2014/11/22

「なになに流」を名乗り出すと胡散臭くなる

 「奥義に極意はない」という言葉がある。これは、極意はどこまでいっても突き止められないということと、極意は一つではないということを表している。
だから、その時は最適だと思っているやり方も、「極意」化してしまうと、そのやり方が一人歩きしてしまい、やり方に縛られるようになる。それは本末転倒だ。
そういえば、私の憧れる方々は、自分で自分のやり方に決して縛られなかった。いわんや「なになに流」などとラベリングしなかった。ラベリングした途端に、そのやり方や考え方に縛られ、思考が硬直してしまうことを知っていたからだ。