2014/01/29

「学ぶこと」って何だ?

学校教育は、「学ぶ」ということがすべて「成長」に絡め取られてしまうということはないだろうか?(よきにせよ悪しきせよ)
成長とか、「人格の完成」なんていうのに、てんで関係のない「学び」も世の中にはいっぱいあるような気がする。
だって、「学び」がすなわち成長であり、成長することが「学び」であるならば、最も成長していない「赤ちゃん」とか「子ども」が一番学んでなくて、いろんな経験をして「成長」している「大人」が一番学んでいるということになるでしょう? 果たして本当にそうなのだろうか? 大人になることで、失われること、見えなくなってしまうこと、つまり「学んでいないこと」ってないのだろうか?
私にとっての「学ぶこと」とは「自分が持っている知識やルール、身体性で、対象に働きかけ、問いかけて、自分なりの答えを更新していくこと」だ。私にとってそれは、大人も子どもも関係ない。

学習活動の成否を決定する最大のボトルネックは「時間」である。

どんな教師も、45分という1単位時間の枠からは逃れることができない。
45分から、教材を発想し、単元の計画を発想し、学習活動を発想する。
時間のマネジメントは、他のどの職業にも比して、教師の専門性に深く関わる能力の一つだ。
たとえば、医師がもしかりに、手術が定められた時間以内に終わらなかったとする。しかし時間以内に終わらないからといって、手術を切り上げるということはないだろう。
反対に、1時間で終わる手術が10分で終わったとしても、決められた1時間を守るために、残りの50分はなんとなく時間をつぶすなんていうことも絶対にないだろう。
他のどんなことよりも、固定された時間が優先されるという職業は、おそらく教師と交通機関?くらいではないか?
どんなにすばらしい学習でも、それが60分かかったらいけない。その単元が何十時間もかかるような実践は望ましくない。そしてなにより、3年経ったら、どんなに教育がうまくいかなくても、その生徒も卒業し、教師は手放さなければいけないのだ。

1単位時間が45分であるということだけで、探求的な活動を取り上げた大規模な単元を扱うことに躊躇してしまうし、長編を取り上げてじっくり読み合うこともなかなかかなわない。
反対に、どんな魅力的な授業実践でも、それが何時間もかけて取り組まれたものであれば、一般性を持ち得る、提案性のある実践とは見なされにくい。3時間かければ読めてしまう教材を、10時間以上もかけて取り上げたり、放課後生徒を残してやらせていたりするならば、それはあまり褒められることではない。

45分の授業で話し合いは難しい。
45分授業の中で、小グループの話し合いをすることはなかなかむずかしい。
1時間ワンテーマだとしても、
導入&課題についての説明(5~10分くらい)
自分の意見をまとめる(5分くらい)
話し合い(10~20分)
全体で共有・ふりかえり(10~15分)
ぐらいの時間配分になる。
意見を出しあう程度で押さえ、深めることを狙わないのであればこれでもいいかもしれないけれども、どうしても物足りなさは否めない。
かといって2コマ使うのも、思考が途切れるのがあまり好きではない。
授業時間が90分だといいのに!
やはり反転授業かなあ、という結論になってしまう。

活動型の授業、とくにいろいろな教具が活躍する授業は、生徒がとても意欲的に取り組むのでどんどん取り入れていきたいと思う。
しかし、いかんせん「時間コスト」が発生してしまうのだ。
チョーク&トークの授業に比べて、活動や教材教具を活用した授業はそれだけで、学習とは直接関係のない時間が生まれてしまう。
新聞を配れば、それをぱらぱらと見てしまう→10分経過
ホワイトボードに話し合いの内容を書かせれば、それだけで時間が発生する→5分超過
タブレットを持たせれば、その操作やトラブルなどの処理で膨大な時間がかかる……
それらの「時間コスト」のことを考えたうえで、それに見あった効果がないとよろしくない。そうでないと、やはりチョーク&トークのシンプルな授業が一番だよなということになってしまう。それだけではいけないというのはわかっているんだけど。

モジュラー方式の学校が(特に小学校では)増えてきたが、授業時間を学習の規模に応じて柔軟に扱うことができれば、もっといろいろな実践が生まれてくる可能性があるのになあと思ってしまう。その辺の規制はどうなっているのだろうか?

2014/01/24

ちょっとの違いが大違い~『少年の日の思い出』をどう味わうか?~

今年も1年生の定番教材「少年の日の思い出」の学習がスタートした。
定番教材は、定番として定着しているだけあって、何度読んでも新しい発見が得られる。

今回あらためて「少年の日の思い出」を読み返してみて、この作品は同意語の言い換えが多く、しかもその言い換えが解釈に深く関わるということにあらためて気づかされた。

そこで、「同意語の言い換え」を切り口に「描写の効果を考えながら読む」ということを指導事項として、文学鑑賞の授業の中で、次のような学習活動を構想した。

1、同意語の言い換え表現をグループで探す。
2、そのような言い換えの表現からどんなことがわかるか、考える。
3、ミニ批評文を書く。

たとえば次のような言い換えが出てくる。

客―ぼく―熱情的な収集家―宝を探す人―悪漢
エーミール―批評家―鑑定家ーあいつ―模範少年
チョウチョ―宝物―獲物―宝石

これらを見つけていくのが第一段階。

その後、どんな文脈で使われているか、その言い換え表現からどんなことがわかるか、どう印象が変化するかをグループで話し合う。
(さらにいえば、これは翻訳小説でもあるので、他の翻訳ではどうなっているか比べてみるのもおもしろいだろう)

「文脈・描写・表現の効果・作者の意図」などの学習用語を駆使しながら、これらの言い回しについて検討していくことになるだろう

最後に、グループで話し合ったことを参考に、個人で、200字くらいでミニ批評文を書いていく。

オプション課題として、ある話(ももたろうとか?)を、特定の単語を、タイミング良く言い換えながら表現させてみたり、言い換えがされている他の作品を探して、その効果を紹介しあうなんていう活動に広げていくのもいいかもしれない。

ちなみに私が最も衝撃を受けた言い換え表現は、太宰治の『駆け込み訴え』←全文はクリック

イスカリオテのユダ(私)が、イエス(あの人)を裏切る瞬間の、この豹変ぶりだ。
私も、もうすでに度胸がついていたのだ。恥じるよりは憎んだ。あの人の今更ながらの意地悪さを憎んだ。このように弟子たち皆の前で公然と私を辱かしめるのが、あの人のこれまでの仕来りなのだ。火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在るのだ。犬か猫に与えるように、一つまみのパン屑を私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせだったのか。ははん。ばかな奴だ。旦那さま、あいつは私に、おまえの為なすことを速かに為せと言いました。

こんな感じに、微細な言葉遣いの変化に着目するような鑑賞法をこの教材で学んでいきたいと思っている。

2014/01/21

「文学の交流スキル」仮説試案序説

文学は人によって解釈が異なることが多い。
だから、交流することによって読みが広がったり深まったりする。
しかし、「交流のスキル」そのものが十分に身についていなかったり、ざっくばらんに話し合える関係性にない場合は、その交流が上手くいかないことも考えられる。
「交流のスキル」を身につけさせ、習熟させることと、その交流によって読解・鑑賞の質を上げることはおそらく比例をするだろう。

近年、ブッククラブなどの名称で、交流を前面に出した文学鑑賞の方法が取り入れられている。
ブッククラブの優れたところは、シンプルな方式で、学習者達が自立した読書人として育っていくことができるように設計されているところだ。
教師主導であれやこれや発問や指示をして(指導をして)、文学を深く読ませることは確かに可能だろう。しかし、教師主導「でしか」文学が鑑賞できないのだとしたら、何のための文学鑑賞の時間だろうと思う。
文学鑑賞指導の究極の目的は、子どもたちが教師の手を離れて、自分で本を手に取り、文学を味わう方法を身につけることではないか?

そこで、「文学の交流スキル」というものを仮に設定して、子どもたちが主体的に、文学の感想を交流し合えるスキル身につけるためには、どのような学習ができるか検討してみようと思う。

「文学の交流スキル」は二つの軸がある。
交流の機能を見極めることと、文学鑑賞の切り口を見いだすということだ。

A「交流の機能」の側面
交流(ここでは話し合いを主に想定しているが)は、お互いの発言が、どのように交わされるかによって、おもに5つの機能を持つ。
交流によって、意見を広げていくのか、それともまとめていくのか、批判的に深めていくのか、などの方向性を意識しあいながら話し合うことはとても重要なことである。
この交流の機能は、交流の形態(ワールドカフェなど)や人数を検討することよりも、より本質的に重要な要素である。
どのような話し合いの形態をとるかということよりも、話し合いにどのような目的や方向性があるかということを意識することのほうがずっと大切だ。

5つの「交流の機能」
①共感的交流……お互いに認め合う交流
②累積的交流……情報を増やしていく交流
③連鎖的交流……情報が連鎖的に広がっていく交流
④探索的交流……情報が収束的にまとまっていく交流
⑤批判的交流……クリティカルにお互いに意見を交わし合う交流

この五つを「交流のタイプ」として、話し合う時にお互いが意識できていると良い。
この交流の5つの機能については、以前の投稿内容を参照して欲しい。

B、「文学鑑賞の切り口」の側面
つぎに、交流でどんなことを話題にするかという「鑑賞の切り口」を設定することも、文学鑑賞において重要な要素となる。
鑑賞の切り口の視点は二つある。
一つは、読者(子ども)の読後反応(感想)に立脚するということだ。
教師が作ったどんなに優れた発問でも、それが子どもが自然と持つような発想でない場合は、やはり選択すべきではないだろう。
自分にとって切実でない問いは、読み進めようという気にはなりにくいし、教師が作った発問でしか読めない読者を育てるということにもなってしまうからだ。
子どもから問いを持たせても良いし、ある程度選択肢を出して、そのなかから選ばせるということでもよい。子どもが主体的に切り口を選択するという視点は不可欠だろう。

二つめは、作品の魅力に迫る切り口を選択すると言うことだ。
作品に直接関係のない話題で交流しても仕方が無い。それでは雑談になってしまう。
やはり、その文学作品の本質に迫る「ツボ」というものがあって、その文学作品の魅力を最も引き立たせるポイントを探しだし、そこに焦点化させて交流していくようにすること効果的であろう。

それでは、子どもが文学を鑑賞するときに持つ切り口にはどのようなものがあるだろうか?
ここで、岩瀬直樹氏のブログ記事 2014-01-21 メモ ブッククラブのために。に掲載されていた質問集の内容を参考に考えてみる。

岩瀬氏の「質問集」の内容は以下の通りだ。

★読む前に
・本のタイトルからどんなお話だと想像しますか?
・本の表紙、裏表紙の絵から何がわかりますか? どんなお話だと想像しますか?
・この作者の他の本を読んだことはありますか?どんなお話でしたか?

読んでいる途中に
★感想
・どこが面白かった?どこがつまらなかった?
・どこが印象に残った?それはなぜ?
・どの登場人物が好き?どの人物がきらい?それはなぜ?


★書いてあることの確認
・今回の範囲のあらすじは?
・だれがでてきた? ・どんなことが起きた?
・ここまでの話を整理すると~
・登場人物はどんな性格?どんな外見?それはどこからわかる?


★読んだことで考えよう
・ここがよくわからなかったんだけど~
・自分が考えていたこと(思っていたこと)が変わってきたんだけど~みんなはどう?
・なぜ登場人物は~のような行動をしたのか?からのようなことを言ったの?
・なぜ作者は~のような書き方をしたのだろう?
・なぜこんな表現にしたのだろう?
・「なぜ~?」
・この後どうなるだろう? その理由は~
・前回の予想と同じだった?違った?なぜ違ったのだろう?
・この登場人物が変わってきたのでは?どのように変わったというと~、なぜ変わったかというと~
・登場人物のとった行動(言ったこと)に賛成?反対?どう思う?
・もし自分がこの人物だったら~  
・自分が作者ならこんなストーリーにするな。こんな風に書くな。
・似たような経験ある?
・登場人物同士の関係が変わってきた?どのように変わった?それはどこからわかる?
・○○と○○を比べてみると、
・作者はこの文から(この章から)何を伝えたいのだろう?
・何がこのお話の大事なポイントだろう?なにが大事な話し合いのテーマだろう? 

★読み終えた後に
・この本は好き?嫌い?点数を付けるとしたら?その理由は?
・誰におすすめする?
・この作品の結末に賛成?反対?結末についてどう思う?
・作者が伝えたかったテーマは何だろう?そのテーマについてどう思う?
・登場人物はどのように変わった?なぜ変わった?
・自分ならどんなタイトルにする?
・この本で覚えておきたいことは~

★話し合いの途中で・・
・もっとくわしく教えて
・どこからそう思った?
・どこに書いてある?
・今のに付け足しだけど
・賛成!その理由は~
・私は違うふうに考えたんだけど、それは
・例をあげてくれる?
・その理由は?
・もう一回言ってくれる?
・○○はどう思う?
・もう一度読む時間とって整理する?
・というと?(オープンクエスチョン)

この岩瀬氏の質問集は、見てわかるように、ブッククラブのプロセスに沿って、子どもの発言を例示している。
この質問集の優れたところは、ブッククラブで実際に交わされた発言を集めていると言うことだ。
このような資料は、実際にやってみないとなかなか知ることができない。とても貴重なデータであると言える。

ただ、この質問集を、たとえばリストにして例示するとしてどのような方法が最も適切だろうか?
私だったら、子どもたちが、話し合いの切り口を探す時にそれを支援するような形で提示できれば意いいのではないかと思う。
たとえば、上記の質問集を、次のような「交流の切り口」と「合いの手」に沿って再編集し直すのだ。
たとえばこんな感じだ。

◎「交流の切り口」カード
A、「人物設定」カード
気になる登場人物は……です。
私はこの登場人物が好きだ!
この人は多分こんな人だと思う。

B、「ストーリー、プロット」カード
一番好きな場面は……
もしこのとき……が……だったら

C、「表現」カード
気になる表現は?
なぜこんな言葉遣いをしているのだろう?
この言葉を言い換えるとしたら

D、「テーマ」カード
この作品はどんなことを伝えたかったんだろう?

E、「番外編」カード
・似たような経験がある
・どんな人に勧めたい?
・本の装丁は?


◎「つっこみ」メニュー
・もっとくわしく教えて
・どこからそう思った?
・どこに書いてある?
・今のに付け足しだけど
・賛成!その理由は~
・私は違うふうに考えたんだけど、それは
・例をあげてくれる?
・その理由は?

などなど。(上記の岩瀬氏のコメントをすべて上手に整理すれば、なかなか優れた「交流の切り口」集ができそうだ)

さらに、付け加えると、作品を鑑賞するためには、学習用語を押さえておくことが必要になる。
文学の交流で使える用語集のようなものも合わせてカードなり、リストで提示しておけばいつでもそれを使いこなすことができるようになるだろう。

(文学の鑑賞 学習用語)
・登場人物
 主人公
 対役
 チョイ役・脇役
・語り手(話者)

・設定
 時間・場所・人物

・構成
 冒頭・結末・中盤・クライマックス・起承転結

・文体
 会話文・地の文

・主題
 葛藤・矛盾・アイロニー(皮肉)・象徴・作者・思想

などなど。
こういう学習用語や鑑賞の切り口は、国語教育において、文芸研や分析批評、読み研などでさんざん検討されてきた。それらの知見を参考にしつつ、子どもの目線で使いこなすことができるように加工することが必要だ。なるべく、発達段階に即してちょっと背伸びした用語や切り口を例示し、それを使ってみたくなるような環境を与えると良いだろう。

どのように活用していくか?

さて、「交流のタイプ」、「鑑賞の切り口」、そして「学習用語」の三つのツールが出そろった。
それらを、実際にどのように活かしていけば良いのだろう。

たとえば、次のような活用法を想定している。
4~6人ぐらいで読書会を開くとする。

全員が「学習用語のメニュー」を持っている。
「切り口」カードがテーブル上に、カルタのようにばらまかれている。
テーブルの上には「話し合いのタイプ」のリングが5つ用意されている。

一人一人、話す人が、順番に「切り口」カードを取って、みんなに見せながら、話し合いを進めていく。そのとき、選択したカードは、任意の「話し合いのリング」に置く。
この「リング」は「話し合いのタイプ」にリンクし、5つのリングを設定する。(リングって言うのは、プロレスのリングのことね)
次の5つのリングの中から、話し合いの進め方としてもっとも適切であると思われるものの上に置くのだ。
・共感リング(共感的交流)
・増やすリング(累積的交流)
・つなげるリング(連鎖歴交流)
・まとめるリング(探索的交流)
・バトルリング(批判的交流)
このように、5つのリングが「場」に用意されている。
たとえばこんな感じ。
「一番カッコイイ登場人物」について「バトルリング」で話し合う。
「印象に残った場面」について「共感リング」で話し合う。
「この人は多分こんな人」ということについて「まとめるリング」で話し合う。
のように。

このようにして、話し合いたい「切り口」と「交流のタイプ」を、各自で設定して話し合いを進めていく。
このシステムの良いところは、話し合う切り口とタイプを子どもたちが主体的に選択できるところだ。
そして、カードやタイプの量を調節することで、学習の方向性をあらかじめ教師が設定することもできる。

たとえば、教師が事前に、今日は「登場人物の設定」カードの中から選んでね。登場人物について話し合うんだよ、とか、今日は「バトルリング」と「共感リング」だけ使うからね、というように、あらかじめカードを操作すれば良い。

理想的には、やがては、それら切り口と機能を、カードやリングなどを使わなくても、意識しながら話せるようになることだろう。

以上「文学の交流スキル」仮説の試案の序説。
どんなものだろうか?
思いつきレベルだけど、ブラッシュアップすればなかなか良いものができあがるような気がするのだけれども。

2014/01/20

学校内SNSは成り立つか?

学校内に、生徒向けのフェイスブックのようなSNSを普及させようという取り組みがある。
(もちろん民間で。 たとえば、  IRAND や、 Ednity Edmodo ぐーぱ など。)

それが学級内のコミュニケーションを活性化させ、学力向上に寄与するのであればとても有意義なことだろう。
実際、生徒たちは、学校で用意などしなくても、自分たちでフェイスブックやLINEでつながっている。その上に、あえて学校が用意することにどんな意義があるのだろう?

現場レベルで言えば以下のような課題や疑念がある。
・学校のSNSをどのような目的のために位置づけるか。個人的に楽しむSNSとの差異化。
・炎上やネットいじめなどのネガティブな投稿に対する対応、それをチェックする手間。
・いわゆる「ネット依存」をあおらないか?(書き込む時間や端末を指定する?)
・そもそも、学校での授業以外の、家庭での生活時間に、学校がどこまで関わるべきかという問題。(学校での人間関係を、学校外でまで四六時中かかずらわりたくない子だっているはずだ)

ただし、純粋にSNSへの投稿マナーのようなものを学ぶ「ネットモラル」教材としての位置づけであれば、ある程度は理解できる。その場合には、目的や用途を絞り込み、利用を限定することは必要となるかもしれない。

もっとも、上記のデメリットを全部ひっくるめても、ネットの荒波に無防備で放り出すまえに、学校内SNSのような「プール」で泳がせてトレーニングさせるということも必要かも知れない。

『情報大爆発 コミュニケーションデザインはどう変わるのか』メモ

ICT技術の進展により、情報量はとんでもない量に増大している。
社会は「情報爆発」と呼ばれる様相を呈している。

情報化社会は、我々の行動様式にどのような変化をもたらしているのだろうか?
そんなことについて語っているのがこの一冊だ。

内容は、情報化社会の行動様式というような、いかにも硬そうな内容だ.。それも、広告代理店のスタッフが書いた本だから、その業界に向けての内容も多い。縁遠そうな内容の話も多いけれども、たとえ話がとても具体的でイメージしやすいのと、脱線して話される「豆知識」的な小話がとても興味深く、最後まで一気に読み進めてしまった。
この本はプレゼン資料がもとになっている。そのため、プレゼンのスライド(上段)とそれについての説明(下段)がセットになって紙面が構成されている。ビジュアル的にも工夫されているので、おもしろい講演を聞いているような気になる。
以下に、気になったことを以下にメモする。実際はこんな専門用語ばっかり飛び交っているばかりではない。本を手にとって読んだほうが圧倒的にわかりやすい。
(しかし、後半は電通の広告戦略に関する話が中心になるので、広告の現場で述べられていることにあまり接点が感じられない人とっては興味が持てないかもしれない。)

以下備忘メモ(まとまっていなくてすいません)

1、情報爆発時代の情報の特徴
筆者は社会に流通する情報の変化を二点に整理している。
一つは、「情報化社会」から「情報過剰社会」に突入しているということ。
情報の流通量は消費量をはるかに追い越し、処理しきれないくらいに飽和している。

もう一つは、流通される情報は、メディアによってパッケージされた「硬い情報」であったものが、「やわらかい情報」(消費者によっていくらでも変形できるもの、未完成なもの、断片)になってきているということ。
飛び交っている情報は、パーツとしての自由に組み替え編集することができる状態になっているということ。
このように、情報の「過剰性」と情報の「可塑性」が大きな特徴となってきているという。

2、情報爆発時代の大きなニーズは「情報整理」
情報が過剰で、かつ可塑性に富むものであることから、、情報産業は「情報整理産業」へとシフトしていっている。
情報整理産業では、情報を一方的に発信するのではなく、さまざまな情報をまとめる「プラットフォームビジネス」としての機能を持つ。(たとえば、グーグルやアマゾン、YOUTUBEなどが典型的な例だ。)それは、自ら情報を生み出すのではなく、発信された情報を編集することを目的としている。

情報爆発時代の消費者は、あふれる情報の中から信頼するに足る情報にたどり着くためには、機械的な検索だけではどうしても限界がある。
そこで、情報についてよく知っている「人」を頼って、必要な情報を手に入れるようになる。(端的な例だと、ヤフー知恵袋とか、Amazonのレコメンド機能のような。)
そういう行動を「コラボレイティブ・フィルタリング」と呼ぶ。
情報過剰時代には、何が自分にとって役に立つ情報で、何が「ゴミ」なのかを分別してくれるフィルターが役に立つ。「コラボレイティブ・フィルタリング」は消費者同士が、お互いをフィルターとして利用して、役に立つ情報とそうでないものを区別しようという考え方に立っている。
このように、情報爆発時代では他の消費者に対する依存度が上がる。

3、情報爆発時代のボトルネックは[Attention(注意)」
いくら情報が増えても、人々がそれに注目できる時間は限られている。
情報過剰時代においては、Attention(注意)が希少になり、それを消費する膨大な情報源に対して、attentionを効率的に割り当てる必要が生じる。
このように、希少になってきたアテンション(時間コスト)をどのように配分するかというテーマに関心が集まってきており、それを「アテンション・エコノミー」と呼ばれている。
より多くの人に、より多くの時間、より効果的に情報に集中させることができるかどうかが、そこでは問題にされるようになる。

・ロングテール化する業界(例 Amazon)
ヘッドの方では「人気が人気を呼ぶ」という傾向(求心性)が働いている。
テールの部分では「私好みのアイテムを探し求める」という傾向(遠心性)が働いている。

プラットフォーム・ビジネス
「レーザーブレード型(自社取り込み)」と「カジノ型(マーケットプレース)」とがある。

3、過剰の経済学
過剰の時代は、「希少な資源を節約するのではなく、過剰なものをジャブジャブ浪費すること」が正しい経済戦略だ。(クリス・アンダーソン)
「過剰性を存分に活用する国民、企業、個人では、他のすべてのライバルを押さえてマーケットシェアを獲得する」(ジョージ・ギルダー)

「過剰の経済」では、何が過剰になっているかをいち早くみつけて、大胆に浪費することが大切。
同時に、新たに希少になってくるものは何かを予測することが重要になる。
「相対的な希少性」を察知する力が求められる。

4、ネットワークの歴史
ネットワークは、ツリー型(1対1)→スター型(1対多)→そしてメッシュ型(多対多)へと移行する。
情報は「偏在」するものでなく「遍在」するようになる。

分散型ネットワークの特徴(ポール・バラン) (インターネットの発想はこれ)
・すべての結節点(ノード)を平等に複数のルートでつなぐ
・中央機関を置かない
・デジタル信号を使う
・管理をしない

5、産業革命のパラダイム
マスメディアは、中心から末端への情報の配信コストを飛躍的に下げ、配信スピードを上げた。
その後、インターネットがもたらしたのは、末端からの情報配信コストの驚異的な低下と、スピードの加速。
インターネットがもたらしたのは、インタラクティブ・コミュニケーションではなく、マルチ・ディレクショナル(全方向型)なコミュニケーションであった。

既存メディアによる「乗合馬車」から、個人の乗り物へ。(アンバンドリング)

6、ネットワーク・ダイナミクスと広告戦略

ネットワーク化された「個」の挙動の特徴
(グレイグ・レイノルズの人工生命体の研究から)
・セパレーション(分離)仲間に近づきすぎたら離れる
・アラインメント(整列)仲間と同じ方向に同じ速度で飛ぶ
・コーヒージョン(凝集)仲間の中心方向に飛ぶ

・インターネットのコミュニティーの特性
特性1「スモール・ワールドネットワーク」(ダンカン・ワッツ)
小さいまとまりと、他のネットワークへの広がりを同時に持っている。

「六次の隔たり」・「弱い紐帯の絆」

インターネットの特性2「スケールフリー性」
二割のハブが八割のコネクティビティーを持つ
「ネット上の100人のうち、
1%が、コンテンツを自分で作っている。
10%が、それにコメントを書いたり、言及している。
89%は、mそれを見ているだけだ」(英新聞「ガーディアン・アンリミテッド)

「インフルエンサー・マーケティング」

・インターネットの掲示板
誰しもが受信者であり、発信者である。
そこではスレッドという「場」が主人公となる。
全体としては水の分子のように「流れる」という状況が発生する。

「インターネット環境は、情報の流れを受信と発信の関係でとらえるのではなく、探索と支援という関係で理解することも可能である」(『創発する社会』)

相互編集性
「発振→共振→増幅」

・広告の戦略
「ブロックバスター方式」(ハリウッド映画ような大型広告戦略)
「雪だるま方式」(ボトムアップ式に流行が生まれる)

・消費者行動モデルはAIDMAからAISASへ
A…attention(注意)
I…interest(興味)
D…desire(欲求)
M…memory(記憶)
A…action(行動)

A…attention(注意)
I…interest(興味)
S…search(検索)
A…action(行動)
S…share(共有)

AISASモデルは、企業と諸費者が互いにアクティブに関与し合っている。インタラクティブなモデルになっている。

・「フィルター」の共有
レコメンド・プレイリスト・タグ・リンク
フィルターを共有することで、消費者は時間コストである「アテンション」を節約することができる。
フィルターを共有することによって、思いがけない「フェイバリット」を発見することがある。
「フィルター・マーケティング」(フェイスブックなど)

・「アテンション・マーケティング」のキーワードは「キャッチ」
いかにして注目を引くかという要素が必要。
ノイズレベルを超える広告の大量投下など

・「ベネトレーション・マーケティング」(浸透させるマーケティング)のキーワードは「マッチ」
「パーソナライズ」「ローカライズ」「オケージョナライズ」
共感性(あなた目線・なかま目線・みんな目線)

BUZZは情報格差があるところに発生する。
消費者同士の間に情報格差があるところに発生する。
情報は「より深く知っている人」から「より浅い人」に伝わる。

2014/01/18

言葉の根っこにヒントがある。

新しく出会った言葉や、異業種で使われはじめた言葉を、自分のフィールドで論じようとするときは、かならずその言葉の原義を調べ、ルーツをたどり、その言葉が使われている業界なり世界での文脈を調べる。それが研究上のルールでありマナーであると思う。
安易に自分の文脈に引きつけて「ふりかけ」のように使い、粉飾することほど恥ずかしいことはない。
辞書で言葉の意味を調べ、ネットで使われ方をリサーチし、その業界の参考文献を読んで学ぶ。そこからスタートルすべきだ。
本の紹介と「ブックトーク」とではどう違うのか?
「情報活用能力」はどのように定義されているか?
「見える化」のルーツは? その言葉が使われている業界や、背景は?
「伝え合う力」のもとになっている言葉は何か?誰が言い始めたか?
言葉のルーツをたどると、研究を推進、発展させていくためのヒントがたくさん得られる。遠回りのようで一番効率的な研究の方法だ。
自分の文脈に都合よく使っている言葉は、その定義も曖昧だし、研究もぼやけたものとなってしまう。