2014/12/31

「ウソ」で人を教えられるか

「ウソも方便」という言葉があるけれども、大人が子どもに対してつく「ウソ」はどの程度ならゆるされるのだろうか。そもそも「ウソ」で人を教えることができるのだろうか。

「しらじらしいなあ」と思いながらもついている「ウソ」を聞くことがよくある。
「……すれば、将来絶対に……だよ」
「……したら、この学校にいられないよ」など。

「ウソ」が「ホント」として機能するためには、二つの方向性がある。
1、大人の「ウソ」を子どもたちが「本当」と信じ込んで疑わない場合
2、大人の「ウソ」を子どもたちが「ウソ」と気づいているんだけど、子どもたちが「信じているふり」という「ウソ」をしていることを、大人が気づかない場合。気づこうとしない場合。

私は、なるべくなら「ウソ」をつかない人生でありたいと思っている。
なるべくなら。