすべてApple製品なのがいやらしいが、 べつに機種は何でもよい。
ポイントはいつでもどこでも持ち運べるということ。これがのちのち威力を発揮する。

スキャンスナップ……授業や研究会などの資料はスキャン&Evernoteに保存しておけばかさばらない。

書見台……本を見ながら引用文を書いたりするときにかなり便利だ。


ポストイットやノートなどの筆記具はいうまでもないだろう。
容量が大きめのUSBメモリ
(キーホルダーに付け、常に持ち歩いていた。データはDropboxとUSBメモリの二つを保存していた)
そのほか、ビデオカメラやボイスレコーダーもあるとよい。(iPad、iPhoneでも代用はできる)

3、どんなソフトを用意するか
次のソフトは必須である。
Dropbox(クラウド保存のバックアップ用として)
Evernote(同じく保存&メモアプリとして)
マナーカメラ(音の出ないカメラ。授業記録用などとして)
使い方についてはあとで。

4、どうやって授業を受けるか
大学の講義は基本的にノートパソコンを持ち込み、Evernoteを開いてその場でメモをしていく。
話の内容だけでなく、考えたこと,疑問点なども同時進行で書き出していく。
難しい言葉が登場したら、その場でGoogleで調べる。
参考文献が出てきたらAmazonでチェックし、必要があれば購入する。
PPTの複雑な図表が登場したら、その場でマナーカメラで撮影する。
そのようにして話を聞くだけでなく、 疑問を持ったり、調べながら聞くようにした。

授業が終わったら、FacebookなどのSNSで学んだことを簡潔につぶやく。また、ある程度まとまった内容であればブログにまとめる。できれば授業を受けたその日のうちが記憶が新鮮でよい。
こうしてインプットとアウトプットを循環させることで情報が整理されて、記憶に残りやすくなる。また、SNS経由で、詳しい方から反応をいただけたり、関連する情報を得ることもできた。

5、どうやって勉強したか
書籍代と土日の時間は覚悟しなければならない。家族の協力はもちろん必要だ。
私の場合、土日のうちどちらかは研究に専念する時間と設定し、書斎(という名の空き部屋)にこもってひたすら本を読んだり、原稿に向かったりした。
また、研究分野に関連する勉強会や学会に積極的に参加し、さまざまな先達とつながりを作るようにした。人と会ったときには積極的に自分の研究分野について話した。こういうつながりを作ることも、情報を収集し、研究を育てるためにはとても大切だ。

5、どんな手順で研究を進めるか
(1)研究分野を知る
「教育研究」とはそもそも何をどう進めていけばいいのか、その全体イメージを持つことが必須だ。
「学習指導要領に新しくでてきた内容をやってみたよ」というレベルでは、校内研究では通用しても、大学院で研究すべき内容だとは見なされない。むしろ学習指導要領を批判的に読み解いて、課題を示すくらいの姿勢が必要だ。
教育研究の全体像を手に入れるために、まずスタートは次の本を読んだ。

この本のいいところは、「教育研究」とひと言で言っても、さまざまな分野があるということが概観できることだ。
この本を読んで、私がやりたいことは「カリキュラム開発」であるということが分かった。

(2)修士論文、博士論文を見る
次に、研究のイメージを持つため、実際の修士論文、博士論文を見ていった。
まず自分のやりたい内容をキーワードで列挙してみる。
編集
作文教育
出版学習
アカデミックライティング
メディアリテラシー
読み書き関連学習
情報活用能力
文章生成
カリキュラム開発
など。
このように、列挙したキーワードに関連する分野や類似する研究手法の修論、博論をまずは読み込んでいった。分野によって研究の手法が微妙に異なるので、自分のやりたいことに近い内容の論文を見ておくことがとても重要だ。
大学の研究室にも先輩方の論文はあるが、それらの論文を見て満足するのではなく、やはり優れた論文を数多く見て、こんな論文を書きたいなというイメージを持っておくことが必要になる。

ちなみに学術論文はウェブ上で検索&読むことのできるサイトとして、CINNI(サイニー)やGooglescalarがある。※博士論文は大学のweb上で公開されているものが多い。

また、図書館の書架巡りをすることも有効だ。大学、地域の図書館など。図書館によって得意分野が違うので注意されたい。また、図書館の書架は国語教育に限らず、認知心理学やメディア関係など、他の領域でも参考になるものが多いので、関連する棚をすべてじっくりと眺める時間を一度は取ってみることが必要だ。(およそ3時間~半日くらいは必要だろう)

都内の大型書店もたまにまわると、どんなことが話題になっているかがよく分かる。
池袋ジュンク堂、新宿紀伊國屋書店、神保町三省堂など。

もちろん、Amazonなどのネット書店の検索も使いまくる。

結果、修士論文、博士論文は次の文献が参考になった。

◎国語関係の修士・博士論文として入手したもの
池田修『中等教育におけるディベートの研究 -入門期の安定した指導法の開発』
摺田誉美『「説得するために書く」作文指導のありかた』渓水社
貝田桃子『作文教材の開発に関する研究』渓水社
井口あずさ『中学生の意見文作成過程におけるメタ認知方略指導に関する研究』渓水社

・以下二つは博士論文、早稲田大のネット上にある。。
町田守弘『サブカルチャー教材による国語科授業開発論――学習者の興味・関心喚起の方略を探る――』
田中宏幸『中等作文教育におけるインベンション指導の研究 : 発想・着想・構想指導の理論と実践』

(3)仮の研究題目と研究目的、目次案を考える
第一の難関が、研究題目、研究の目的、そして目次だ。
この三つがきっちりと組み合わされば、おそらく論文の50%くらいは終了したと言ってもいい。
だから、この3つに関しては、何よりも先に手を付け、そして最後の最後に至るまで、何度も何度も練り直していくことになる。 
題目と目的、目次は、(2)のお手本を参考に、自分の研究内容に代入してみる。
そのまま言葉だけを換えて当てはめてみるといい。しっくりといかない部分があれば微調整をしていく。もちろん、研究が進むに従って目次も進化していく。

論文の書き方については次の文献が参考になった。
◎論文の書き方などで参考になった本

『留学生と日本人学生のためのレポート・論文表現ハンドブック』東京大学出版会
 この本は最も分かりやすい論文の書き方指南本。
 なにを研究すればいいかということだけでなく、どのような言い回しをしていけばよいかという文体まで具体的に例示している。何をおいても買うべし!


『これから研究を書く人のためのガイドブック』ひつじ書房
研究の進め方や具体的な論証の仕方なども含めて説明してある。学術論文とは何をどう研究すればよいか、初学者にもわかりやすく書かれている。


戸田山和久『論文の教室』NHKブックス
語り口が読みやすくおもしろいだけでなく、「科学」の本質も突いている。
様々なところで絶賛されているのであえて紹介する必要も無い名著だろう。 あれっ?新版?

◎その他、質的な研究手法として参考になったものとして次のものがある。
西條 剛央『ライブ講義・質的研究とは何か』新曜社
関口晴広『教育研究のための質的研究法講座』北大路書店
佐藤郁哉『質的データ分析法』新曜社
……こういうデータの整理の方法については、全くといっていいほど勉強してこなかったので、最初の段階でかっちりと勉強しておけば、もっと精密な研究ができたかもしれない。(結局、これらの質的な研究手法についての文献は、後追い的に読むことになってしまった)

論文の具体的な書き方や研究法については、上記文献を読んでおくとよい。

(4)先行研究を探る
研究のスタートは先行研究だ。まずは何が分かっていて,どんな課題があるかを知らなければいけない。その分野における研究成果の全体像と、かすかな「穴」を見つけるのがここでの課題だ。
「敵」をみつけるのではなく「穴」を見つけるのがポイント。明らかに正反対な立場・主張や、劣った実践をあげつらって批判をするのは、あさましい研究姿勢だ。
自分と一番近い立場や、一番優れた研究成果を取り上げつつ、「ちょっと足りない」「ここが惜しい!」という部分を付け足すような研究の方が建設的な提案となる。

先行研究をさぐるために、以下の文献が参考になる。

①国語教育関係の辞典をひもとく
日本国語教育学会をはじめ、さまざまな研究団体からでている。
作文教育や音声言語などの分野ごとの辞典もある。
辞書のいいところは、その分野の当代一流の専門家がバランスよく選ばれて執筆しているということだ。誰がその分野のエキスパートなのかということも辞書から知ることができる。
古いものが多いが、それぞれの思潮の基本的な流れをつかむことができる。
もちろん、国語教育以外にも教育心理学、認知心理学などの辞典からも得ることが多い。

②『国語科教育実践・研究必携』『国語科教育学研究の成果と展望 Ⅰ・Ⅱ』を読む。
それぞれの分野の研究課題や、巻末の参考文献が有益。

③ ①②をもとに、研究したい分野の『国語教育基本論文集成』『朝倉国語教育講座』などの基本文献にも目を通しておく。

④「博士論文書誌データベース」(国立国会図書館・国立情報学研究所)で関連しそうな博士論文をあさる。博士論文は必ず先行研究のレビューがある。そこで紹介されている参考文献を芋づる式に当たっていく。

⑤CiNii(論文のデータベースサイト)や、「明治図書教育記事データベース」などで関連する論文をひたすら探す。

⑥図書館にレファレンス依頼をし、関連しそうな本に目を通す。
優れた司書さんに出会えると、詳細な文献リストを作ってくださって一気に研究が進む。なるべく具体的な(かといって絞りすぎない)方向性を示すリクエストを出すことがポイント。

⑦過去の教科書に目を通す。
国立教育政策研究所の教育図書館や東京書籍の「東書文庫」などに行けば見ることができる。
(要予約、平日しかあいていないので夏休みなどを狙う)

⑧詳しそうな人に聞く
実はこれが一番有益かもしれない。
自分と共通の関心や研究領域の学生、先生と仲良くなって聞き出す。
学会や研究会はそのための人脈作りの場所だと思うべし。
講話を聞くだけで帰っちゃうなんてもったいなさ過ぎる。出会ったらすぐにSNSでつながり、以後研究のアドバイスを受ける。もちろん、反対に研究について質問を受けたら、ケチらずに快く情報をシェアし合う。

(5)文献を保存、整理する
使えそうな論文は、じゃんじゃん保存しておく。
そのときに便利なのがEvernoteやDropboxなどのクラウドだ。
手に入れた文献はEvernoteに、書いた文章はDropboxに飲み込ませておく。
本の場合は、引用できそうな箇所があったら、表紙と後付け、引用箇所の写真をスマホで撮っておく。保存はEvernote。(あとで引用チェックをするときにいちいちページを探すのは大変)
※図書館の資料の場合は複写のルールが決められている。

引用を本文に書き写したり、インタビューなどを書き起こす場合は、音声認識が便利だ。Evernoteなどに付いている音声認識はかなり使える。スマホに向かって読み上げるだけでOK。

(6)メモと見出しから書き出す
ワープロのいいところは、どこからでも気軽に書き始められるところだ。
思いついたらすぐに書き出す。メモを取る暇が無かったら、これも音声認識。イタコのように、ごにょごにょとつぶやけば、それを文字に書き出してくれる。そのメモを元に原稿を書き進んでいく。

私の場合は
1、目次
2、見出し
3、本文
4、脚注
の順でおおむね書いていった。
つまり、時系列的に前から書き進めるのではなく、まず大まかに、書くべき「枠組み」や「流れ」、「落としどころ」を規定しておいて、その枠組みに沿って具体的な内容を書き進めていく。
一番いけないのは、ノープランでいきなり本文を書き進めていくこと。そうすると必ず行き詰まったり、ぐちゃぐちゃになってしまう。
見出しから書き始める方法のいいところは、文章の筋道が脱線、破綻せずに流れていくということだ。
だから、逆に、うまく文章が流れていないなと思ったら、見出しを新たに立てなおしてみるとよい。そして、ずれているところはばっさりと切り捨てる。川の支流と本流の関係と同じだ。本流が太いと、読み手は安心して流れに乗れる。 
このばっさりができないから、グニャグニャした論文になってしまう。
また、曖昧なことや余計なことを言い過ぎて突っ込まれるポイントを作ってしまう。
論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっているものと心得るべし。

(7)小さい論文を書きためる
修士論文は、最終的にはおおむねA4100ページ以上の大部なものとなる。
それを一気に書き進めるのは至難のワザだ。
だから、大きなゴールの前に小さな目的地を設定し、少しずつ書きためておくのがよい。
私は修士論文のための「習作」として、二つの紀要論文を書いた。
1、先行研究のレビュー論文
2、授業実践についての論文
ここでまとめた論文は、身内の勉強会などで順次発表をしていく。そうして様々な人から意見をもらっていく。このようにして修士論文の内容をさらに豊かにしていくことができる。
この2つの論文を組み合わせ、新たな内容を付け加えて、最終的に100ページ以上の論文に仕上げていった。

(8)授業の記録をこまめにとる
授業開発系の論文では、授業の様子をいかに生き生きととらえるかが鍵となる。
校内研究の紀要のように指導案を書いて、授業の写真を撮って、アンケートをとって終わりでは全く通用しない。だから、授業の様子を逐一記録しておくことが重要になる。
ビデオカメラで記録するのは一番いいんだろうけど、私の授業はグループや個人での作業が中心となる。そのためビデオの台数が十分に確保できないのでボイスレコーダーを各グループに置くことにした。また、毎時間、生徒に学習した内容やふり返りなどを日誌として記録してもらうことにした。
このように記録を取っておけば、あとでデータとして授業を検証することができるので、前もって、どう授業を進めるかということとと同じくらいに、どのように授業の様子をとらえ、データを取るかという方法を吟味しておくことが重要だ。授業前に事前アンケートなどをとって変化を比較するという方法もあるだろう。(もっとも、これは研究の目的との兼ね合いで考えていけばいい問題だ)
授業の記録と同じくらいに重要なのが、授業をしているさなかに感じた感覚や、終わったあとに考えたことなどを、忘れないうちにメモしておくと言うことだ。
あとでまとめようと思っても、時間がたつに従って感覚が薄れてしまう、(薄れてしまうくらいのかすかな気づきほど貴重なものはない) だから、授業中であってもメモできるものをそばに置いておいてその場でメモする方がよい。また、授業が終わったらその日のうちに感じたことを文章にして書き留めておくことをオススメする。できるだけ直後がよい。この手の記録は、ためればためるほど、おっくうになってしまうものだからだ。(と同時に、少し時間をおいて再度記録を見直すものよい。冷やした頭で見るとと、また新たな気づきが得られるからだ)
これらの、授業者のかすかな気づきをまとめ、論理的な文体(根拠を示し、主張を導いていくこと)で表現していくのが質的な研究のキモになってくる。
こういう気づきをうまくすくい上げることができれば、大学の研究者には絶対にできない、いつも生徒に関わっている教師ならではの視点の実践研究になってくるはずだ。

(8)研究指導では、どこを指導して欲しいかポイントを明示する
大学院のゼミでは月に1、2回研究指導を受けることになる。
そのときに、毎回、書いてきた文章をただ示すだけでは、指導をされる先生もどこに焦点を当ててアドバイスをしたらよいか分からない。よって効率も悪い。
そのため、必ず最初に論文の目次を示して全体像をとりあげ、その中で、とくに今日はここを見て欲しいというポイントを示してから指導を受けるようにした。(そのポイントに到達する前に、無残に斬られることも多々あったが……)
もとより、毎時間完璧に準備をして論文を見ていただくなんて不可能だ。だから、少なくともポイントを絞って、最低限必要なところでも確実に指導をしてもらえるように工夫することが重要になる。

(9)使うと便利なワープロの機能
修士論文の執筆では一太郎を使ったけれども、この論文執筆では普段あまり使わない色々な機能を使いこなした。※ワードにも同様な機能はある。
これらの機能は、早いうちに身につけておくととても便利なので、使いこなせるようになっておくとよい。
・検索
・置き換え……語句などの一括変換ができ、用語を統一させることができる。
・連番……章の番号などが入れ替わると新たに振り直すのが面倒。はじめから連番設定にしておく。
・脚注……ページ末に脚注スペースを付くって入れてくれる。
・目次……自動でページ数を振ってくれる。
・文章校正……誤字脱字などをチェックする機能。100ページを超えると校正だけでも一時間以上かかる。
探せばもっと便利な機能はあるだろう。
このほかにも、論文作成を支援するソフトがいくつかある。(メンデレイなど)
結局使いこなせなかったが、余裕があれば、そういうソフトにも手を出せればよかった。

(10)知的誠実とは「正確さ」、「懐疑精神」、そして「温かみ」にある。
あえて言うまでも無いが、引用はOKだが、「ぱくり」は厳禁だ。この引用も、一言一句、余白や記号に至るまで正確に引き写さないといけない。軽い気持ちで引用をすると、引用ミスだらけでいつまでたっても完成がおぼつかないと言うことになる。(そういう厳密さは、論文を校正する際にイヤと言うほど痛感させられた)

もう一つは「懐疑精神」だ。えてして先行研究を取り上げるときに、自分に都合のよいデータばかりを並べ立てて、「これもよい」「あれもよい」という総花式のデータの羅列になってしまいがちだ。しかし、それらの先行研究をどこまでも疑い、批判的に検討し、課題を見いだして乗り越えようとしなければ新奇性のある研究とはならない。
この「懐疑精神」とは、他人の研究だけでなく自分自身の研究に対しても向けられる。「本当にここまで言えるのか」「確かな根拠はあるのか」「これだけで読み手に伝わるのか」というのを、どこまでもどこまでも、丁寧に説明し尽くすことが必要になる。そのためにいくら冗長になっても、論文ではそれは許される。(反対に、根拠をあげて主張を説明できない場合は、ばっさりとそれを論文から切り捨てなければいけないということになる)。とくに修士論文では、自分とは違う分野、立場の人にも分かるように、ゼロから説明する丁寧さが求められる。だから「学習指導要領では」「文科省では」「PISA調査では」というレベルでは全く通用しないのだ。なぜ学習指導要領なのか、なぜ文科省なのかというところまで、臆見ではなくデータを引用しながら、教育について未知の読者に向けて論じなければいけない。そういう意味では「今ここが問題なんですよ」というオリジナリティーのある課題提示、「問題の所在」を、説得力を持って伝えることができるかどうかが最大の山場なのだともいうことができる。

最後に必要なのは「温かみ」だ。学術論文であっても「温かみ」というウェットな要素は必要だ。というか、そもそも温かみのない研究は、実験室で行われるものだったらいいかもしれないけれども、教育現場で行われる実践研究にはふさわしくない。子ども(学習者)の可能性に対する畏敬の念や、尊厳に対する配慮は研究であっても欠かすことができない。そういう配慮は、ちょっとしたアンケートの言葉や、成績を評価するコメントや、学習者を表現する語尾から伝わってくるものなのだ。だから、研究であっても、人と関わる教師としての謙虚さや魂を失ってはならないと思う。(大学では研究に対する倫理規定を定めているところが多いので、ちょっとした調査などは、事前に大学の倫理審査委員会に申し出て許可を得ることになっている場合もある)

終わりに 修士論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっている
あらためて繰り返すが、修士論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっている。
山を動かさんばかりの野望を持って書き始めた論文も、できあがってみると「え、これだけ?」と言っちゃうくらいのささやかさになる。だから完成した修士論文に無念と後悔を感じない人はいないだろう。
しかし、どんなささやかな内容であっても、自分の力で書き上げた、そして多くの生徒(学習者)とともに作り上げた、かけがえのない時間の記録であることは間違いない。
かけがえのない時間を、どれくらい自分は記述することができたろうか、学習者をどれだけ理解し、そして文章として描くことができたろうか。そんな無念の底には、すくい取れなかった無限の「意味」が潜んでいる。
「修士論文の完成は、研究の終わりでもあり、始まりでもある」と言われる。その始まりはおそらく、無念の底に存在する「意味」へとつながる道に向かっていくはずだ。
修士論文を書くなかで学んだことを端的に言うならば、「引き算」と「あきらめ」という言葉を私は想起する。そして無限の「意味」へのまなざしということになりそうだ。
そんな世界に少しでも興味を持った人は、ぜひ大学院での研究にチャレンジして欲しいと思う。
 立った、ろんぶんが立ったよ!

2015/03/20

宮澤賢治読書会〜iPad×青空文庫×Post-itアプリで読書会の試み〜

本年度最後の授業は宮澤賢治作品の読書会に挑戦した。


1、下読み
(1)事前に次の四作品を課題本として下読みしてもらう。
『銀河鉄道の夜』
『風の又三郎』
『セロ弾きのゴーシュ』
『注文の多い料理店』
※青空文庫のURLを示し、本を持っていない生徒でもネットで読めるように情報提供した。

(2)定期テストで読書問題を出題。
確実に読んでもらえるように、定期テストで簡単なサービス問題を出題。
一読すれば必ず答えられるような問題を出題した。
(Wikipediaなどのあらすじをみるだけでは解けないような問題にした)

2、読書会の流れ
読書会が2時間。読書ボード制作が2時間。

(1時間目)読書会の準備
まず、全員にiPadを配布。
iPadアプリ「I文庫」を用いて、課題となっている四作品をあらためて読む時間を取った。
感想や疑問をカードに書き出していった。
※書き出した感想カードは、iPadの神アプリ、「Post-itplus」で簡単にスキャンすることができる。
このソフトを使うと、びっくりするくらいに簡単に一気に電子化できる。おすすめ。(ちなみに、全員にPost-itを与えるともったいないので正方形のカードを代用)
正方形のカードを写真に撮ると

あっという間にスキャン&グループ化!

感想を書き上げた段階で、グループになり、次回の読書会で取り上げる作品を一つにしぼる。
ここまでで一時間の授業は終了。

(2時間目)読書会
読書会の趣旨を説明し、読書会のゴールとして「読書ボード」を協働で制作することを伝えた。

※「読書ボード」は高校の「読書甲子園」で取り組まれているもの。
 ※今回の即初回では、読書ボードに入れる内容として以下を指定した。
  ・本(作品名)
  ・キャッチコピー
  ・「謎」+「私たちはこう読んだ」
  ・作品の言葉(名場面、名台詞など)
  ・作品の魅力

・iPadアプリ「Post-itplus」を開き、前時(1)で書き出した学年の生徒全員の感想コメントを読む。

・個人で話し合いの準備
 印象に残った言葉
 作品の「謎」+「私はこう読む」
を、どんどん模造紙に書き込んでいく。(10分程度)

・グループで読書会
 印象に残った言葉の紹介
 それぞれから出た「謎」についてわいわいと話し合う
 魅力やキャッチコピーなども話し合う

テーブル上に模造紙を広げ、メモや発言内容などはどんどん書き込ませた。

iPadアプリ「I文庫」のよいところは検索機能があることだ。
登場人物の登場場所や、気になった言葉などはすぐに検索。
検索しながら読んでいくと、新たな発見へとつながっていった。

『風の又三郎』の「赤」に注目してみると意外な発見がっ!!

(3・4時間目)読書ボードの作成
模造紙を1/4に切った用紙を配布し、各グループで読書ボードの作成に取り組ませた。
ネットで調べれば「読書ボード」の作品例がたくさん見つかるので、それらを参考にしてもよいと伝えた。
色紙などを用意しておき、利用できるようにした。


この読書会は賢治の作品の力のおかげという要素がかなり大きかったと思う。
謎めいた展開、愛らしいキャラクターなど、アニメや映画など、様々なジャンルに今でもインスピレーションを与え続ける賢治作品であったからこそ、答えのない読書会の話し合いに興じることができたし、「読書ボード」のビジュアル化でも楽しむことができたのではないかと思う。


 



2015/02/21

電子書籍の意外な効用

定期テストに読書課題を出した。
宮澤賢治の作品『注文の多い料理店』『セロ弾きのゴーシュ』『風の又三郎』そして『銀貨鉄道の夜』を読んでおく課題を事前にだし、そこから出題するという形式。(この課題は長期休業中に課しておいたもの)
それで今、あらためて賢治の作品を読み返している。読んでいるのはi文庫HDというアプリ。
この手のツールはあまり活用していないんだけど、使ってみて感じる効用がいくつかある。
その一つは、「終わりがいつか分からない」という点だ。
紙の本だったら、本の厚みで「もうすぐ終わりだな」というのが分かってくる。しかし電子書籍だとそれが分からないので、どこまでこの話が続くかどきどきしながら読み進めることができる。
もう一つ、「読み上げ機能」を使った読書。i文庫では音声で読み上げる機能がついている。そこで、この「読み上げ機能」をつかって、読み上げる機械の音声を聞きながら読み進めている。(授業で教師の範読を聴いているのと同じ?) 
多少読み間違いはあるが、慣れてくるとかなり速いペースで読むことができる。飽きっぽい私には、集中して速読できる機能として活用している。

2015/02/10

将来の夢は「ゲーム実況で年収4億」

今日のICT部会の放談は面白かった。テーマは「ネット×お金×教育」
最近はyoutubeにゲーム実況をしていて年収4億を稼ぐ人がいる。
そしてそれを見ているコアな視聴者層が小中学生……。
小中学生の「将来の夢」に「ゲーム実況をして稼ぐ」という子どもが出てきてもおかしくないし、実際何割かは、将来、ネット上の個人メディアで生計を立てるクリエイターが出てくることだろう。ユーチューバ—、ブロガー、ネット配信の小説家、漫画家、映像編集などなど。個人がメディアになるという時代だということなのだ。一人一人がテレビ局、新聞社、雑誌出版社。広告代理店。
そう考えると「ネット×お金×教育」は結構切実なテーマになるに違いない。

2015/02/09

コミュニケーションツールとしての写真

今日同僚との雑談でひとしきり盛り上がったのは、ある人が撮った一枚の写真だった。
普段は真面目な先生が、飲み会ではっちゃけたポーズをしてるのを、写メで捉えた一枚。
この手の写真は、アルバムに保存するためというよりは、シェアされ、話の種となるために活用される。いわば写真がコミュニケーションのツールになっている。
このように、コミュニケーションのツールとして、写真を学級づくりに生かすことはできないだろうか?
例えば、毎朝、一人ずつ、何かテーマを決めて撮った一枚を提示しながら、リレースピーチをしていくのだ。
例えば「私のリラックス」などのように。それをクラスブログに記録していくのも面白い。
写真を撮るスキルと、コミュニケーションと、両方の力をつけられる活動だと思うんだけど、どうだろうか?

2014/12/27

歴史はマニアが作る?

「教育と情報の歴史研究会inお茶中」に参加。
日本のICT教育を黎明期からリードしてきた、濃ゆい皆様との研究会&懇親会だった。
マニアックすぎて20%くらいしか理解できなかったが、それを感じさせないオープンな雰囲気で楽しめた。
少なくともこれだけは学ぶことができた。
一、歴史を作るのは、それに時間とお金をいとわずつぎ込めるマニアの存在であること。
二、そのマニアをつなぐ「仕掛け人」や、ハブとなるプラットフォームが生成され、異業種、多様なメンバーによるネットワークが広がっているということ。(雑誌、メーリングリスト、イベントなど)
三 100校プロジェクトのような官製の取り組みであっても、ボトムアップ式に衆知を集めるシステムであれば有効に機能するということ。
四 正しいことよりも、新しいこと、そして、より面白いことに価値を置くほうが、結果的によいパフォーマンスをあげられるということ。
五 最後に、ICTをめぐる問題は20年来ほとんど変わっていないということ。学びとツールの問題、授業観の問題、セキュリティの問題等。しかし、かつてはICTに関わる全てを1人が担っていたが、現在では分業化が進み、システムの全体像や構造を俯瞰できる存在が少なくなってきているということ。

2014/12/07

めくるめく口述筆記の世界

Macのデフォルトでついている音声認識はすばらしい。
論文執筆ではこの音声入力にかなりお世話になっている。
生徒の感想コメントや談話分析、書籍からの引用などの単純な文字起こしは、ほぼ音声入力。(ただ、ちょっとコツを言うと、一太郎とかよりも、Macのアプリ(メモ帳など)のほうが変換が自動化されるので便利みたい。メモ帳で打ち出したテキストを一太郎の文章に貼り付けている)
ここでちょっと調子に乗って、文章も口述筆記をしてみようと思った。
太宰治は「駆け込み訴え」などの作品を妻に口述筆記をさせて書かせたといわれている。折口信夫のあの文章も、最愛?の弟子に語って聞かせたのを文章化したのだという。
そんな私も、ついにめんどくさくなって論文の口述筆記にチャレンジしてみることとした。生徒の作品を見て、感じたこと、考えたこと、そこから気づいたことなどを語っていく。これですらすらと文章が打ち出されていければ、200枚も夢ではないだろう。

2014/12/06

「アクティブラーニング」に50分は最適か?

最近、ほとんどの授業を生徒の活動中心で行うようになった。
最初に説明して、軽く足慣らしをして、そしてグループなどの活動。そうすると、50分の授業時間で、活動にかける時間は大体20分。やっと軌道に乗り始めた頃に時間となってしまう。
昔の技術科や大学の授業のように、90分くらいかけられたらどんなにいいだろうといつも思っている。
「アクティブラーニング」といくら掛け声は盛んでも、実質20分の活動じゃあどうにもならないような気がする。
50分授業に最適化された授業技術はあるけど、これがもし、90分授業、180分授業、一日中授業とかになったら、それに対応する授業技術も出来てくるんだろう。

2014/11/16

手書きとタイピングで思考の質はどう異なるか?

昨日のタブレット活用授業の検討で一番話題となったのは、やはり、従来のアナログツール、ノートとタブレットをどう使い分けていくかという議論だ。
興味深いのは、デジタルとアナログの文字、手書きとタイピングでの思考の質の違いについて。
たとえば、書いて意見表明するときに、
1 手書きで書く場合
2 タブレットなどで「打って」書く場合
3 手書きで書いて、それから打つという二段階ふむ場合
のケースが考えられる。
もっと言えば、4 音声認識で話して打つという場合もできる。
この1〜4で、表出される言葉や思考がどう異なるのか?

これには、おそらく7つの問題がある。
1 表出スピード
 (打った方が早い、書いた方が早い?)
2 語彙の問題
 (デジタルで打つと、難しい漢字も平気で使うようになる。それが思考の足がかりとなるのか、それとも自然で柔軟な思考を妨げるのか)
3 筆跡の問題
 (手書きで、その人の感情がにじみ出た方がいいのか、個性を消した活字の方がいいのか。手書きだとその人の「声」が聞こえてくるような感じがする。身体性が投影される。一方活字だと何となく「堅い」「無機質」な印象が生まれ、他人が書いたような冷めた視線で読むことができる。 字が上手な人は手書きを好む。字が下手な人は手書きが嫌い。)
4 図・表などのビジュアル表現との組み合わせの問題
 (手書きだと矢印を引いたり、絵を描いたりが柔軟にできる。デジタルだと写真や、あらかじめ決められた図形、テンプレートを活用できる)
5 編集の問題
 (書き直したり、削除したり入れ替えたり、他のデータ、メディアへコピーしやすいか、その必要が無いか)
6 紙面の問題
 (限られた紙面に限られた文量を書くか、デジタル上にひたすら書いていくか) 
7 保存性、共有の問題
 (一生懸命書いてまとめていったノートには愛着が生まれる。一方デジタルは他の人との共有、比較があっという間にできる。保存も大量に、半永久的に保存できる)
※他にもあるかもしれない

実は手書き、デジタルという単純な二分法だけでない。
手書きにもノート、模造紙、ホワイトボード、黒板、原稿用紙、メモ帳、ワークシート、ふせんなどの違いが、
デジタルにもタブレットやノートパソコン、そしてスマホなどの違いが、
どの程度思考の違いとしてあらわれるのかがとても気になる。

↑これらの問題は、現在デジタルとアナログのツールが過渡期である現在、問い直しが迫られている。そしてこの状況は五年後、十年後、さらには五十年後、もっと激しく変わっていくことだろう。
とくに今までの学校教育でアナログなツール(黒板やノート)が大切にされ、効果的に活用されてきていることを再確認させられている現状ではないか。
タブレットや電子黒板などを取り入れた多くの自治体で、黒板やノートを全く使わずにデジタル化へ一気に移行して問題となった例があると聞く。パワポのスライドショーを延々と見せ、情報が右から左へと抜けていくような授業ばっかりになって、批判を浴び、ノートや黒板の利用を復活させた例もある。
これらのメリット、デメリットをひっくるめて両者の質を精査し、使いこなしていく必要がある。

手書きと(日本語の)思考の関係については、書家石川九楊氏の「筆蝕」に関する一連の著書が参考になるかもしれない。
筆蝕の構造―書くことの現象学

2014/09/19

SNS投稿、10の極意。

極意一
稚拙な思いつきほど投稿せよ
理由
・賢い誰かからアドバイスをもらえるかもしれないから
・いつか気の利いたこと書けるだろう、というその「いつか」は、日常的に書いていないと永遠に訪れないから。

極意二
具体的な読み手をイメージせよ
理由
例えば、通勤電車で見かけた人とか、友人のAくんとか誰でも良い。具体的な読み手を想定して言葉を届けるつもりで書くといい。例えその人でなくても、似たような境遇の人がきっと反応してくれる。

極意三
情報をケチる奴には情報は集まらない
理由
有益な情報や、ちょっとしたコツなどを独り占めするのではなく。シェアしあうことが長期的には自分の利益になる。
なぜなら、そうして刺激し合い、学び合うほうが、自分と関わる人たちがお互い賢くなり、より有益な情報をシェアしあえるようになるから。

極意四
思いついたらすぐ書くべし

極意五
ネタ切れでもめげるべからず。

極意六
最後まで書かなくても、いい。

極意七
未完成ほど味があるべし。

極意八