2014/07/10

「文学」として読むことが許されない古典教育

古典教育に関する刺激的な本を読んだ。
田中貴子『検定絶対不合格教科書 古文』である。

もし、村上春樹でも、重松清でも、なんでも、小説などの文学作品を、すべての単語を品詞に分解し、助詞を識別し、わからない語句をしらみつぶしに辞書で調べ、意味を解釈していく授業をしたとしたら、どうだろう? 目を光らせて学ぶだろうか? するわきゃない。
しかし、古文の授業ではそれが当たり前に行われている。とくに高校では。
学校で教える古文が「古典文法の学習」に終始せざるを得ないのは、一つには「大人の事情」もあるのかもしれない。(田中貴子『検定絶対不合格教科書 古文』にはそれが慎重に論じられている)古典文学は、ちょっと深読みすると、その作品世界の根底には、性、宗教、差別などが広がっている。あらゆる社会的な禁忌に触れざるを得ない。(そしてそれこそが「文学」の本質でもある)
教科書に収録された古文が、タブーなるものから無味脱臭された、抜け殻のような作品のみを扱い、かつ「文学として読むこと」が許されない現状である限り「古文嫌い」はこれからも量産されるだろう。