2013/05/10

メモ)短歌が読めるとはどういうことか

同僚が短歌の授業を行った。

岡目八目、というが、人の授業を参観しているときが最も自分の思考が活性化する。
一人で引きこもっていては出てこないようなアイデアが次から出てくる。
自分だったらこうする。こんな一手間を加えたら……。
短歌の授業を参観しながら「短歌が読めるとはどういうことか」について次のようなメモを書いた。

・短歌がわかるということと、面白いということは別次元だ。
短歌を読んだときに感じる「わかる/わからない」と「おもしろい/つまらない」は区別するべきだ。
A。よくわかり、面白い短歌
B、よくわからないけど、面白い短歌
C、よくわかるけど、面白くない短歌
D、よくわからなくて、面白くない短歌

このうち、授業で取り上げるべきなのは言うまでもなく
B、よくわからないけど、面白い短歌
である。
次に取り上げるべきは
D、よくわからなくて、面白くない短歌
だろう。
さらに高等テクニックとして
一見わかりやすいと感じていた短歌が、読めば読むほどわからなくなってくる(けど面白い)というものがあるがこれはひとまず置いておく。

たとえば、寺山の
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
なんて、わからないところだらけだ。だけど、なぜか私は心惹かれる。何とかしてわかってやろうと思う。この、心惹かれるというところに、すでに学習の契機が潜んでいるのだ。


・短歌が読めるということにもレベルがある。
短歌を読む、という行為にはいくつものステップがある。
どのステップでつまずいているのか、どのステップがとりわけハードルが高いのか、授業者は見極めることが必要だろう。
究極的な目標は「書いていることをもとにして、書いていないことを読み取る」ことである。

短歌の理解レベル(言葉として書かれていることを理解する)
1、短歌の意味の区切りを意識して音読できる
2、言葉の意味がわかる
3、文脈がとらえられる
4、短歌の言葉の韻律が味わえる
5、短歌の修辞の効果や約束事がわかる
6、その短歌が踏まえている歴史や伝統がわかる

短歌の想像レベル(言葉で書かれていない短歌の世界を想像する)
7、短歌がえがいている世界が理解できる
8、短歌がえがいている世界がイメージでき、さらにそれから発展してストーリーが想像できる

短歌の批評レベル(短歌の美醜などを判断できる)
9、(他の短歌などと比較して)この歌の価値を説明できる



・短歌の解釈の切り口を生徒自身が選択できるようにしたい
短歌を読むとき、さまざまな解釈の切り口がある。
熟練した読み手は、そのいくつかある解釈の切り口を、短歌の表現にそって選択して読み込んでいく。解釈の切り口は固定的なものではない、その場その場で、その短歌の表現に最も適した切り口が存在する。それを的確に選択できるようにするのが、短歌鑑賞指導の一つのポイントだろう。

短歌解釈の切り口例
・疑問、違和感はどこにあるか?
・気になる表現/印象的な言葉は?
・どんな世界が立ち上げっているか?
・何が書かれれていて、何が隠されているか(明らかでないか)
・設定(時間・場所・人物)は?
・5W1H
・何が見えているか?
・五感でどのように感じるか?
・何を象徴しているか?
・作者(話者)はどこにいるか?
・言葉のリズム、響き、韻律は?
・感動の中心はどこにあるか?
・映像化する(動画・静止画)とどうなるか?
・助詞から言葉を解釈するとどんなことがわかるか?
・人物の心情は?
・情景描写が暗示していることは?
・本歌との関係は?
・作者の作歌の傾向は?
など。