2014/07/02

本物の教師になれるかどうかを見分ける一つの指標

本物の教師になれるかどうかを見分ける一つの指標がある。
それは、つねに、まず、子どもを主語にして話す、考えるということだ、

「この授業では、きっと子どもたちは……のように感じるから……という手立てをとろう。」と考えるのが本物の教師になれる。
「この授業では、あの○○先生が……といっているから、……という手立てをとろう。」
「この授業では、(○○氏が提唱する)単元を貫く言語活動になっていないから……」
「この授業は、学習指導要領の指導事項では……となっているから……」
などなど、子どもを主語にする前に、子どもの論理の前に、他人(カリスマ教師??)の受け売りとか、教師の都合とか、定型的な授業スタイルとか、思想信条でのみ語ろうとする人は、きっと本物の教師には、なれない。
(=「本物の教師だ」とはいってはいない。本物の教師になるためにはここからスタートしてさらに研修を積んでいく必要があるのだろう)
そう思う。