2014/11/16

手書きとタイピングで思考の質はどう異なるか?

昨日のタブレット活用授業の検討で一番話題となったのは、やはり、従来のアナログツール、ノートとタブレットをどう使い分けていくかという議論だ。
興味深いのは、デジタルとアナログの文字、手書きとタイピングでの思考の質の違いについて。
たとえば、書いて意見表明するときに、
1 手書きで書く場合
2 タブレットなどで「打って」書く場合
3 手書きで書いて、それから打つという二段階ふむ場合
のケースが考えられる。
もっと言えば、4 音声認識で話して打つという場合もできる。
この1〜4で、表出される言葉や思考がどう異なるのか?

これには、おそらく7つの問題がある。
1 表出スピード
 (打った方が早い、書いた方が早い?)
2 語彙の問題
 (デジタルで打つと、難しい漢字も平気で使うようになる。それが思考の足がかりとなるのか、それとも自然で柔軟な思考を妨げるのか)
3 筆跡の問題
 (手書きで、その人の感情がにじみ出た方がいいのか、個性を消した活字の方がいいのか。手書きだとその人の「声」が聞こえてくるような感じがする。身体性が投影される。一方活字だと何となく「堅い」「無機質」な印象が生まれ、他人が書いたような冷めた視線で読むことができる。 字が上手な人は手書きを好む。字が下手な人は手書きが嫌い。)
4 図・表などのビジュアル表現との組み合わせの問題
 (手書きだと矢印を引いたり、絵を描いたりが柔軟にできる。デジタルだと写真や、あらかじめ決められた図形、テンプレートを活用できる)
5 編集の問題
 (書き直したり、削除したり入れ替えたり、他のデータ、メディアへコピーしやすいか、その必要が無いか)
6 紙面の問題
 (限られた紙面に限られた文量を書くか、デジタル上にひたすら書いていくか) 
7 保存性、共有の問題
 (一生懸命書いてまとめていったノートには愛着が生まれる。一方デジタルは他の人との共有、比較があっという間にできる。保存も大量に、半永久的に保存できる)
※他にもあるかもしれない

実は手書き、デジタルという単純な二分法だけでない。
手書きにもノート、模造紙、ホワイトボード、黒板、原稿用紙、メモ帳、ワークシート、ふせんなどの違いが、
デジタルにもタブレットやノートパソコン、そしてスマホなどの違いが、
どの程度思考の違いとしてあらわれるのかがとても気になる。

↑これらの問題は、現在デジタルとアナログのツールが過渡期である現在、問い直しが迫られている。そしてこの状況は五年後、十年後、さらには五十年後、もっと激しく変わっていくことだろう。
とくに今までの学校教育でアナログなツール(黒板やノート)が大切にされ、効果的に活用されてきていることを再確認させられている現状ではないか。
タブレットや電子黒板などを取り入れた多くの自治体で、黒板やノートを全く使わずにデジタル化へ一気に移行して問題となった例があると聞く。パワポのスライドショーを延々と見せ、情報が右から左へと抜けていくような授業ばっかりになって、批判を浴び、ノートや黒板の利用を復活させた例もある。
これらのメリット、デメリットをひっくるめて両者の質を精査し、使いこなしていく必要がある。

手書きと(日本語の)思考の関係については、書家石川九楊氏の「筆蝕」に関する一連の著書が参考になるかもしれない。
筆蝕の構造―書くことの現象学