2014/07/05

言葉に絡め取られないように

教師がある教育思潮にどっぷりとつかると、その教師が属するコミュニティー(研究サークルなど)特有の言葉遣いに次第に浸食されてしまうようになる。
それはたとえば、「リフレクション」のような横文字とは限らない。「学びひたる」とか「在り方」とか「まなざしの交わり」とかいう「ポエム化」された言葉もある。「折り合いをつける」「~よりまし」という常套句もある。そういう言葉を使うと、何か、いわくありげなことを語っている心地よさを感じることができる。そしてそれを理解してくれる「仲間」の存在を背後に感じることができる。自分もしばしばその心地よさのワナに引っかかってしまうクチだから、気持ちはよーくわかる。 だって、そういう内輪の言葉を使う方が自分で考えなくていいからラクなんだもん。
いま、大学院で徹底的に学んでいるのは、そういう言葉にいかに絡め取られずに、実践をリアリティーをもって描き出せるかということだ。
だから、その研究コミュニティーが閉鎖的だったり、教条的でないかどうかを見分ける指標は、コミュニティーのメンバーが同じ言葉や、似たような語り方をしていないかどうかだと言うこともできる。
成長し続ける理想的な学び合うコミュニティーは、常に新しい言葉を探り、より適切な言葉を探り合っているようなコミュニティーでありたい。(流行に飛びつくという意味ではない)

「対話が大事!」っていっている人が、どこでだれに何を聞かれても、いつも同じようなことをリピートして語ってるのっておかしいでしょ。これが対話なんですか?って感じちゃう。(これは蛇足か)